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信州諏訪湖の辺に居を構える川上家のホームページです。・・・・人生は束の間の夢。面白く生きた者勝ち。それなりに謳歌したい。・・・・幸せな人は1%の成功に喜べる人。不幸な人は1回の失敗に挫ける人。・・・「青春」 青春とは人生のある期間ではなく、 心の持ちかたを言う。 薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、 たくましい意志、ゆたかな想像力、炎えるような情熱をさす。 青春とは人生の深い泉の清新さをいう。 青春とは臆病さを退ける勇気、 安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。 ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。 年を重ねただけで人は老いない。 理想を失うとき初めて老いる。 歳月は皮膚にしわを増やすが、情熱を失えば心はしぼむ。 苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥になる。 六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、 驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、 人生のへの興味の歓喜がある。 君にも吾にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。 人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の 霊感を受ける限り君は若い。 霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、 悲歎の氷にとざされるとき、 二十歳であろうと人は老いる。 頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、 八十歳であろうと人は青春にして已(や)む。(サムエル・ウルマン著 作山宗久訳) ・・・幸福とはこの世界に生かされていることへの感謝の気持ちの現れである。
2000/05/04から番目のお客様です。
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平成28年11月 6日 PA開眼!
Sound Lab K-studio  今年は小宮の三輪一記録係とともに、小川公民館の役員として様々なイベントに参加した。
 公民館の主なイベントは、小川区民盆踊り大会と御柱祭宵祭り、そして小川区民敬老会だ。
 盆踊り大会に出演していただく子ども木遣り会のリハーサルで指導にあたっている保存会の守屋さんが「盆踊り大会の音響がとても寂しい」ということを聞き、急きょ独断で自作のスピーカーとアンプを持ち込み、盆踊りのPAを行った。
 それ以降公民館、三輪一関連のイベントのPAをやってきた。喜んでいただけるということもあるが、やっていてとても楽しかった。
 中学、高校と放送部をやって、機材オペレーションやコンテンツ運営の楽しかった感覚が蘇った。
 以前より老後のタスクを模索していたが、既存のコンテンツは有意義だが面白くない。これを契機にPA、オーディオ等を主体の活動を今後のタスクにしようと決め、誕生日の11月6日に「Sound Lab K-studio」”K-スタ”を立ち上げた。
 これから、仲間や支援者、顧客を募り、「楽しく、喜んでいただける」活動を目指したい。
 何となく状況の成り行きにまかせて生きてきた今までとは違った新たな冒険の始まりだ。

平成28年 7月28日 三輪一
撮影 平成28年6月12日三輪神社御柱祭見立式  平成二十八丙申年の諏訪は式年造営御柱祭一色に染まる。大社の御柱祭が終わると小宮の御柱祭だ。住居の小川は三輪神社(奈良大神神社分社)に大物主尊を祭る。組の御柱祭の記録係と参加し新たな経験を重ねている。インドア派の私には祭りというアウトドア炸裂のシチュエーションは苦手ではあるが、やればそれなりの感慨が湧く。
 祭りは社会の絆を深めるための起爆剤として先人が創り上げた作法。社会があって豊かな暮らしが保たれる。仕事も生活も遊びも社会が形成する市場を通じ価値を交換する。多様な個性の社会的個的観点の様々な化学反応が文化を前進後退を繰り返し現実社会を形成し続ける。形而下的(物質的)世界は有限。しかし形而上学(精神世界)は無限に発展し続ける。今の暮らしは幼い頃からすればSFの世界のような営みだ。幼心には想像すら出来なかった日々を送っているが、リアリティーバイアスは文化的化学反応の感慨を瞬く間に消失させる。
 先人の営みを想い今の有り様を顧みようとする神道の試みはその祭りに凝縮される。アダムとイブの原罪への贖罪、キリストの博愛、ムハンマドの奉仕、仏陀の慈悲、孔子の仁政、老子の無為自然は社会の中で共存共栄とし息づき続ける。そして無知無理解はその反動として現れる。
 本居宣長は過ちを正すことが人間に幸せと考える。仏教の経典の一つ「法華教」の中に描かれる火宅は無知無理解を救済する試みを説く。何れも自由への試みだ。
 今日も三輪神社御柱の寄付金を募られ複雑な思いをする私の自由はまだまだだのようだ。
 ギルガメッシュの自由の発見は今を生きる者の永遠の戦いだ。  

平成27年 5月30日 隼がやってきた
納車された2015モデルのスズキ「隼」  昨年還暦を迎え、前回の更新から2年半ほど経過し、その間娘の学校のPTA、地区役員、檀家のお寺の役員、地元神社の役員等こなし、バイクの趣味は継続していたが、それほどの進展はなかった。
 暇になったからという訳もあるかも知れないが、昨年国内販売を開始したスズキの隼が琴線に触れてしまった。
 FJR1300はXJ750Eの後継機としてツアラーとビデオ撮影マシンというテーマ。TMAXはGRANDAXSIで目覚めたスクーター趣味のバイクとは違う世界観を開示してくれる。XL1200Rはノスタルジックバイクへの回帰で想定以上の面白い世界を開いた。偶然所有する機会を得たR1100RSはジャーマンコンテンポラリーというJAPANコンテンポラリーとは一線を画する素敵な風景を描く。それで満足していればよいものを何を血迷ったか、隼のデザインに可愛らしさを感じてしまった。
 隼と言えば1990年代ホンダ、スズキ、カワサキという日本を代表するバイクメーカーが世界最速を競いウィナーの栄冠を獲得したアルチメットスポーツバイクの末裔だ。その独特な有機的デザインも他の無機的ラインを基調としたデザインの群れから際立つ。個性、個性といって無個性化する現代ファッションの希薄な自己主張は面白味が無い。現代経済が本来のアイデンティティーを見失い利益追求というステレオタイプ化しゼロサムゲーム(カタストロフィー)という滅亡へと舵を取る。教養の欠如が悲劇を招くという先人の教えはホライゾンの彼方だ。本当の個性は唯我独尊だ。異質なものこそ面白い。
 可愛らしさに絆され購入した隼。私の想定外のバイクだった。知らないことを知ることほど楽しいことはない。隼は私をどこへ誘ってくれるか未知数だ。謎解きこそ人生最大の快楽だ。  

