英国政府は世界共通の商業ルールに従って、粛々と取り進めたにすぎない。別に伊藤博文が憎かったわけではない。ただ、日本側による契約違反であるから、公正な額の賠償金の支払を求めた。一方で、「下駄を脱ぎざまハリー・パークスの横面を張った」暴力行為にたいしては激怒した。伊藤博文がこののち西欧世界から「猿」と呼ばれるのはこのような経緯なのだ。また、この契約違反の結果、日本国は世界の金融界から締め出されることとなった。

英国政府の受け止め方

明治時代の絵画に朦朧体という没線彩画の技法が流行ったが(横山大観、菱田春草)、朦朧体は絵画の技法上では存在しても、金融界では存在しないことは事業にたずさわっている人なら、百も承知のはずだ。

だが、明治政府は国債問題に朦朧体表現を採用して国民の目をごまかした。まことに卑劣な行為であり、大蔵省は143年後の今になっても、彼らの報告書を訂正していない。彼らは明治時代から第二次世界大戦の終結、そして現在にいたるまで、「嘘をつき」続けている。これは今になっても大蔵省がカイゼル・システムを継承していることの証左である。

注:ヴィルヘルム・シュティーバー(Wilhelm Stieber)についての紹介記事は次。このカイゼル・システムがヒトラー時代まで継承されたことに注目せよ。

画像:『ビゴー素描コレクション』2 芳賀徹 他 岩波書店 1989
 社交界に出入りする紳士淑女 『トバエ』6号 明治2051日号
 時代からあまりにもかけ離れた鹿鳴館風俗への痛烈なる諷刺。この漫画は、その三か月前に小林清親が『団団珍聞』(まるまるちんぶん)(明治二〇年一月二九日号)に描いた「猿劇会の繁劇」(第三巻、年譜参照)という鹿鳴館訊刺画にヒントを得ているようにも見える。ピエールーロチの眼(『秋の日本』)とも一致している。

1870/04/23

日本国債百万ポンドが、国債発行体としては、英国政府のお眼鏡にかなった信用力抜群のデランジェ商会、販売窓口としては、シュローダー商会から売り出された。即日完売に近い盛況であった。これら一連の仕掛けを企画した英国外務省は鼻高々だった。これで英国と日本との密接な外交関係が築き挙げられることになるとの確信をもった。

1870/06/下旬

 オリエンタル・バンク支配人ロバートソンの入れ智恵があって伊藤博文が激怒している、というハリー・パークス卿からの第一報に引き続き、英国側が一方的に日本国債の起債を行ない、利鞘3%をかすめ取ったことを理由に契約破棄するむねの通告を行ったことが明治政府から通知された。

 この伊藤博文の申し入れは、もともとの「一任契約」の主旨に外れており、「債券発行体が口銭をとる」債券発行の仕組みを無視したルール違反であることから、当面無視することを決定した。

 後世大蔵省が作成した「九分利付外國公債紀事・七分利付外國公債發行日記・在欧吉田少輔往復書類 解題」によれば、

・・・・仍て我政府は明治三年六月更に大蔵大亟上野景範を特例辨務使として倫敦に派遣し、種々交渉の結果、相互の譲歩を以て終に我政府は募集費及解約金を併せて英貨七萬磅を「レー」等に交付して、全然其の関係を絶ち、公債事務は擧げて東洋銀行に移付することに約定し、「レー」が既に募集したる公債は之を其儘公認することに決定するに至つた。

(『明治前期財政経済史料集成』大蔵省編、大内兵衛、土屋喬雄校、 第10巻 明治文献資料刊行会 1963/11

と記載しているが、「種々交渉の結果、相互の譲歩を以て」デランジェ商会にたいする賠償金21萬ポンドが消え失せるわけがない。このような「棚からぼた餅」の幸運が金融界に起るわけがない。

 このような場合、金融界での事態の決着の方法はきまっていて、日本側は

1. 契約破棄の申出を取り消す。
2. 賠償金を全額支払う。
3. 賠償金を支払わなければ、「破産」。

のいずれかを選択しなければならない。

明治政府が上述の「九分利付外國公債紀事・七分利付外國公債發行日記・在欧吉田少輔往復書類 解題」で主張するような決着のしかたは決してありえない。

こうして日本側は窮地に追い込まれた。

1870/07/下旬

 英国側が伊藤の「下駄で張りたおす」ヤクザ作戦に乗ってこず、喧嘩にもならなかったのは、伊藤博文の読み違いであった。結果として明治政府は英国で提訴されるか、あるいは£280,000にものぼる巨額の賠償金を国債金額から差し引かれることとなった。なお、国債金額100万ポンドのうち、70万ポンドはすでに331日レイより東洋銀行ロンドンに振り込まれており、残りの30万ポンドがレイの手元に残されていた。

 これが現実のものになれば、伊藤博文は明治政府からきびしく糺弾されることは必定であるから、伊藤は焦った。かといって、これといった打開策もないことから、取り敢えず、上野景範を倫敦に送り出したが、上野に有効な取引材料を持たせたわけではなかった。

