粉雪まとうシュトレン(Stollen)の研究





シュトレンって何だろう・・


   ドイツではクリスマスと言えばケーキではなくシュトレンが一般的です。 クリスマスが近づくとパン屋さんやお菓子屋さんの店頭に並びます。    日本では一般に「シュトーレン」と呼ばれますが、綴りの上からも伸ばさない「シュトレン」 がドイツ語での一般的な発音です。 (シュトーレンは高地ドイツ語(中部・南部方言   Hochdeutsch   )由来のようです。)
   ラム酒などに浸けておいたドライフルーツとナッツを、たっぷりのバターと一緒に練りこ んで焼いたもので、日持ちするかなり重めのパン(ケーキ)です。
   シュトレンと一口に言ってもたくさんの種類があり、材料の配合や調理の手順などで味も 食感もどんどん変わります。  ですから家庭ごと、お店ごとにそれぞれの美味しい シュトレンがあります。
   表面を砂糖でコーティングしていることもあり、普通のパンとは違ってかなり日持ちします。 (レシピによりますが、1ヶ月〜3ヶ月ぐらい)
   旧東ドイツ領のザクセン州、ドレスデンがこのお菓子の発祥の地だと一般にいわれています。 起源は14世紀あたりまでさかのぼるという説があります。   細かい話はこのページの 「シュトレンの歴史」 を読んでみてください。
   当時、豊かな人たちの間でクリスマスギフトに使われていたお菓子だったそうですから当初 から高級品だったようです。
発酵する前のシュトレンです。
イースト菌の好む室温よりもちょっと高めの温度を維持します。
発酵により少し膨らみますので、シュトレン型にはめた状態で発酵を行います。 エルフェンでは発酵の工程を安定させるために発酵槽(ホイロ)を使います。






シュトレンの種類はいっぱい・・


   シュトレンにはとても多くの種類があります。    ほぼ 「パン」 と呼ぶにふさわしいシュトレンから、限りなく  「お菓子」 と呼べるシュトレンまで。

   具材として混ぜる材料によって分類される名称と、製造される都市の名称を冠する名称などがあります。
   ドライフルーツやナッツなどの具材を、重量比で何パーセント入れるのか・・  を規定している都市もあります。(何か「ビール純粋令」みたいでドイツ的ではあります。)


      Butterstollen   (バター・シュトレン)
      Dresdner Stollen   (ドレスナー・シュトレン)
      Mandelstollen   (アーモンド・シュトレン)
      Marzipanstollen   (マジパン・シュトレン)
      Mohnstollen   (ケシのシュトレン)
      Nuss-Stollen   (ナッツのシュトレン)
      Quarkstollen   (クヴァルク・シュトレン)
        ※ヨーグルトとチーズのあいのこのようなものを練り込んだタイプ


   エルフェンが作るのは『マジパンシュトレン(Marzipanstollen)』と呼ばれるタイプで、 お菓子の中心部にマジパンの塊が入っています。


※  マジパンは英語読みで、マルチパン(Marzipan) がドイツでの呼称です。    ドイツのリューベックやイタリアのシチリア島にある都市パレルモの名物として知られ、 砂糖とアーモンドを挽いて練りあわせた、餡のような食感の甘いお菓子です。

   ドイツでは1407年にリューベックが飢饉に陥ったとき、『市の倉庫に大量に眠っている アーモンドを使って何か食べるものを作って欲しい・・』と、市のお役人がパン職人に 依頼して作らせたのがマジパンの起源と伝えられているそうです。


シュトレンの歴史


   シュトレンの歴史は大変に古く、シュトレンの原点となる食べものの記録が最初に現れるのは、 ナウムブルク(Naumburg)という都市で1329年だそうです。
(ザクセン・アンハルト州、ザーレ川沿いにある街で、現在は人口3万人ほどの都市)
   当時の司教様にクリスマスの贈り物として献上されたものの記録だそうです。 その形はすでに現在のものと同様、産着に包まれた幼子イエスをかたどったものになっ ていました。    シュトレンという名前はドイツ語で「坑道」を意味しますが、断面が坑道に似た形に作られ、 仕上げに粉砂糖を真っ白くなるまで降りかけると、まるで布にくるまれた幼子イエスのよ うに見えますので、クリスマスの贈り物にピッタリだったのでしょう。    このナウムブルグでの食べ物が後にシュトレンと名づけられるお菓子の出発点なのかも知 れません。(ここで記録されている名称は、もちろんシュトレンではなく、シュトリーツェル だったかも知れませんが確認はできていません。)