平成24年12月18日 カインとアベル
アベルを死に導くカイン」  ヤハウェはアベルの供物を認めカインの供物を無視した。嫉妬したカインはアベルを殺し、カインの行方を神に問われ「知りません。私はアベルの監視人ではない」という嘘をつく。
 ユダヤ教は「正義」による世界の秩序を説く。洗礼者ヨハネに洗礼を受けた大工のキリストはヨハネの預言通りヤハウェの体現者となる。パリサイ人の自家撞着した教理、善悪の乖離を体現者キリストは悪人こそ救済される存在として正義を神の愛へとパラダイムシフトする。ユダによって体現者キリストの説く神の愛は紛れもないものであることが証明され、改心者パウロによって社会化される。
 ヤハウェは失楽園での労働に喜びを抱くアベルの供物を喜び、苦労するカインの供物は無視する。失楽園で楽園の如く過ごすアベルと失楽園を恨みながら過ごすカインは、現実を受け入れ喜びという価値を創造する者と現実を受け入れられない不満の徒へのヤハウェの評価だ。体現者キリストの明日を開く言葉を聴くマルタと過去の既成概念に囚われ歓待しようとするマリアへの評価も聴く才を持ったマルタをヤハウェは喜ぶ。マリアは頑迷化したパリサイ人と等しい。
 悪人正機、自らの過ちに気付いた時、世界の価値を体現し、価値を社会化する。過ちに気付けないと想定外という嘘をつき負の価値を社会化する。世界には秩序しか無く、社会は価値と負の価値の総和だ。社会価値は共存共栄、負の社会価値は弱肉強食。いまは負の価値が優勢だが過ちに気付く人=考える人(価値を創造する人)が増え負の価値を凌駕する日はやがて来ると願いたい。
 人は地獄の門に立たされた時、考え矛盾を克服する可能性が開かれる。絶望は幸福への一歩手前とも言える。  

平成24年6月 8日 VF
新妻比佐志著 「迷いが消える決断思考〜最強意思決定ツール『ビジュアルフューチャー』〜」  VF(ビジュアル・フューチャー)は娘の通っていた高校のPTAで知り合った経営コンサルタントの新妻さんの提唱するマネジメントメソッド。このVFを一般の方に解説した本を出版され、飲み会の席で「読みたい」といったら「買ってください」と言われてしまった。
 この「迷いが消える決断思考〜最強意志決定ツール『ビジュアル・フューチャー』」は人間の普遍的活動である「考え成長していく」行為をわかりやすく解説する優れた一冊だ。是非とも多くの方に読んで頂きたい。
 新妻さんと私とではアプローチもアビリティーもシチュエーションも違うが目的である「人生を楽しむ」という点では全くブレがない。成長は世界観のパラダイムシフト。好き嫌いという不条理な心からすべてを受容できる心へと経験学習するが、成長リスクとして絶望がある。しかし絶望なくして真理には至れない。絶望は真理に至る一歩手前だ。本書を手にして真理としての自分の人生の目的を発見する切っ掛けにして欲しい。そして目的無き目標の統合失調症の時代に目的ある人生を標榜する人が一人でも増えることを期待したい。
平成24年6月 3日 新田次郎生誕100周年記念
 諏訪市出身の作家新田次郎さんの生誕100周年を記念し講演会・シンポジウムが諏訪市文化センターで開催された。開演間近に会場に入ると満席の会場にロビーに特設された座席に座り聴講した。
 新田さんの作品というと山岳小説というイメージで読んだことがなく、諏訪市の広報で講演会を見て代表作として「八甲田山・死の彷徨」を読み始めたところだ。新田さんの御次男で数学者で執筆家でもある藤原正彦さんが父親の思い出を語る講演会と高橋千劔破さんMCに阿刀田高さんと西木正明さんをパネリストに新田次郎さんの人となりを自らのエピソードに沿え語られた。
 作家の視点から語られるエピソードには読書する側からは計り知れぬ懊悩がある。作品に登場する人物に語らせる作者の世界観によって読む者に実経験外の体験をさせてくれる。そして疑似体験を通じ映し鏡のように読み手としての自分が垣間見えるときがある。書き手も様々だしそれ以上に読み手も様々だ。締めくくりの中で識字率世界一の日本の未来は読書力によって培われる知性によって開かれる趣意が開陳された。
 文学は心に根ざし人間の体験を拡張する力がある。旅や登山に例えられ目的地や頂上の持つ意味は到達した者にのみ与えられる。私は今どのあたりにいるのだろう。
平成24年6月 3日 新田次郎生誕100周年記念
 諏訪市出身の作家新田次郎さんの生誕100周年を記念し講演会・シンポジウムが諏訪市文化センターで開催された。開演間近に会場に入ると満席の会場にロビーに特設された座席に座り聴講した。
 新田さんの作品というと山岳小説というイメージで読んだことがなく、諏訪市の広報で講演会を見て代表作として「八甲田山・死の彷徨」を読み始めたところだ。新田さんの御次男で数学者で執筆家でもある藤原正彦さんが父親の思い出を語る講演会と高橋千劔破さんMCに阿刀田高さんと西木正明さんをパネリストに新田次郎さんの人となりを自らのエピソードに沿え語られた。
 作家の視点から語られるエピソードには読書する側からは計り知れぬ懊悩がある。作品に登場する人物に語らせる作者の世界観によって読む者に実経験外の体験をさせてくれる。そして疑似体験を通じ映し鏡のように読み手としての自分が垣間見えるときがある。書き手も様々だしそれ以上に読み手も様々だ。締めくくりの中で識字率世界一の日本の未来は読書力によって培われる知性によって開かれる趣意が開陳された。
 文学は心に根ざし人間の体験を拡張する力がある。旅や登山に例えられ目的地や頂上の持つ意味は到達した者にのみ与えられる。私は今どのあたりにいるのだろう。
平成24年5月26日 BMW R1100RS
BMW R1100RS  好奇心には抗えぬ吸引力がある。BMW R100RSはバイクを乗り始めた頃の遠い憧れだった。その進化版のR1100RSは13年前のバイクだが伝統的なボクサーツインを守りながら現在のモデルのコンセプトを踏襲した革新的な構成をしている。前夜にバイクが納車され、高速を含む350kmのツーリングに駆った。
 昔小学生の頃同級生の子からチーズをもらって始めて食べ、こんなに不味いものがこの世にあるのかと思った。高校の頃友人にバイクを勧められたが全く興味が持てなかった。デオダートのツァラトゥストラはかく語りきを聞いてニーチェに興味を持ち19歳の時に読み全く意味不明だった。
 今ではチーズは普通に美味しい食べ物になり、バイクは生活の一部になっている。ニーチェの思想は生きる意味を与えている。ファーストコンタクトからセレンディピティーに至るタイムラグがある。
 人生は謎解きだ。好きだったものが嫌いになったり、嫌いなものが好きになったりする。一筋縄ではないから面白い。
平成23年12月 2日 ヴェニスの商人
ヴェニスの商人  忘年会の帰り妻に迎えに来てもらい立ち寄ったコンビニで「ヴェニスの商人」のDVDが680円で売られていて思わず購入しました。
 シェイクスピアのアフォリズムは喜劇といえども容赦なく連打される。
 「ヴェニスの商人」は言わずと知れたシェイクスピアの喜劇。厳格なる法廷で、怒りに駆られ慈悲を拒み正義を求める金貸しシャイロックに、1ポンド以下でも以上でもなく、証文に書かれていない血の一滴も許さぬアントーニオの肉の担保の返済を判決する。シャイロックが求める正義以上の正義を与える若き法学者、実はアントーニオに借金をさせる原因となった大親友のバッサーニオの男装した新妻ポーシャ。大親友を救ってもらったアントーニオは法学者への感謝の印に、妻から「決して無くしてはいけない」と言われた愛の誓いの証の指輪を渡してしまう。最後の指輪を巡る悶着の喜劇性は、この映画では美しいヴィジュアルと共に奇妙な緊張感によって払拭している。知る者と知らざる者の悲劇性を俯瞰する観衆はさながら天使の視点で眺め、妻に選ばれたはずのポーシャが夫バッサーニオに大親友のアントーニオの魂を担保に許しを与える座へと転換する様は、世界の妻は微笑みながら、そして世界の夫を震撼させる。
 やはり妻はお神さんなのだ。

