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ちほく高原鉄道初乗車(後編) 第4回

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(05年10月の旅)

上利別を出発する列車

惜別・上利別駅

 上利別駅に到着した。もちろん下車したのは私ひとりである。塩幌で乗って、次の駅ですぐ降りた私を地元の人はどう見ていたのだろうか?。まあ、そんなことはさておき、この駅でも列車を見送ったあと、駅舎の撮影などをしながら駅舎内へと入る。

 川上駅同様、ここも昔の駅舎がそのまま残っており、風情たっぷりである。駅舎には一見落書き?と思われるような絵がびっしりと描かれているが、これは地元の高校生が駅を彩るために描いたという。なんとかして上利別駅やちほく高原鉄道を活性化させようという願いが込められており、落書きなどと思った私はバチあたりである。

 駅舎内には、上利別自治会の方が「ありがとう上利別」と題して、切符類や写真などを飾っていた。旅先でこうした資料にめぐり合うというのはありがたいもので、上利別という地がどういうところなのか、あるいはちほく高原鉄道の成り立ちや歴史が手に取るように分かった。真新しい駅ノートも常備されており、これから約半年間の短い間ではあるが、駅を訪れる旅人の思いが刻まれるのだろう。むろん私も一筆したためてきた。

 きれいに整備された駅前が形成されており、集落もできているが、人の気配はあんまり感じない。駅前の広さは北海道の駅ならではの雰囲気である。国道からも簡単にアクセスができる。そんな駅前を見ていて、私はふと、ここ何回かの北海道旅行で見てきた数多くの廃線・駅舎跡を思い出した。北見滝之上駅、計路地駅、上湧別駅、忠類駅、愛国駅、幸福駅・・・そのいずれもが、かつてはこうして「鉄道の駅」として機能していたのだ。各駅に立って思ったことは「ここには列車が来ることはないんだな」という一抹の寂しさだった。

 駅前から再び上利別駅構内に入ると、そこには明らかに鉄道の息遣いが感じられた。現役で使われている分岐、信号などや、真っ直ぐ伸びている鉄路を見ると、ちほく高原鉄道は今生きている鉄道だということを実感する。かつては製材で貨物列車が行き来し、にぎやかだった駅。その当時の面影も、駅のすぐ近くに材木の山が積まれ、その山に向かって側線が伸びていることからもうかがえる。ホームも長い編成の列車が停まれるように、かなりの長さを保っている。

上利別駅舎

 それを見ながら「ちほく高原鉄道も、半年後には各地で見てきた鉄道跡になってしまうんだな」とセンチメンタルな気分になってしまった。川上駅や塩幌駅ではそんなことは感じなかったのだが、この上利別駅に立ってそんな思いが沸き立ってきた。今回の旅は「最初で最後のちほく高原鉄道乗車」と決めてやって来た。次にこの地を訪れるときは、もう鉄道が走っていないだろう。地元の方が大切にしている駅なので、廃線になっても駅舎やホームは残っていくに違いない。ただ、そのときに同じこの場所にどんな思いで立つだろうか。

 旅人である私ですらセンチメンタルになるのだから、地元で長年ちほく高原鉄道に乗ってきた人、見てきた人はどんな気持ちなのだろうか。今、全国各地で赤字線廃止の大波が訪れている。鉄道がその役目を果たした代償だという人もあるかもしれない。だが、鉄道は日本の歴史を作り上げてきたものでもある。残せるものならば、できるだけ残してもらいたいと思う。そのためにも、私のような旅人は、車など使わずに鉄道を利用する旅をしていかなければならないと意を強くする。

 陸別方面から列車がやってきた。ここも見通しがよい場所だったので、遠くから来る列車を撮影してみた。それは、この目に「確かに鉄道が走っていたところなんだ」というのを焼き付ける意味合いもあった。ちほく高原鉄道は余命半年。これから厳冬期を黙々と走り続けながら、長い歴史にピリオドを打つ。

(つづく)
いよいよ帯広へと戻っていきます