   一般に「シュトレンはドレスデンが発祥の地」と言われますが、ドレスデンでシュトレンの 名前が使われるのは、ナウムブルクの記録から150年もたってからだそうです。    ドレスデンのクリスマス市はドイツで最も古く、また規模も大きかったのでシュトレン の名を広く有名なものにしたのが「ドレスデン」なのでしょう。
   このお菓子の名前がドレスデンに初めて登場するのは1474年(1427年という説もあり。) だそうです。 当時は Striezel(シュトリーツェル) という名前だったそうです。 (Striezel は、長い形のパン類のこと)


   この当時はカトリックの教義により、断食の期間はバターもミルクも食べてはいけなか ったそうで、シュトレンも燕麦の粉とイーストに水と菜種油のみを加えて練られて作られ ていたとのことです。 (動物性のもの(バターや牛乳)を一切使用していなかったということのようです。)    宗教上の決まりごととは言え、「それだけの材料で作ったのでは美味しくない!」 ということで、 1430年、ザクセンの選帝侯がローマ法王にバターを使う許可を求めたそうです。  (「バター書簡」として知られる手紙)  しかし教義の壁は厚く、拒絶されます。


   その後の1491年、教皇インノセント(Innozenz)8世が、教会の建設費用を出すことを条件 に、菜種油の代わりにバターを使っても良いという「 Butterbrief(バターの手紙)」なる 文書を発布したことで現在のようなおいしいお菓子が出来たということです。    この段階ですでにシュトレンは断食期間の質素なパンではなく、果物の砂糖漬けやナッツ をふんだんに盛り込んだお祝いの菓子に変貌していました。


   勝手な憶測ですが、「ローマ法王にバターの使用許可を求める」 からには、実際に バターをたっぷり使えば美味しくなる・・  という実験があったと思うのです。 選帝侯もカトリック教徒ですから、断食期間中の「不味いパンもどきの食べ物」に参って いたのかも知れません。    時の選帝侯もバターを使った美味しそうなお話だけではなく、この試作品を食べたのでは ないかと想像します。
   言い伝えによると、ザクセン(ドレスデンのある州)の宮廷お抱えの菓子職人が、ドライフルーツ などを加えてシュトレンを豪華なものにしたのだそうです。
Heinrich Drasdo (ハインリッヒ・ドラスド)という菓子職人(Kondotor)だったそうです。


   こうしてシュトレンは質素な食べ物からクリスマス用の豪華なお菓子へと変身しました。    1500年頃にはドイツ最古のクリスマス市といわれる、ドレスデンのシュトリーツェル ・マルクト(Striezelmarkt)で「クリスマスのキリストパン」という名で売り出されました。    1560年からドレスデンのパン屋は、クリスマスに彼らの領主へ36プント(約18キロ) のシュトレンを一つないしは二つ献納していました。    8人の親方と8人の徒弟が大きなシュトレンを宮殿に届ける慣わしは、その後も長く続き ましたが、1730年、フリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強王)はドレスデン のパン屋組合に園遊会に招かれた客およそ24000人のために重さ1.8トンの巨大な シュトレンを焼かせたのです。    今でも毎年12月にドレスデンで開かれる「シュトレン祭り」はこの時のことを引き継い だものだそうです。


※ ドイツでのクリスマスマーケットの呼び名は、ヴァイナハツマルクト(Weihnachtsmarkt)ですが、 ドレスデンのクリスマスマーケットはシュトリーツェルマルクトと呼ばれ、1434年に始まった ドイツで最も古いクリスマス市です。(シュトリーツェルはシュトレンの元祖の名前です。)