PS.シェイクスピアのアフォリズムが頭の中でダンスして飛び回っている。棚卸ししたい。
 恋愛と友情が交錯する物語だが、恋愛については結婚によって放蕩三昧のバッサーニオが成長する。そういう意味では「マイ・フェア・レディ」の男女の関係が入れ替わった物語とも言える。マイ・フェア・レディはピグマリオンが下敷きといわれるが、ヒギンズ博士が言語学者、ポーシャが法学者、そして相手を高める点ではマイ・フェア・レディはヴェニスの商人が下敷きといった方が近いのではと思った。
 ポーシャの婚約シーンの台詞は圧巻だ。「(前略)今の私はすべてを集めても知れたもの。教養のない小娘。無学で経験もありません。でも幸せになることに学べる若さと覚えるだけの知能が備わっています。(後略)」この台詞は「無知の知」と解釈できる。ポーシャは古代ギリシャの女性哲学者ヒュパティア「考えるあなたの権利を保有してください。なぜなら、まったく考えないことよりは誤ったことも考えてさえすれば良いのです」成長するためには考えることが必要だ。考えること自体が無知の自覚だから、彼女が原型だと思った。
 アントーニオのバッサーニオへの友情は一点の曇りもない献身的な友情だ。死を覚悟し友に「お別れだ、自分を責めるな、(中略)どんなに君を愛していたかちゃんと話してくれ、そのあとで、君に真実のともがいたか判断してもらえ、君が友の死を悲しめばその友は死んで本望だ。ユダヤ人が深く刺せば俺は喜んですぐに君の負債を返す」。
 この曇り無い友情にインスピレーションを得て、あの太宰治の「走れメロス」の元となったバラード「人質」を詠んだのではないかと、、、これは考え過ぎか?
 憎悪と献身と慈悲、悲嘆と怒りと後悔、知性と愛情と友情を鮮やかに描き、目眩く万華鏡のように人を魅了する。多くの人に感動と影響を与えたのだろう。
平成23年11月 3日 sweet sweet pain
AOI sweet sweet pain PV  娘の通っている高校の体育館落成式のイベントで、同校出身の今年歌手デビューしたAOIさんのプチコンサートが開かれた。息子も同じ高校だったが、同じ学科の2年先輩にあたる。
 3イベント行われ、その2番目にAOIさんがカバー曲2曲を唄い、オリジナルの「sweet sweet pain」を同校のダンス部のバックダンスと共にサビの振り付けを会場全員で合わせながら行われた。「sweet sweet pain」は失恋の追憶を唄った曲だが、アップテンポでPOPな曲調なので、会場中大変盛り上がり、アンコールで再度「sweet sweet pain」を披露した。
 娘もバックダンスで参加し、大いに楽しめたようだ。子どもたちの(実は妻も)高校出身の歌手と言うことで親近感もあり、伸びやかな歌唱と共に楽曲も重たい気持ちを軽妙に表現し、AOIさんのファンになってしまった。
 PVは、高校の庭や教室、立石公園、石彫公園などで撮影された絵も入っていて楽しい。ご視聴ください。
(画像をクリックしていただくとYouTubeで視聴いただけます)
平成23年 7月24日 ラストコールサイン
Last Call  テレビが生活の一部になって久しい。小学校に上がる前に我が家にテレビが来たのは衝撃的な出来事でした。テレビが来た日の夜、家族で観覧していると飼い猫のミケが食い入るようにテレビを眺め車の走るシーンでのけぞるミケを見て家族で笑ったことを忘れることが出来ません。テレビは私の生活の多くの部分を構成するようになりました。
 テレビは様々なイメージを提供してくれました。熱電子の蛍光体との衝突による発光現象の濃淡の走査が眼球の残像現象とコラボし絵となり毎秒30フレームのパラパラ漫画が動画となる原理は時間という概念のイメージを広げてくれました。当時はまだ時間という概念を明確にはイメージできませんでしたが、萌芽させてくれたと思います。
 人間が言葉の語感によるイメージで行動する動物だと知ったとき世界はファンタジーに溢れました。そしてファンタジーの探求がライフワークとなりました。
 慣れ親しんだアナログ放送の終了は文明の息吹を感じさせます。これからもテレビは世界のファンタジーを提供し続け未知へ誘う窓口の一部を担ってくれると思います。
平成22年 10月22日 コスモロジー
宇宙の大規模構造  人は言葉で現実を比喩的に捉える文化的動物。そこから法則的概念を獲得してきた。概念は個人のクオリアが科学的創造活動によって見いだす要素法則だ。科学は百科の学術、沢山の比喩によって心理学(形而上学)的に自己と世界の関係性(クオリア)を構築している。その結果、悲劇的な絶望する不条理な世界観という自己評価の最低化から、条理な無矛盾の世界観による自己実現という自己評価の最大化へと成長する。個人の自己評価の最低化や最大化の社会的集合が社会の発展を帰す。現代は個人の成長が鈍化し自己評価の最低化が強い時代だ。結果、社会の発展が著しく低迷している。
 過去一次産業、二次産業、三次産業と社会化された経済活動は、次なる四次産業への進化が求められる。一次の農耕、二次の工業、三次のサービス化、四次は三次の要素最適サービスから全体最適サービスへの進化と思われる。要素サービスは人を束の間の満足しか与えないが、全体最適サービスは消費者の人生の最適化、QOLの最大化に他ならない。人生の全体最適する為のパラダイムは無矛盾のコスモロジーだ。無矛盾性は葛藤によってのみ達成できる。つまり矛盾から抜けだし人間の自然的、根源的自由の概念的獲得を意味する。これからは四次産業を創造することが可能な文明は日本にしかないと思われる。
 古事記の大国主命が祖先神である素戔嗚尊に会いに行き、試されそして祝福される件は四次産業の可能性を示唆させる。世界の多くの神話は葛藤を描くが、古事記は葛藤を超越する秀逸な神話は他にないユニークさを放つ。古事記の持つコスモロジーはコスモロジーのスーパーバイズとして世界最強だ。そもその幸福という概念は心理的法則を表現する概念だから、幸福の意味を識ればその人は幸福に祝福されるのだからその道筋を体現させるサービスこそが四次産業だ。