デッドラインが11月末に敷かれていたので、日本側はパニックになった。伊藤博文はかりに提訴された場合でも、あるいははたまた賠償金が国債調達金から差し引かれた場合でも、どちらにせよ政治生命が完全に失われる絶体絶命のピンチに立たされた。

 引き続き、明治政府はレイ借款の破棄宣言を宣告し、明治政府とオリエンタル・バンク間に借款契約が成立した。

   明治政府・オリエンタル・バンク間のこの新契約については、英国政府はまったく関係のないことであるから、無視した。

 レイ借款の破棄宣言にたいしては、デランジェ商会からレイを通じて

1. レイ契約の正当性
2. 日本側の意思で契約破棄する場合の賠償条件

を明治政府に通達させた。契約破棄の場合の賠償条件は次の二つであった、と推定される。

1. デランジェ商会(レイを含む)の得べかりし利益にたいする賠償金、少なくとも

  1870/1871 £1,000,000 x 3%p.a. =    £ 60,000
      1872/1881 £1,000,000 x 3%p.a./2 = £150,000
                      Total                          £210,000

2.  シュローダー商会にたいする賠償金
  債券発行費用ならびに発売取り扱い手数料、約£70,000

 この賠償条件が呑めない場合は、ロンドンで明治政府を提訴することとし、そのデッドライン(最終期限)を11月末日とした。

1870/07/下旬

 英国側が取り合わなかったので、明治政府はオリエンタル・バンクに全権を委任して交渉を取り進めることとし、オリエンタル銀行はこれを受諾した。そこで、オリエンタル・バンクが明治政府の代理人となる旨の委任状を英国政府に提示した。

英国政府は英国で営業認可を受けた英国の銀行が、明治政府の金融業界ルール違反行為に加担したことに激怒して、この時点でオリエンタル・バンクの取潰しが決定された。(オリエンタル・バンクは1884年に破産した。)

画像:「新築なったオリエンタル銀行と株式取引所、ボンベイ」イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ紙から、1865
  オリエンタル銀行は1865年当時、アジアでは最大最強の銀行であった。この写真はインド・ボンベイでのオリエンタル・バンクの盛況を示す。

画像1870年頃のロンドン中心部の交通渋滞、グスターブ・ドレ画
「ルドゲート・ヒルの交通渋滞」1872年版「ロンドン・聖地巡礼」誌から
フランス人挿絵画家グスターブ・ドレ(1832-1883)

「為政者の無謬性」という典型的なカイゼル・システムの論理に基づき、明治政府にとって不都合な箇所は隠されてしまったので、視界不良の霧のなかにいるように全体像はつかみにくいのだが、・・・

注2:ヴィルヘルム・シュティーバー(Wilhelm Stieber)についての次の三つの翻訳文を読んで彼に対する理解を深めておくこととしましょう。グリム童話(1812-1857年にわたって出版された)で覗きみることのできるドイツの「闇」の部分が現象面に現われています。

                   翻訳文 1
                   翻訳文 2
                   翻訳文 3

「敵軍はすさまじい損失を見てパニックとなった」見出しが躍る。「彼らの将軍達は弾薬不足で混乱に陥った」

プロイセンの首都であるポツダム市の人びとは急いで最新の政府のニュース紙を読んだ。それにはオーストリアとの戦争の心を揺り動かすニュースでいっぱいだった。いつでもこのような好いニュースだった。

ニュース新聞の読者のうちもっとも洞察力のある人だけが最近の事実がいかに重要であるかを考えることを止めた。なんとなれば、プロイセン政府がその公式メモに印刷した「いつでも好いことずくめ」ニュースは、その大部分が事実ではなかったからだ。

プロイセン政府は実際、単にプロパガンダを見つけ出したにすぎない。それは一世紀ののち、その帝国の一人の後継者によって華々しく完成されるにいたった自明の理を実現したのだ。すなわち、民衆に長期間嘘を吐き続けると、民衆はそのうちにそれらを信じてしまうにいたるという理屈であった

このプロイセン政府のプロパガンダ・マシーン、婉曲に「中央情報局」とよばれているのだが、の責任者は、この国のスパイの親方、ヴィルヘルム・シュティーバーであった。彼は多分史上空前に汚らわしい男達のひとりであった。しかし、すくなくとも、彼の手段は劇的な効果をあげた。彼のニュース新聞が初めてあらわれたオーストリア戦争は45日しか続かなかった。

   (出典:Nasty Wilhelm Stieber was Bismarck’s ruthless spy chief

「嘘をつき続ければ、人はこれを信ずるようになる」、とビスマルク時代の報道管制官ヴィルヘルム・シュティーバーが断言する。明治政府はカイゼル・システムを採用した結果、国民に嘘をつくことを恥じなくなったのである。彼らには「正義」という概念が欠如している。

ここにカイゼル・システムの原理の一つがあきらかになった。カイゼル・システムとは「為政者の不都合を隠すためには嘘をつく」ことである。

写真:現在のロンドン

画像朦朧体の典型例
横山大観《生々流転》1923(大正12年)
絹本墨画 55.3×4070.0cm
独立行政法人国立美術館

 この事象表をじっと眺めて観察しましょう。そうすると英国側の反応が読み取れます。このように反応したのです。