中北部ドイツでは、長い形のパン類を Striezel又はStruzelと呼ぶそうです。


   それ以来、ザクセン以外の地域で焼かれたシュトレンは、違う名称で呼ばれるようになったそうです。


     エルツ地方→Erzgebirgischer Stollen
     ブレーメン→Bremer Klaben
     ヴェスト・ファーレン地方→Munsterlander Stollen
     ミュンヘン→Munchner Kindl Stollen
     アイフェル地方→Stollenbacker
     ケルン→Kolner Stollen




シュトレンの食べ方について


シュトレンは薄くスライスして少しずつ食べてゆきます。
まずシュトレンを中央から半分に切って、そこから外側に向かって薄くスライスします。

   その日に食べる分を取り分けたら、2つのシュトレンの切り口をピッタリと合わせて、 ラップできっちり巻いて保存します。アルミホイルでさらに包めば完璧です。

   いつシュトレンを食べるか・・  というと、キリスト教で 「アドヴェント」  と呼ぶクリスマスイブの4週間前からイブまでの期間に食べるのが正統派ドイツ流 のようです。

   『アドヴェント』は、『クリスマス』を迎える心の備えをする期間であり、クリスマス 気分を盛り上げてゆく役割をもっています。    シュトレンは崩れやすいので、フォークで上手く食べられない場合には手で食べてもかま いません。    好みで生クリームを添える人もいますが、普通は何も付けずにそのまま食べてください。    薄くスライスして取り分けたシュトレンを、クリスマスまで少しずつ食べてゆくことで、 熟成が少しずつ進んでゆく「変化するシュトレン」を楽しめると思います。


アドヴェントって何?


   ここでアドヴェント(Advent)について研究してみようと思います。

   アドヴェントは、クリスマスイブの4週間前から始まります。 (待降節、つまりキリストが降誕してくる日までのお祝い。)

   語源は「来るべき」という意味のラテン語   adventus   からで、キリストが 来られるという約束とそれへの期待をあらわしています。    4本のローソクを立てた 『アドヴェント・クランツ』 と呼ぶリースは、日曜日 の礼拝ごとに1本ずつ灯火を増やしていきます。    4本のローソク全てにあかりが灯ると 『クリスマス』 です。    毎週日曜日にアドヴェントのお祝いをするのですが、第一アドヴェント日曜日は、 11月30日に最も近い日曜日、すなわち11月27日〜12月3日の間に始まります。    今年(2009年)は、11月29日が第一アドヴェントの日曜日です。    そして、このアドヴェントに欠かせないものが、アドヴェントクランツ(Adventskranz)です。    天井などにつるしたり、テーブルの上に置いたりして使います。    樅の木で作った円形のリースに、4本のローソクが付いています。 第1アドヴェントの日曜日に1つ目のローソクに明かりを灯し、反時計回りに、 第2、第3・・   とローソクを灯す数を増やしてゆきます。    4本目のローソクに明かりが灯されるといよいよクリスマスがやってきます。    この風習はドイツで始まったということです。


   宗派によって、アドヴェントの期間はいろいろあったようですが、古い時代にはアドヴェ ントの時期はもっと長くて、そして、断食の時期 (1) でもあり、その期間の土曜日と日曜日だけが通常通りの食事ができたという宗派もあった ようです。


   一方で、アドヴェントクランツは約170年ほど前から始まった、わりと新しい習慣のよ うです。    ハンブルクのルター派牧師、社会事業家ヨハン・ヒンリッヒ・ヴィヒェーン(1808-1881) が1833年に児童擁護施設「ラウエス・ハウス」で始めたものだということです。    ヴィヒェーンは後にベルリンに出て社会福祉施設を創設し、その時に初めてもみの木を使 ったたアドヴェント・クランツを作ったそうです。    彼はアドヴェント・クランツをすぐに近所の家庭へ見せたのではないかといわれていて、 それがベルリンの一般家庭に広がっていき、最初は24本だったローソクがいつしか4本 となって現在の姿になったのだそうです。    さらにベルリンから南へと伝えられ、1925年にはケルンのカトリック教会で初めて飾 られ、1930年からはミュンヘンでも習慣となっていったそうです。



(1)  ローマカトリックの断食では、十分な量の昼食と少量の朝食と夕食を摂ったうえで間食は 禁止されています。    宗派によって断食で禁止されている食事の内容が異なるようですが、シュトレンが生まれ た地域はカトリックが支配していた地域です。    プロテスタントでは断食の習慣はないそうです。



ユール(Yule)はクリスマスのこと?