平成22年 9月1日 suwakawaほーむページ
 気が付くとsuwakawaほーむページも10周年を既に超えてしまった。昔から10年一昔と言うが、小4だった息子は社会人に小1だった娘は高2に、私の仕事も'08年に新規事業の公募に参加したが今年から別の仕事へ転籍となり、退職まで後4年となった。妻は変わらずパートに勤しんでいる。息子が車を運転するようになったお陰で外食時に夫婦で生中を飲めるようになった。
 10年前から持ち家の返済も楽になり始め'07年からバイクの趣味も復活し2000年に大型自動二輪の免許も取得した。現在はYAMAHA FJR1300、HARLEY-DAVIDSON SPORTSTER XL1200R ROADSTER、YAMAHA TMAXとビックバイク3台となり、10年前には想像もできなかった変化だ。国産車しか乗ったことの無かった私にSPORTSTERはバイクの楽しみ方の幅を広げてくれた。
 10年間の様々な出来事は出会いと別れの交錯した遍歴。そして次の10年は何が去来するのだろう。禍福は糾える縄の如し、人間万事塞翁が馬。果たして仕合わせでいられるのだろうか?未知のエピソードに畏敬の念を抱く。

平成22年 8月21日 ロードスター
HARLEY-DAVIDSON SPORTSTER XL1200R ROADSTER 2009MODEL BLACK  バイクを趣味にして30年以上経過し様々なバイクの個性を楽しんできた。現在YAMAHA FJR1300とTMAXという2台でその個性を楽しんでいる。
 ツアラーの原点はBMW R1100RSだが、ツアラーの必要条件はバイクでの長旅を満喫させるためのゆとり、余裕だ。そうした意味でツアラーを完成させたのはYAMAHA FJR1300と思う。'02modelのFJR1300を乗り始め、当初その大きさに疲弊する場面もあったが、10,000kmを走り旅を楽しませてくれる性能を実感させてくれた。

 スクーターの原点は言わずと知れたベスパだが、そのユーティリティ性、ファッション性にCVやラゲッジスペース等の機能性を追加したのは国産メーカだった。そしてビックスクーターを開花させたのはYAMAHA MAJESTYだったが、ビックスクーターの中でもTMAXは異色だ。スクーターにスポーツ性を持たせたTMAXはオートマチックスポーツとして日常性の使いやすさに操る楽しさを提供してくれる。
 2台に共通するのは快適さだ。スムーズで期待に充分応える性能と静粛性を持った優等生だ。日本の技術力の高さを証している。だが長所は時として欠点ともなる。こちらの要望を受け止めてくれるのは嬉しい、が時に多弁な会話も楽しみたい。我が儘な自己主張の強い独自の世界観を語る粗野な奴。頑なにトラッドを貫くロードスターは何を語るのか?

・・・・・
以前Grand Majestyを磨いていたら新聞代集金のおばちゃんが「大きいバイクだね。ハーレー?」と言た。それほどハーレーはビックバイクの代名詞となっている。知名度はステータスの最低条件だ。そして大概ハーレーの後に言う形容詞は「凄い!」である。何が凄いのか本人も解らず言うのだが、多分お世辞か冷やかしなのだろう。一度知り合いのFLHに乗ったことがあるが、その時の印象は何て乗りやすいバイクなんだと思った。そしてハーレーを所有してみてハーレーの「凄さ」が自分でも納得できた。それは日本で最も売れる大衆ビックバイク、乗り易くそして低い速度域でも刺激的なパルスを発生する発動機はマッサージ器のようなバイブレーションと楽器のようなサウンドで快感を与える。ハーレーもかつては超モダンだったのだが長い年月を掛け成熟させた。国産のコンテンポラリーバイクは楽しむためにはそれなりに新たな知識と技能(リテラシー)を求めるが、ハーレーの枯れたテクノロジーには新たな技能が不要だ。何も考えず直感的に楽しめるのがハーレーなのだ。
 そもそもハーレーを買う切っ掛けはFJRやTMAXを楽しんでいると免停領域のスピードになってしまうのが原因で、かつて高性能な2ストマシンで免停になりHONDAのシングルクォーターに変遷したときと同じ理由だった。
 友達がビジネスバイクのバーディー90で塩嶺峠を走行していたらハーレー軍団がカルガモ状態になってしまって「抜いてくれればいいのに」と思ったそうだ。ハーレーはビックバイクでありながら原付二種レベルのスピード域でも楽しめてしまう凄いバイクだ。これはハーレーを所有してみて解った。こうした高性能は国産車にはない。数値スペックを追い求め続けるメイドインジャパンにはこうした熟成した感性に訴えるスペックが欠落している。かつてのオーディオでもスペックの日本、洗練された感性の外国製という図式を思い出す。難解な国産バイクはマニア向けオタク文化で、解りやすさこそが大衆文化に求められる最高のスペックだと実感した。

平成22年 8月16日 地獄と極楽
地獄と極楽絵図

 檀徒となっている寺の盆行の手伝いに行ってきた。
 盆と正月には本堂に地獄と極楽の絵図を飾るが恒例となっている。地獄絵図はおどろおどろした内容だが画風はユーモラスに見える。ふと火車が目に留まり芥川龍之介の「地獄變」が想起された。
 地獄や極楽は来世の物語として語られるが、私には芥川龍之介同様に現世と思う。意識は現実を体験されたエピソードとしてしか認識でない。当然体験されない事柄は認識でない。必然的に人は無知である。例えどんな博学な人でも全知全能(神仏)ではない。だから人は知恵に対して五十歩百歩で平等だ。だから互いに教え合い学び合う。
 無知を仏教では悪と捉え、キリスト教では原罪と捉える。悪人(無知)である罪を知る人は謙虚だ。知恵を得ることに喜ぶ。逆に罪を知らない者は傲慢だ。狭い見識(好き嫌い)で世界を計る。必然的に世界は矛盾だらけの不条理としてしか見えない。
 謙虚な人間にとって世界は無限の知恵に満たされたワンダーランドだ。そして真理に至り人としての自由を体現する。傲慢な人間は満たされぬ思いに心は満たされ、自分すら憎み出す。
 真理は単純だ。真理は心理であり、世界(自然)が無限に進化するように心は無限に成長する法則だ。仏教では人は地獄に生まれ極楽に至ると説く。生涯成長することで苦楽は白日夢に過ぎないと知る。そして深い悲しみ(無知としての存在)と喜び(知恵の発見)、そのような存在(人間)であることに感謝する。知恵の発見の喜びを知らない者は知恵に対する恐怖と怒りに恐れ戦く。地獄を生きるか極楽を生きるかは本人次第だ。

