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Gradus ad Parnassum
パルナス山への階段
(1725)

オーストリアの音楽家フックスが出版した作曲理論書・指南書です。
出版当初大きな反響を呼び、発売年内に完売しました。
後にハイドンやベートーフェンも学ぶことになる名著ですが、
バッハもこの本を持っていたことが知られており、
「フーガの技法」の作曲にも何らかの関わりがあったかもしれません。
(この点についてはこちらで検討しています)

「パルナス山への階段」はもともとラテン語で書かれましたが、
1742年にはバッハの弟子の1人、ミツラーがドイツ語訳を出版しています。
(Mizler, L.Ch. 1711-1778、1738年にミツラー音楽協会を設立)

「パルナス山への階段」は2部構成となっており、
第1部は音程や音階、第2部は実践的な作曲法に当てられています。
文体は師Aloysius(=パレストリーナ)と弟子Josephus(=フックス)との
会話として書かれており、2人で譜例を交えながら
対位法、模倣やフーガ、2重対位法などを学んでいきます。

作曲を実践する際には、当時すでに古びていた教会旋法が用いられました。
その中でもd、e、f、g、a、cの6つに限って実践しており、
特にdの旋法はすべての説明を通して用いられています。

ここでそのすべてを紹介する事はできませんが、
作曲の実践例を以下の4点に絞って説明したいと思います。


定旋律上の対位

フックスは古来より実践されてきた定旋律への対位付けを、
以下の5つの種類に分類して説明・実践しています。











「パルナス山への階段」における5種類の対位の、dの旋法による例です。
各段の青い音符は定旋律、黒い音符は定旋律に付けられた対位です。
なお実際の譜例は、以下のものも含め、全てオープンスコアで示されています。

ここに示した譜例は2声部での作例ですが、
フックスはこのあと3声、4声でも同様の対位法を実践しています。
今日まで対位法教育の基礎となっている分類がここに登場しているのです。

なおこの定旋律書法の実践群は、1つの定旋律上で行われています。
つまり、同じ旋法での実践には常に同じ定旋律を用いているのです。
見方を変えると、一種の変奏曲が作り出されているとも言えます。
そのコンセプトは、ゴルトベルク変奏曲と同様なのです。


模倣について

フックスは模倣をフーガと区別して説明しています。
同度から8度までの各音程による模倣が譜例付きで示されています。



同度の模倣の例です。上声を下声が模倣しています。

この同度から8度までの各譜例というのがまた、
ゴルトベルク変奏曲のカノン(同度から9度)を連想させます。


フーガについて

フックスはフーガも定旋律書法と同様に2、3、4声で実践しています。
当時フーガの作曲において普及していた「調性的応答」はあまり用いず、
音域の狭い主題を用い、主題の音程進行が変わらないようにしています。
※下記の補足をご参照ください。なお、パレストリーナ自身は
時として調性的応答を用いていました。

dの旋法の作例では、フーガの主題は
先ほどの定旋律の冒頭から取られています。



dの旋法による2声フーガの作例です。



同じく2声フーガ。こちらは上声から始まっています。



同じく3声フーガ。



同じく4声フーガ。

あとで説明する2重対位法においても、同じ主題が用いられます。
このように1つの主題で様々なフーガを作るというやり方は、
フーガの技法と同様のコンセプトといえます。
(この点についてはこちらで比較・検討しています)


2重対位法

フックスは2重対位法として、主に8度、10度、12度の3種類をあげています。
この3種類について、定旋律書法とフーガの双方で実践しています。
次に示すのはdの旋法の定旋律上における12度の2重対位の例です。





下が入れ替え後です。定旋律を青い音符で示しました。
フーガの技法で言うと12度のカノンがこれに近いです。

また次に示すのは、12度の2重対位法を用いたフーガの例です。



dの旋法による4声のフーガの作例です。対主題が12度の2重対位となっています。
こちらはフーガの技法のContrapunctus9と同様の技法です。

なお、以上のような各技法の個別の実践に加え、ツァルリーノが示したような
複数の2重対位法を同時に用いた例を、フックスも示しています。
そして唯一ここでだけ、転回対位法(鏡像)も用いています。









ここに挙げた例のほかにも、同じ曲で様々な声部配置での組合せが示されています。

フックスは同書の旋法に関する説明の中で、ツァルリーノの「調和概論」
具体的に章を挙げて参照しており、「調和概論」を読んでいたと思われます。
従って、ここに見られるような2重対位法の譜例などについても、
執筆に当たって「調和概論」を参考にしたのではないかと推測されます。


(補足)

上記のとおりフックスは調性的応答を積極的には用いませんでした。
ただフーガ作曲法の前提として、
「旋法の(音階の)両端をなすオクターブを逸脱しないよう、
先行声部が5度の跳躍を用いるときは、
後続声部は4度の跳躍を用いること。逆もまた然り。」
とだけ、簡単に説明するにとどめています。

実はフーガの作例において2例だけ調性的応答を用いているものがあるのですが、
作例に関する説明でフックスは「主題に含まれるファの効果を維持するため」
(A.Mannによればファ-ミの進行を維持するため)という、趣旨の異なる説明をしています。

これについてGradus ad Parnassum の巻末には、教会旋法や教会音楽、
いくつかの音楽様式などについて、補足的に説明されていますが、
その中に「フーガのいくつかの規則について」という項目が含まれており、
ここで調性的応答に関して詳しい説明がなされています。

調性的応答の大原則は、@歌いやすいものであること、
A主題の原形からかけ離れないこと、としており、
様々な主題と、それに応じた調性的応答を示しています。
以下はその一例で、「フーガの技法」同様に三和音に始まる主題です。
左に示した主題に対する2種類の応答のうち、
1つ目(中央)は主題の主音と属音を厳密に入れ替えたもの、
2つ目(右)は冒頭の3和音のみ主音と属音を入れ替えたもので、
上の2つの原則から、後者がより良い応答と説明されています。



また「教会旋法について」という項目において、
調性的応答を用いたフーガの例が示されています。
偶然にもフーガや2重対位法の作例と同じ主題を用いた、
A.ベラルディによるフーガの引用です。
(ただし、旋法はdではなくaとなっています。)
以下の譜例には主題を青い音符で示しました。




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