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フックス「パルナス山への階段」と
「フーガの技法」の比較

BGMは「パルナス山への階段」よりト短調の反行フーガとヘ長調の3重フーガです。

- 目次 -
赤字のタイトルをクリックして下さい。
  1.調性
  2.主題
  3.曲の構成
  4.記譜と演奏
バッハへの影響


総括
目次
「パルナス山への階段」と「フーガの技法」には以下の共通点があります。

・1つの主題に基づいて複数のフーガを作る。
・8度、10度、12度及び転回の各2重対位法を使う。
・単純フーガに始まり、2重対位を用いたフーガへと続く。

また、両者には以下のような相違点があります。

・「フーガの技法」には定旋律上での作例がない。
・「パルナス山への階段」には拡大・縮小やカノンがない。

以上のような同不同と、バッハが「パルナス山への階段」を持っていた
という事実から考えて、バッハは「フーガの技法」作曲に当たって、
「パルナス山への階段」を参考にし、あるいは影響を受けた可能性があります。
ただし、「パルナス山への階段」だけが土台になっているわけではなく、
「フーガの技法」にはバッハが他の音楽家から学んだ要素も含まれています。


「パルナス山への階段」の概要
目次
フックス(Fux, Johann Josef 1660-1741)の音楽理論書、
「パルナス山への階段」(Gradus ad Parnassum, 1725)は、
今日に至るまで対位法教育に用いられている名著です。

ラテン語で書かれたこの本は、当時絶賛され、
1791年までに独・伊・仏・英の各国語に翻訳されました。
バッハもこの本を所持しており、ハンブルク大学図書館に、
バッハのサイン入りの本が今日も残っているそうです。

内容は、音程・音階の説明に始まり、定旋律に基づく対位法を経て、
フーガや2重対位法の理論・実践へと、譜例を交えて進みます。
文体は師・Aloysiusと弟子・Josephusとの会話として書かれており、
(Aloysiusはパレストリーナ、Josephusはフックスのことです)
弟子の失敗を師が手直しするシーンなど、微笑ましい描写もあります。

なお「パルナス山への階段」の内容についてこちらでも紹介しています。


「パルナス山への階段」と「フーガの技法」の比較


1.調性
目次
「パルナス山への階段」における譜例では、ドリア、フリギアなど
6つの教会旋法が用いられていますが、すべての理論・実践において
一貫して用いられているのは、ドリア=第1旋法です。
すなわち、レを主音(第1音)とした音階に基づく旋法です。

これに対して「フーガの技法」はニ短調で作曲されています。
こちらもレを主音とする調ですが、パッヘルベルの場合と異なり、
フックスはより厳格な教会旋法を意識して作っているので、
主音は同じでも、両者を同一な「調性」と見なす事はできません。

なお、フックス本人は第1旋法をDの旋法と呼んでいますので、
以下の説明はこれに従います。


2.主題
目次
「パルナス山への階段」のDの旋法による譜例は、
その多くが以下の定旋律に基づいて作られています。



フーガの主題もこの定旋律の最初の4つの音をとっています。
これは応答において、主題の音程進行(全音・半音)が
変わらないように配慮されたものと説明されています。


2声フーガの譜例の冒頭です。
上声の応答への対旋律はContrapunctus1に似ています。

フーガの技法の主題は、フックスの譜例に比べて
より音楽的に豊かな内容と発展性を秘めたものになっています。
これは教育的意図よりも芸術性の高さを追求しているためと思われます。

※フックスのDの旋法による4声の譜例とContrapunctus1の
それぞれの呈示部を比較すると、声部の導入順序が同じであり、
(アルト−ソプラノ−バス−テノールの順)
また冒頭には以下のように共通の音が見られます。


上段がフックスのDの譜例、下段がContrapunctus1です。

バッハがフックスの譜例をベースにContrapunctus1を作ったのだとすれば、
「フーガの技法」と「パルナス山への階段」は密接に関連していたことになります。


3.曲の構成
目次
「パルナス山への階段」におけるDの旋法のフーガの譜例は、
すべて同じ主題(上記定旋律の冒頭)に基づいて作られています。


10度の2重対位法によるフーガの譜例(冒頭)です。原典は総譜となっています。
Contrapunctus10同様に、対主題の重複(8-10小節)が見られます。

つまり、図らずも「フーガの技法」とコンセプトが一致しているのです。
以下にその譜例の概要を、掲載されている順序に従ってまとめます。

 項 目
声部数
小節数
 備 考
2声のフーガ
2
27
下声部先行
2
23
上声部先行
3声のフーガ
3
33
4声のフーガ
4
34
(8度の)2重対位法
4
47
対主題との2重対位
10度の2重対位法
4
45
対主題との2重対位
12度の2重対位法
2-4
13
8・10・12度および転回の
各2重対位法を合成
4
51
対主題との2重対位
4
35
定旋律上の反行フーガ
※リズムを変えた主題を用いていますが、旋法はGとFです。