平成22年 8月7日 いまテレビ
いまテレビ SONY BRAVIA KDL-46EX700  居間のテレビは5年前アナログTVの故障で32インチ液晶テレビを使用していたが、見慣れると少々小さく大型化したいと以前より考えていたが、ここにきて価格も下がりエコ家電補助でコストは更に安価になるということで、当初は52インチを検討したが設置に難があり46インチの液晶を購入した。設置してみると写真の通り46インチでもギリギリであった。それでもコストは5年前の32インチテレビの半値以下。
 フルハイビジョンのパネルになり高画質になり画像処理エンジンも進化しパネルが大きくなっても見やすくなっている。付加機能も大幅に強化され、インターネット動画配信をコンテンツ込みで標準で装備している。LAN経由でPC内の動画や音楽データを再生するDLNAも搭載し、早速PCにサーバーソフトをインストールしてみた。一々DVDで再生しなくても、LAN経由でPC動画が見られるのは便利だ。PCで編集したビデオもPCよりTVで見た方が格段に綺麗だ。こうなると、ビデオ編集もハイビジョン化したくなってしまう。
 AVアンプをオートパワー付のOAタップで電源のON、OFFをしているが、新しいTVはLEDバックライトで省電力になり再設定しなければ使えなくなった。大型化し性能が上がり更に省エネ化し5年間での技術進歩を感じさせる。
 近年の工業製品の高性能化、低価格化には目を見張るものがある。しかしそれが経済発展の決定的打開策に至らずリーマンショックからの立ち直れずにいる。リーマンショックは自由主義経済が持つリスクとして以前より「コモンズの悲劇」と言われているが、同じ過ちを何度も繰り返している。技術は確実に進化しているが経済構造は逆に劣化している。経済が健全化するためには技術だけでなく、新たな経済的枠組みが必要なのかもしれない。

平成22年 3月27日 CAMRY
カムリ 2003年モデル
 平成9年から私の足として活躍していた1992年モデルのカムリも12年4カ月で11万kmを走り、大幅な修理が必要となってきたので、修理か買換かの選択肢の中からお世話になっている車屋さんで2003年モデルのカムリに買換を決め今日納車となった。
 二十歳から車を足として使うようになってから35年間で6台目となる車だ。その中でもカムリは12年間と最も長く活躍してくれた。普段の通勤から家族旅行と遺憾なくその性能を発揮してくれた。カムリは欧米向けのカローラの様な大衆車で、トヨタ80点主義の最高傑作だ。そつなく当たり前を無難に全うすることは簡単そうで難しい。12年間カムリを使い続け高次の凡庸性に信頼感を高めその期待を込めポストカムリもカムリとなった。この車もまた10年以上は乗り続けるのだろう。

平成22年 2月6日 ポニョ
崖の上のポニョ  宮崎駿作品「崖の上のポニョ」がテレビ上映された。
 宮崎作品はカリオストロ以来楽しみに観てきたが、知名度が上がるとは逆にその作品への関心は薄れた。カリオストロをはじめ、ナウシカやラピュタのようなスペクタクルな作品は影を潜め、久しぶり(といっても13年前だが…)のもののけ姫はディテールは美しいが躍動感の薄い平凡な作品だった。
 ポニョはメディアでの喧噪とは裏腹に関心が全く持てなかったが、テレビ上映ということで家族と鑑賞した。作品を見ていて宮崎駿が帰ってきたと思えた。と同時に手塚治虫が心を過ぎった。
 手塚治虫の作品は一貫してデモクラシーをオマージュし続け、日本まんがの魂を具現したパイオニアだ。宮崎駿作品もデモクラシーをオマージュするが、手塚の葛藤し苦悩する主人公ではなく知性の善性を無垢に信じ抜く楽観性がある。ポニョの世界はいままでの宮崎作品のエッセンスを凝縮し独創的なダイナミックな映像描写で人と自然の和解を描いて魅せた。

平成21年11月8日 TMAX
昨日納車されたTMAX  ポストGrand MajestyとしてチョイスしたTMAXが納車された。
 期待と現実にはいつもギャップがつきまとう。そういう意味でTMAXにはカルチャーショックがあった。少々地面が遠くなったシートに跨ると、旧TMAXより尖ったデザインで大柄に感じさせる外観とは裏腹にコンパクトだ。重いはずの車重も左右に振ると軽く感じさせる。充分消音されたツインエンジンは、風切り音でエンジン音がかき消される領域まではメカノイズと排気音の混じり合ったノイジーな軽い音だ。Grand Majesytの主張の強い単気筒とは趣が大きく異なる。Grand Majestyと比較すると、排気量は倍になったが、ライディングインプレッションはまるで125にでも乗っているような感覚にさせる。
 カタログスペックから勝手に作ったイメージはことごとく裏切られた。重厚なハンドリングのGrand Majestyと比べると軽快なハンドリング。エキゾーストノートも軽い。エンジンの吹け上がりも軽快だ。街乗りではもの足りなさを感じさせるフィーリングだ。しかし、Grand Majestyが苦手だった登りのワインディングに踏み込むと事情は一変する。軽快さと、トラクションコントロールを自在にさせるパワーフィールはマニュアル車にはない自在度を提供してくれる。
 TMAXとの旅は始まったばかりだ。思想が世界を規定するように、道具にはその道具が持つ世界観がある。TMAXはこれからどんな世界へ誘ってくれるか楽しみだ。

