
Zarlino,
Gioseffo
(1517-1590)
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ジョゼッフォ・ツァルリーノ
イタリアの音楽家・理論家。ヴェネツィアでヴィラールト(Willaert, Adrian c1480-1562)に師事、のち同地のサン・マルコ教会で楽長となる。彼の名著Le Istitutioni Harmoniche(調和概論、1558)は全4部からなる大作で、賛否両論あったものの広く受け入れられた。その第3部においては対位法が説かれており、その中には「フーガの技法」で用いられている10度や12度の2重対位法、転回対位法なども含まれる。
作品・著述
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Calvisius,
Sethus
(1556-1615)
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ゼトゥス・カルヴィジウス
ドイツの音楽家・理論家。バッハと同じチューリンゲン地方の出身であり、またライプツィヒのトーマスカントルとして、バッハの大先輩(6代前)に当たる。モテットや聖歌などの音楽作品のほか、多くの著述が残されている。カントル就任前に出版されたMelopoiiaはツァルリーノのLe Istitutioni Harmonicheに基づいて書かれており、早くからドイツにおいてツァルリーノの理論が受容されていたことがわかる。
作品・著述
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Sweelinck,
Jan Pieterszoon
(1562-1621)
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ヤン・ぺーテルスゾーン・スヴェーリンク
ネーデルランド(オランダ)の音楽家。オルガニストであった父や、その後任者から音楽の手ほどきを受けたといわれる。アムステルダムでオルガニストを勤めた。音楽教師として名高く、北ドイツの多くのオルガニストたちを育てた。ツァルリーノとの交際は無かったようだが、スヴェーリンクが著したComposition Regeln(作曲の規則)は、ツァルリーノのLe Istitutioni Harmonicheに基づいて書かれたもので、その対位法技術を北ドイツにもたらした。
作品・著述
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Scheidt,
Samuel
(1587-1654)
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ザムエル・シャイト
スヴェーリンクの弟子の1人で、ドイツの音楽家。ハレを中心に活躍し、オルガン奏者、音楽監督などを務めた。モテト、舞曲、コンチェルトなど多くの作品集を出版したが、中でも3巻からなる鍵盤作品集、Tabulatura Nova(新譜表、1624)は、旧来のオルガン・タブラチュア譜を現在のような2段楽譜に改めたものとして知られる。その中には主題の拡大・縮小を駆使した4重フーガや、2重対位法によるコラール変奏など、多彩な技法が含まれる。
作品・著述
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Reincken,
Johann Adam
(1623-1722)
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ヨハン・アダム・ラインケン
ドイツの音楽家。シャイデマン(Scheidemann, Heinrich c1596-1663、スヴェーリンクの弟子)に師事し、スヴェーリンクのComposition Regeln(作曲の規則)を学んだ。のちにシャイデマンの跡を継いでハンブルクの聖カタリナ教会のオルガニストに就任した。ブクステフーデ、タイレとともに描かれた絵画が残されており、三者の交流をうかがわせる。バッハはしばしばラインケンの演奏を聞きにハンブルクを訪れ、またラインケンの前で即興演奏をして絶賛を受けた。
作品・著述
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Buxtehude,
Dietrich
(1637-1707)
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ディートリヒ・ブクステフーデ
ドイツの音楽家。幼少の頃は父に音楽を学び、1668年からトゥンダー(Tunder, Franz 1614-1667)の跡を継いでリューベックの聖マリア教会でオルガニストを勤めた。トゥンダーの娘との結婚が条件であったとも言われており、事実、のちに彼の元を訪れたバッハ、ヘンデル、マッテゾン等に同じ条件を提示して後任に誘っている。カンタータ、室内楽、鍵盤楽曲など幅広く作品が残されており、中でもオルガン曲はその名人芸的演奏をうかがわせる物として名高い。
作品・著述
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Theile,
Johann
(1646-1724)
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ヨハン・タイレ
ドイツの音楽家。シュッツ(Schutz, Heinrich 1585-1672)の弟子の1人。ガンバ奏者としても活躍した。各地の楽長を務めるが、ハンブルクに移った際に歌劇場の柿落としで上演した「アダムとイヴ」は好評だった。ほかにもミサ曲など声楽曲が多く残されている。また彼が学んだ対位法技術を網羅したMusicalisches Kunstbuch(音楽技法書)は、いくつかのカノンのほか、組曲やソナタなども含まれ、バッハの「音楽の捧げもの」に類似する。
作品・著述
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Fux,
Johann Joseph
(1660-1741)
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ヨハン・ヨゼフ・フックス
オーストリアの音楽家。ウィーンを中心に活躍し、51歳で宮廷音楽監督に就任、終生その職務に勤めた。オペラやオラトリオを始め、多くの作品が残されているが、有名なのは作品よりも対位法の教科書であるGradus ad Parnassum(パルナス山への階段、1725)であり、バッハもこの本を所有していた。スヴェーリンクの流れには属さず、むしろ直接イタリアの対位法音楽の伝統を学んだと考えられる。
作品・著述
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Telemann,
Georg Philipp
(1681-1767)
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ゲオルグ・フィリップ・テレマン
ドイツの音楽家。ほとんど独学で音楽を学んだ天才肌で、40歳でハンブルクの都市音楽監督に就任し、同時代のヘンデルよりも高い名声を誇った。4000曲を超える作品が残されているが、中にはカノンによるソナタなど対位法的作品も含まれる。バッハと交際が有ったことが知られており、BWV番号の付いたカンタータの中にテレマンの作品も含まれている。 |

Mattheson,
Johann
(1681-1764)
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ヨハン・マッテゾン
ドイツの音楽家・外交官。歌手としても活動した。故郷ハンブルクを中心に活躍し、オペラやオラトリオを始め多くの作品を残した。著述家としても名高く、百科全書であるDer Vollkommene Capellmeister(完全なる楽長、1739)やGrosse General-Bass Schule(大通奏低音教程、1731)など多くの著書を残した。ヘンデルの親友としても知られ、2人でブクステフーデの元を訪れている。 |

Walther,
Johann Gottfried
(1684-1748)
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ヨハン・ゴットフリート・ヴァルター(ワルター)
ドイツの音楽家。23歳でヴァイマル宮廷の皇太子の音楽教師に就任し、同僚であるバッハと親交を深めた。作曲家としてより著述家として知られており、知人などを通じて多くの作曲家の楽譜を収集し、Musikalisches Lexicon(音楽辞典、1732)などを出版した。また多くのオルガン作品を残しており、オルガンコラールのほか、バッハ同様に協奏曲の独奏用編曲も行っている。 |

Bach,
Johann Sebastian
(1685-1750)
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ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
ドイツの音楽家。幼くして両親をなくし、長兄クリストフ(Bach, Christopf 1671-1721)の元に引き取られた。パッヘルベル(Pachelbel, Johann 1653-1706)の弟子であったクリストフから音楽教育を受け、また10代の頃には多くの作曲家の鍵盤作品を習得した。その中にはラインケンやブクステフーデの作品も含まれる。この両者とは後に面会し、特にブクステフーデからは多大な影響を受けた。非常に多くのジャンルの作品が残されているが、特に「フーガの技法」を始めとする晩年の作品において、ツァルリーノに通じる対位法技術が見受けられる。
作品・著述
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