2重対位法については、フーガ以外の譜例も豊富に交えて説明しています。
そして、「フーガの技法」で用いられている2重対位法の理論は、
すべて「パルナス山への階段」の中で説明されています。
また、譜例全体の構成を見てみると、前半は1つの主題に基づくフーガ、
後半は2重対位法に基づくフーガとなっていますが、
この構成は、「フーガの技法」の配列と似ています。

タイトル
様式
技法等
Contrapunctus1-4
単純
(1つの主題)
Contrapunctus5-7
反行
Contrapunctus8-11注1
多重
2重対位
Contrapunctus12
単純
転回2重対位
Contrapunctus a3
反行
(Fuga a 3 soggetti)
(多重)
(2重対位)
Canon alla Ottava
カノン
Canon alla Decima
カノン
2重対位
Canon alla Duodecima
Canon per
Augmentationem注2
注1)Contrapunctus8と11は8度の2(3)重対位とみなすことができます。
注2)版下原稿では「8度の2重対位による」と題されていました。

なお、「パルナス山への階段」の「12度の2重対位法」の項の中では、
別の主題を用いた反行フーガと3重フーガの譜例も掲載されています。

調
声部数
小節数
備 考
g
4
37
反行フーガ
F
4
21
3重フーガ
※この2曲には調号が付けられています。


4.記譜と演奏
目次
「パルナス山への階段」のフーガの譜例と「フーガの技法」は、
どちらも1声部1段ずつで記譜され、総譜となっています。
にもかかわらず、どちらもほとんどの曲を鍵盤独奏で弾くことができます。
(「フーガの技法」の転回対位によるフーガを除きます)

「パルナス山への階段」は明らかに教育的意図があるため、
おそらく教育の場での実用性を考えてのことでしょう。
つまり生徒を相手に、楽譜を見せて曲の構造を説明し、
あるいはそれを鍵盤楽器で弾いて聞かせたのでしょう。

「フーガの技法」の作曲意図は明らかではありませんが、
その内容からして教育的なものであるため、
バッハはインヴェンションや平均律などと同様に、
教育の場で実践的に使用することを考えていたのかもしれません。


5.相違点
目次
以上のように、「パルナス山への階段」と「フーガの技法」には、
多くの共通要素が含まれていますが、互いに相容れない部分もあります。

第1に、「パルナス山への階段」は作曲の指南書ゆえ、
より機械的な譜例(定旋律への対位付け等)も含まれています。


1音対1音(2声)の譜例です。

その点「フーガの技法」は、教育的内容も含んではいるものの、
すべての曲が演奏にも適した実用的作品となっています。

また「フーガの技法」に見られる拡大・縮小やカノンの説明が、
「パルナス山への階段」には含まれていません。
(おそらくフックスが参考にしたと思われるツァルリーノの和声論には
厳格なフーガ=カノンが説明されているにもかかわらず)

そして、「フーガの技法」の特徴のひとつでもある主題の装飾変形も
「パルナス山への階段」では説明されておらず、
いくつかリズムの変形の例が示されているだけです。


定旋律上のフーガの作例。主題を青い音符で示しました。
アルトの主題が原形、他の主題はシンコペーションで変形されています。


バッハへの影響
目次
以上のように、「パルナス山への階段」と「フーガの技法」には、
いくつかの共通点と相違点があります。

バッハが「パルナス山への階段」を所持していたことから、
「フーガの技法」の作曲に当たってそれを参考にし、あるいは
様々な刺激を受けた事は十分に考えられます。
しかし、バッハの作曲技術は「パルナス山への階段」の出版以前より、
様々な作曲家から学んだ技術の集大成ですので、
一元的に「パルナス山への階段」が「フーガの技法」を
作曲する土台になったという事はまず無いでしょう。

※バッハの息子C.Ph.E.バッハは、晩年のバッハがフックスを高く評価していた
とする一方で、弟子の教育に当たっては、フックスの教則本にあるような
無味乾燥な対位法を捨てさせたと述べています。
(1775年のJ.N.フォルケル宛の手紙)

なお、「パルナス山への階段」が広く各国に受け入れられたことから、
「フーガの技法」に用いられている様々な作曲技法、
転回対位法(鏡像の技法)のような難解な技法さえも、
多くの音楽家が心得ていたものと考えて間違いないでしょう。
そうした技術が実際の作曲であまり用いられなかったのは、理由はともあれ、
ツァルリーノの時代(1500年代)から変わりのないことです。

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