平成21年11月6日 11月6日
ヒカルの碁 完全版 DVDBOX  11月6日は私の誕生日であり、父の命日である。
 私が嵌ったアニメ、「ヒカルの碁」の完全版DVDBOX、完全予約制で発売され、事前にAmazon.comで予約し、この日に届けられた。
 マンガは私にとって教科書のようなものだった。中学までは自分でも同好会でマンガを書いていた。
 戦後マンガのオピニオンリーダーの一人、手塚治虫は作品にヒューマニズムを取り入れた。心の自由の希求であり、自由を阻害する困難への挑戦がテーマだ。それをSFやファンタジーという形式で数多の作品へと昇華させた。しかし、マンガを書くのが好きと言うだけで、単なる模倣しか描けないことに挫折感を抱き、その思いは読書へと変化し、とくに形而上学へと私を誘った。
 形而上学というと何やら不可解なもののように思われがちだが、簡単に言えば人間とは何かを考えることだ。人文科学とも言える。宗教、哲学、芸術、文学といったものがこれに含まれる。こうした研究から心理学という実用的な学問の基盤へと発展して、現代では脳科学へと昇華している。物質的側面を研究する物理学と、その物理を認識する人間の心理的な側面は真理の表裏を成し、古代ギリシャでは弁証法(矛盾の克服)という考え方があり、考えることの無限性から、精神の自由へと帰結していく。自然の進化が無限であるよう、精神の進化もまた無限である。進化し続ける限り心は自由であり、留まれば心の死へと誘う。
 知識は心理(思想)が見出す物の理であり、五感が見出す現象を第六感が概念化する。言わば、思想というハサミやノリによって、五感的感覚を言葉という形式に結論づけたものである。そして世代をまたぎ精査され精緻化されていく。今日的に言えばPDCAと言えば分かりやすい。重要なのはPDCAは無限ルーチンでありネバーエンディングストーリーだ。この無限に立ち向かう心の自由が未来を創造し続ける。
 文化や文明の進化は人類誕生と共に面々と続けられ、人類が存続する限り続けられる最善の探求である。
 「ヒカルの碁」は平安時代の「神の一手」を目指す棋士の魂がヒカル少年へ憑依し、強者に対する畏怖心をときめきめきへ昇華させながらプロ棋士へと成長していく様を描く。平凡と非凡の境界を美しく際だてさせる作品だ。私は碁がわからないため逆にストーリーの心理的側面が際だって印象づけられる。その印象は様々な形而上学的概念を想起させた。
 「ヒカルの碁」はルソーの「エミール」に勝るとも劣らない教育書のように思えた。

平成21年10月15日 さよならGrand Majesty
おわかれしたGrand Majesty  2004年6月19日にポストGrand Axsisとして購入し、5年4カ月間、28,953km乗り続けたGrand Majestyとお別れした。
 別段不満があったわけではないが、Grand Majesty購入選考時に最も競ったTMAXへの思いが再燃してしまった。
 TMAXは昨年フルモデルチェンジし、Grand Majesty同様アルミフレームとなり、Grand Majestyでも体感した剛性感がTMAXにも追加された。またモデルチェンジでショート化しエアプロテクション機能を落としていたスクリーンも標準のラージとなった。TMAXの私的イメージカラーだったイエローも今のうちなら入手できる。いずれ今後のモデルチェンジでショートスクリーンや色の変更を受けるだろう、と思うと今のうちかな…などと思ってしまった。
 TMAXも入荷し定番のグリップヒーター、グリップカウルの取り付け、更にETCも取り付けることにし、オプションの追加作業中だ。
 コミューターとしてのスクーターの楽しみを教えてくれたGrand Majestyに感謝したい。

平成21年8月15日 コモンズの悲劇
 生態学者ギャレット・ハーディンが1968年に発表したコモンズの悲劇という心理的現象は社会的動物である人類を常に脅かす。文明の発展と共により細分化された個人の意識は全体性を見失い絶望へと直走る。日本も明治維新で西洋文明を取り入れ国際化を果たしてきたがデモクラシーは太平洋戦争終戦によってもたらされた。
 日本は内文明と外文明を融合し発展してきた。そして東洋と西洋の接点を最も高次化する可能性を持った存在となった。東洋の統合的世界観と西洋の個人主義的世界観を統治し、心理と物理の調和をクリエイトするセンスは秀逸だ。しかし実世界は調和とは裏腹に衰弱を強めている。
 コモンズの悲劇は、社会科学のアノミー、経済学のモラルハザード、といった反社会的、反経済的活動によってもたらされる。80年前の大恐慌は第二次世界対戦へと発展した。今の世界恐慌は人類を何処へ誘うのだろう。


平成21年7月12日 今世紀最大のショー
ようこうが捉えた太陽のX線写真  7月21日は今世紀最大の天体ショー、皆既日食が観られる。太陽と月と地球の位置の関係で最大6分30秒と今世紀最長の日食時間、インド、ムンバイに始まり上海を通過し鹿児島県吐喝喇列島で観測でき、最多の人類が観測されるとされる。全国でも部分日食が観られる。
 生命は太陽が放つエネルギーの恩恵によって存在できる。地球の全ての生命は太陽系の進化によって育まれた。そもそも生命を構成する元素はかつて太陽だった星々の超新星爆発によって放出された物質によって賄われる。生命はまさしく太陽の子孫だ。
 神道の最高神である天照大神も太陽の比喩だ。人は知性によって存在する現象を理解する。人生はまさしく太陽の贈り物だ。太陽を仰ぎ見ることが出来る心は太陽によって与えられた自由に畏敬の念を感じられるのだと思う。そして最善を知ることができる。

平成21年7月9日 人間失格
太宰治 ガリレオ  6月19日は太宰治の生誕100周年だった。「人間失格」は自意識の閉じた世界に埋没し絶望していく人間を描いた悲劇の傑作だ。心が描く世界は自由で同じ世界はない。脳という1000億のニューロンがバックプロパゲーションによって創り出すイメージだから同じになることなどあり得ない。人は言葉を発明することで自我に目覚め、言葉によって世界を開拓し、やがて自分という存在が世界の一部であることを認識する。そして存在している事への熱い思いが心を充足させる。しかし、好奇心や探求心が著しく衰弱すると世界は嫌悪感の重力で崩壊し生きる余地を失う。
 今年は奇しくもガリレオが自作の15倍望遠鏡で天体観測をしてから400年の世界天文年だ。ガリレオはアリストテレスの落体の法則を批判し運動の相対性を発見する。しかしカトリックの世界観を逸脱したとして幽閉の生涯を送ることになるが、その絶望の中で「新科学対話」を著し、科学の発展に寄与した。
 共に心のしるべを養う秀逸な作品だ。