   『アドヴェント』は、『クリスマス』を迎える心の準備をする期間ですが、 その期間を楽しむための、アドヴェントカード (Advent card) と呼ばれるクリスマス グッズがあります。    カードにはたくさんの窓が作られていて、アドヴェントの期間中にその窓を毎日ひとつずつ 開けていくカードになっています。    アドヴェントカレンダーとも言います。    カードの全部の窓を開け終わるとクリスマスを迎えたことを教えてくれます。    北欧ではこのアドヴェントカードのことを「ユール・カレンダー」と呼びます。 ユール(Yule)は古代ゲルマン人が冬至の頃に行ったお祭りで、ユール祭と呼びます。    ユールカレンダーには、窓を開けると、絵が出てくるものや、小さなお菓子やおもちゃが 出てくるものがあります。    子供たちはこのカレンダーをめくりながらニッセ(北欧のサンタクロース)からのプレゼント がもらえる12月24日を心待ちにします。    のちに北欧の地にキリスト教の浸潤があり、ユールはクリスマスのお祭り自体を指す言葉 に変化しました。    ここでユールとクリスマスの交差が起こります。 (宗教的な侵攻を意図して計画的に行われた交差ではないかと言われています。)    元々、Jul(ユール)というのはバイキングの言葉で、デンマーク語では   hjul、 英語で言うと   wheel   の意味があり、輪のように1年が回ってくるという ことを由来としているそうです。    ユールを祝う習慣はキリスト教とは関係なく、冬至祭から日が長くなっていくことをお祝したもので、 当時の人々は太陽神が自分たちのところへ戻って来るように、太陽神の幸せを願い、 自分たちに太陽の光を戻してくれるようにその復活を祈るお祝いをしたのだそうです。    それを、後から入って来たキリスト教が、バイキングにも受け入れやすいようにと、 冬至の祭りにクリスマスを重ねたと言われているわけです。

   北欧諸国では現在でもクリスマスのことをユールと呼び、クリスマスでは通じないそうです。    サンタクロースも、ユールニッセとなります。    北ドイツでもクリスマスのことをユールと言うそうです。


ユール(Yule)とクリスマスの歴史


   北欧にキリスト教が侵攻した当時、キリスト教徒は1月6日を主の公現日として祭をして いたそうです。(もともと降誕はこの日に祝われていたようです。)    しかし、北欧の人々のキリスト教に対する抵抗は強く、「ユールの祭り」を次第に キリスト教の 「クリスマス」 に変えていくことで、なし崩し的に折り合いを つけたともいわれています。    その名残として北欧ではいまだに北欧神話的な民間信仰とキリスト教の風習が合わさった 形になっているそうです。


   まず、キリスト教におけるクリスマスの起源を先に考えてみたいと思います。    クリスマスという言葉は「キリストのミサ」」(Christ + Mass)という意味で、キリスト の生誕を記念する日として世界的に大きな祭りが行われています。
   英語ではクリスマスですが、ドイツ語では「Weihnachten(ヴァイナハテン)」、フラン ス語では「Noёl(ノエル)」、スペイン語は「Navidad(ナビダー)」、ラテン語では 「Christi Natalis(クリスティ・ナタリス)」となります。    しかしキリストが生まれた日は聖書には記されていません。 だから誕生日ではなく、 降誕日としているのです。


   現在のクリスマスの日付が、12月25日と決まったのは、西暦325年3月20日に 開かれた『第一回ニケーア公会議』においてでした。 (現トルコ共和国ブルサ県イズニクで開かれたキリスト教の歴史で最初の全教会規模の会議)