平成21年3月15日 LivingStation
EPSON LivingStation ELS-47P  寝室のテレビが壊れ、行き付けの電気店で中古のバックプロジェクションテレビに買い換えた。今までの25インチから一挙に47インチのテレビは圧巻だ。早速DVDライブラリから「十戒」と「天地創造」を観てしまった。
 十戒は中二の時に観て感動した映画だ。それまで観た物語のどれよりもスケールが広大だった。十戒は出エジプト記、天地創造は創世記と聖書に記された史書で、世界を語る。古事記にも通ずる先人が描いた文化の変遷であり、今日へと脈々と受け継がれる知識の原型でもあり知性の試みだ。試みの連鎖が今日へ受け継がれ現代という状況を生み出している。
 バックプロジェクションが描く絵は液晶テレビと比べドットの粒子が穏やかに拡散し、絵画的だ。アナログ放送とデジタル放送の乖離は柔らかい。NTSCのDVD画像を大画面で楽しめた。
 LivingStationは我が家ではBedroomStationとなっている。
平成21年3月3日 男と女
 NHKのドキュメンタリーで科学的アプローチによる男女の差をレポートしていた。男の脳と女の脳の違いは、男は空間認識で女は記憶だそうだ。進化の過程で獲得する男女の機能差は男の狩猟と女の採取と分節する。守りの女とトレジャーハントの男と言えるかもしれない。どちらが優れどちらが劣るという話ではなく、両方があって人間としてバランスするのだろう。
 近年、社会は守りの傾向が強まってきたように思う。新たな価値の創造というトレジャーハント要素が弱まり、既存の価値観の中での奪い合いが目立つ。国際政治、国内政治、経済、いずれも目新しい提案より、価値の奪い合い、足の引っ張り合いが目立つように思えてならない。
 現代のライフスタイルは一面的には快適さを増した。便利な道具、サービスを享受し不自由さはかなり改善されてきたと思う。それで満足度が向上したかというとそうでもない。どんな素晴らしい道具、サービスもその心が通じなければ無意味だ。心は自分に無いものの発見だ。無いものを感じ取ることによって素晴らしさやありがたさが理解できる。
 守ることと新たな価値の発見という両方があって、心は喜ぶ。新しい発見の減少は、心の衰弱をもたらす。
 法令化されたメタボリックシンドローム対策は身体の新陳代謝異常だが、その本質は心の新陳代謝異常だ。人に与えられた心を衰弱させ、古い脳による条件反射は絶望へと誘う。悪夢を育むのではなく素敵な夢を育みたい。
平成21年2月1日 エンタープライズ
YAMAHA FJR1300 '02MODEL
        身延道南部町「うな富士」ツーリング  XJ750Eの後継機、FJR1300 '02モデルが我が家にやってきた。XJ750Eのコンセプトはサンダーバード2号だった。そしてFJR1300はスタートレックTNGのエンタープライズ号だ。
 「宇宙、そこは最後のフロンティア」で始まる理想の探求をテーマにしたSFファンタジーに胸ときめかした。塀の上を歩くハンプティーダンプティーの様に理想の門は狭く危うい。
 ツーリング嗜好の私にはツアラーのFJRは理想のようにも思えるが、大きさには少々引ける。(大きいという意味も含めてエンタープライズなのだが…)我が家での駐車スペース選びにあれこれ押し歩き、軽い筋肉痛になってしまった。FJRの大きさと重さは一番の懸念だ。
 暖かさを求め身延道を南部町まで行ってきた。走っていれば快適なFJRだが、なぜか肩が凝ってしう。XJも乗り始めた頃肩凝りがあったが、慣れるまでは身体が緊張してしまうのだろう。
 理想と現実のギャップが進歩を生む。メカ的には理想に近いが使う側が理想とはほど遠い。試行錯誤しながら新たな旅を楽しみたい。
平成21年1月5日 そったくどうき
NHK土曜ドラマ「フルスイング」  あけましておめでとうございます。
 昨年に暮れにビデオレコーダーに誤って録画されたNHK土曜ドラマ「フルスイング」。 天才打撃コーチ高畠導宏さんが1年間高校教師をした実話を下敷きに作られたドラマだ。ドラマの世界に惹かれDVDボックスを購入してしまった。出演者(特にランちゃん)も主題歌(夏川りみ「あの花のように」)も素敵だ。
 本当に大切なものは眼には見えない、人間だったら誰もが持っている変化する力を信じ、待って、絶望を夢見る力へと変え、真正面から自分に向き合い本気で生きる力を引き出してくれる、そんな素敵な教師。
 眼には見えない心を仲間を信じ合いチームプレーで、1+1を3にも4にも10にも変えていく。命燃え尽きるまで自分の信じた道をひたすら愚鈍に直走り、くじけそうな心に追い風となって過ぎ去っていった人。
 人生は苦しむためにあるのじゃない、楽しむためにある。眼を少年のように輝かせ、情熱を時にはうざく、時には暖かく、どん底を知ってるからこそ夢しか見えない人。個性的に人を輝かせる。「気力とは諦めないこと」と卒業生に餞を送る。
 口にすれば空々しい科白を見事に実在感を与えている。
 勇気が凝縮され結晶したようなドラマだ。本当に素敵な輝きを放つ世界を見せてもらった。
平成20年11月10日 伊豆の踊子
宿泊したエクシブ伊豆の
ベランダ続きの庭に咲いていた寒椿の蕾  8日、9日とバイク仲間2人と伊豆へツーリングに行ってきた。伊豆方面のツーリングは雨が多く、今回もあいにくの天気で雨のツーリングとなった。
 初日は目的のレストランで昼食を食べ、散策のあとイクシブ伊豆で宿泊。次日はオレンジセンターでオレンジジュースを頂き、もみじ饅頭に似た伊豆の踊り子饅頭を家族土産にし、施設内の伊豆の踊り子博物館を見学。
 この博物館は無料で、二部構成になっており、伊豆の踊り子に纏わるエピソードの展示と裏の部は江戸時代の大らかな性文化の展示となっている。性描写の浮世絵や男根信仰の像など展示され、昔の人の性に対する大らかさと、そこに込められた子孫繁栄の思いが垣間見られる。
 紫式部の平安時代は一夫多妻制で、夜這いは男女の挨拶程度の意味合いだったらしい。式部自身夜這いをされた記述がある。江戸の太平は大らかな庶民文化を育むが、明治維新の西洋化によって混浴の禁止や、男女の愛の形はキリスト的な潔癖さへと遷移し、男女間に性差を超えたギスギスした溝が作られ日本的大らかさは衰弱した。今年亡くなられたギャク漫画の開祖赤塚不二夫さんは、多くの後輩の育成に尽力され、その一人タモリさんは弔辞で「私はあなたの作品です」と言って故人を偲んだ。赤塚さんは二人妻を娶ったが、後妻と結婚する切っ掛けは前妻の推奨であった。
 「伊豆の踊り子」の作者川端康成の文才は独自のレトリックに昇華され人生の温もりと悲哀を鮮やかな色彩の中に封じ込め、自らの人生にオーバーラップさせた。
 悲劇は自分に目覚めを促す夢や希望の喪失した人間群像を抗う。
 人の人生の数奇さはまさに壮絶な悲哀を生きた司馬遷が『史記』に描く「禍福はあざなえる縄の如し」だ。
 鬱蒼とした空模様の伊豆の海沿いの景観を、オーディオから流れるELP「展覧会の 絵」のエモーションの遠い風景と共に心に投射された。
平成20年10月28日 空即是色
知恩院 三門
        空・無相・無願の三解脱門  27・28・29日の三日間、檀家をさせてもらっているお寺の旅行で滋賀・京都・福井三府県の寺院を詣でてきた。中日に浄土宗総本山・知恩院を訪れた。
 宗教・哲学といった形而上学は心の科学だ。人が人であることに自覚し、人を全うする規範を示す。
 人道を尊ぶ社会であっても人の道を見いだすまで人は無邪気だ。社会は人道と無邪気の闘いでもある。人道が勝れば幸福を成就し、邪気が勝れば滅びる。
 幸福と絶望は紙一重の表裏だ。いや同じものなのかもしれない。それを分かつ知性の有無なのかもしれない。
 人は望むものにしか成れないのだから。
平成20年 8月27日 晴耕雨読
北京国家体育場「鳥の巣」
photo by Wikipedia  数々のエピソードと数々の感動を残し、史上最大規模の北京オリンピックが終わった。
 夢を夢見、夢に届く者、及ばぬ者 不可能に挑みそれぞれの神話を紡ぐ。ハレの時は過ぎ去りケの日々が目覚める。夢から覚醒する夢。人生は束の間の夢に過ぎない。どんな色 どんな音色 どんな香 どんな味わい どんな感触の夢を紡ぐかは自由だ。
 センターポールに掲げられた日の丸と古今和歌集の詩を元にする唄は嘗ては君主を意味し今は個性を意味する。時の移ろいを経て人は自由に至る悠久の時の移ろい。夢の成就は受け継がれる夢の入れ籠。無常の受容は時空を意味づける。
 夢のコラージュは鍛錬の時へと対峙する。
平成20年 6月1日 木曽路・赤沢森林鉄道ツーリング
 いつものおやじ仲間と「木曽路・赤沢森林鉄道」ツーリングに行ってきました。