   この会議では、いわゆる三位一体の教理が決定されたことでも有名です。    それまではキリストの誕生日として、1月6日、2月2日、3月25日、4月19日、5月20日、 11月17日などが候補とされていました。    しかし、当時キリスト教が布教を画策していたローマ帝国では、太陽神ミトラを信仰する 勢力が強く、ミトラの誕生を祝う祭りが冬至の日にあたる12月25日に行われていました。    このミトラの祭りは、太陽が再び勢力を回復するのをたたえる、太陽崇拝の祭りでしたが、 ここにキリスト教が浸透してきて、ミトラ信仰と融合させるためにキリストの誕生日を 12月25日に移動したのだといいます。    もしこの説が真実であるとすれば、二匹目のドジョウ作戦として北欧の諸国においての 冬至の祭りである「ユール」がキリスト教の祭典と融合したのはうなずける話ではあります。    しかし、ローマ帝国の場合には一方的にキリスト教側が浸潤していったわけではなく、 当時ローマ帝国の結束強化にキリスト教を利用しようと考えていたローマ皇帝コンスタ ンティヌス1世などもいて、このあたりの歴史的な背景はとても複雑なようです。


ユールニッセはサンタクロース?


   その北欧、ノルウェーの話ですが、納屋に住む妖精のニッセが、クリスマスにプレゼント を配るユールニッセ(Julenisse)に変身します。    彼のそりはトナカイに引かせるのではなくて、スパルクというノルウェー伝統のそりに プレゼントを入れた袋を乗せて自分で運びます。    この妖精、フィンランドでは「トントゥ」、ノルウェーやデンマークでは「ニッセ」と 名前が変わります。    スウェーデン語では「トムテ」になります。

   スウェーデンでは、クリスマスに 「ユールグロート」 という、ミルクで煮込 んだ甘いおかゆをを作りますが、イブの夜にはトムテの分を器に入れて、家の外に出して おく習慣がありました。  (現在では食卓の上に置いておくのが一般的だそうです。)    こうしてトムテに優しくしないと、彼はいたずらをしたりして暴れるのだそうです。 しかし優しくすれば、その家の子供たちと家畜を守ってくれるそうです。    ノルウェーではミルクで米を煮た(さらにシナモンを効かせる)「グレット」をニッセ たちにごちそうします。    デンマークでは、シナモン味のミルク粥 「リースングロー」 をニッセの ために作ります。    デンマークでいうユールニッセは、スウェーデンではユールトムテと呼ばれますが、 どちらも髭を生やした老人で灰色の服に灰色のズボンをはき、赤の頭巾に赤のタイツを はいて、黒い木靴を履いていると考えられています。 みなさんよくご存知の 『ニルスのふしぎな旅』 のニルスは、ある日妖精を 捕まえて怒らせてしまい、魔法で小さくされてしまう話です。    ニルスに毎日酷い目に遭わされていた家畜たちが、ここぞとばかりに仕返しをします。 それから逃れる為に、飛び立ったガチョウのモルテンにしがみつき、ニルスの冒険が始 まるのです。  この妖精こそが、トムテだったわけです。


日本のクリスマス


   日本のサンタクロースは赤い服を着ていますが、これはコカコーラ社のポスターを起源と するという説があります。しかし、これは間違いのようです。    コカコーラ社の広告にサンタクロースが使われたのは1931年からで、このときはもう日本 でも赤い服のサンタさんが定着していたそうです。    ドイツの古い伝承では、サンタクロースは双子で、一人は紅白の衣装を着て良い子に プレゼントをあげるが、もう一人は黒と茶色の衣装を着て悪い子にお仕置きをするそうです。    このあたりがサンタクロースの赤い服の起源なんでしょうかね・・ ?


   そういえば、ウィーンでシュテファン寺院に行く途中で、赤い服のと茶色い服のとがいて、 獲物(手ごろな観光客)を見つけては追い掛け回している光景に出会いました。    実は、最初のサンタクロース(ドイツではザンクト・ニコラウスと呼ぶ)は「黒い服」を着 ていて、悪魔役の方が「赤い服」を着ていたらしいのですが、この話はまたあとで・・


   クリスマスには真っ赤な苺でトッピングされたデコレーションケーキが一般的な日本です が、シュトレンを食べ進みながらヨーロッパの、そして世界の歴史を感じるのもまた楽し いかと思います。

お菓子の奥深い世界、エルフェンの興味は尽きません。







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