 今回はXJ-750E前方とFZ-1の後方にオンボードカメラを取り付け撮影をしてみました。
 その中からFZ-1が捉えたXJ-750Eの画像をアップしてあります。
 19号から260号、437号と赤沢森林鉄道に向かって走り、437号のループ橋が見られます。

ツーリング足跡

ツーリングルート


BGM
Van Halen「1984」から「Jump」
沖仁「Nacimiento 〜誕生〜」から「雨上がりのマーチ」
平成20年 5月29日 ジョハリの窓
平成20年 4月11日 Earth Rise
Earth Rise
(C)JAXA/NHK  TBS「金スマ」に今年の2月艶歌デビューしたジャロが出演。好きな言葉が「一期一会」と言っていた。大好きだったお祖母ちゃんが艶歌が好きで、幼い頃から艶歌を唄うようになり晴れてプロとなった。ヒッピホップな容姿から紡がれる情感は日本人が失い欠けている心像を感じさせる。

 写真は「かぐや」のハイビジョンカメラが6日に撮影した、月面越しに望むまったく欠けていない地球の画像。60億の地球人と地球上に生まれた生命全てを育む星。倒錯した知性はその存在を見失ってしまう。

 ジャロがリクエストに応え「契り」をワンフレーズ唄った。
 「愛する人よ美しく、愛する人よ健やかに」
 この情感クオリアが世界を満たすことが出来たならば、世界はもっと素敵になれるだろう…
平成20年 3月30日 2001年宇宙の旅
アーサー・C・クラーク原作
スタンリー・キューブリック監督
「2001年宇宙の旅」  「2001年宇宙の旅」の原作者、アーサー・C・クラークが3月19日スリランカで死去した。訃報はNHK「視点・論点」の芥川賞作家の藤原智美さん「検索から思索へ」というコラムで知った。
 「2001」の世界は進化したコンピュータ、HALの叛乱が主題でしたが、現実はネットコンピューティングという新しい世界を作りだした。藤原さんはネット社会の弊害としてコピペ論文を指摘し、コラムテーマの「検索から思索」へとコードする。文明進化は人間の自由度を高め、時空を情報化する。様々な状況下で情報リテラシーを有する者と無い者との格差は拡大する。解決する手段は思想でも、政治でも、宗教でもないと思う。孔子、キリスト、ソクラテス、仏陀は優れた思想家ではあったが革命家ではなかった。彼らの理想は未だ遙か彼方だ。彼らの思想を斬新し続ける活動は唯一健全な経済活動だと思う。思想は優劣し、政治は貧富し、宗教は貴賤する。これらの価値から経済は解放しようと試みる。自由を付与するパッケージだけが生き残る。
 優れた思想家が敗者であるよう、勝者の思想家は社会を堕落する。優れた思想家は未来への種子を蒔き、愚劣な思想家は種子を枯渇する。種子を育み、守破離の華を見たい。
平成20年 3月23日 ガロ
集結したおやじ軍団のバイク達 ガロのミックスソースカツ丼  厳しかった寒さも穏やかな気候となり今年1回目のおやじツーリングは肩慣らしに駒ヶ根のソースカツ丼、軽食喫茶「ガロ」へと5台のバイクが集まった。
 SoundSystemから流れる山下達郎をBGMに日々暖かさを増す伊那谷へと快走する。駒ヶ根のソースカツ丼がローカライズされ多くの店舗がその味を競う。その切磋琢磨が集客を増し共存共栄と繋がる。「ガロ」も開店30分前に到着し開店待ちの行列に並んだ。
 今月から仕事も現場から開発業務へとトラバーユし、新たなビジネスモデル開発するメンバーとなった。現場での与えられた業務遂行上のリスク回避を模索する日々から、時代の流れと会社の現状との相互作用からサムシングニューを模索する。幾年生ける今も過去の栄枯盛衰の積重の上に成り立つ。衝動的情動性の自然淘汰は文明という足跡を残す。自然性を失うとき刹那の情動に進路は絶たれ、心を養う思索力が未来の希望へと導いてくれる。未来は常に未知だ。その未知をどう造形するかは意思が決めてゆく。不易流行、新しい風波に心身を委ねたい。
平成20年 1月1日 平成20年1月1日
 今年の新年は年賀の挨拶もなく、淡々と時間が流れている。
 日々刻々と変化する世界は、心に思い出として刻まれていく。気に留めなければ何もなかったような日々だが、しかし確実に、静かに、穏やかに、時に劇的に。
 「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」と芭蕉は語る。宣長は過誤を正す新たな発見と捉える。文化は「文」「化」という思い出を言葉に代える。思い出は世界を構成し、そして言葉にならなかった、捨てられた思いは深く静かに心の底に留まる。そしていつの日かその思いを発見する刹那に出会う。デジャブのように。
 言葉は20万年隔て先人が鍛え上げた人間の自由の象徴だ。そして、自由で在られるよう自然と共に進化する。

平成19年 11月6日 平成19年11月6日
亡父の葬儀  11月6日は私の誕生日だ。今年で53才になった。そして今年の誕生日は父の命日として特別な日となった。
 22年前に母を膵臓癌で亡くし、父も1年間の闘病の末、肺癌の全身転移で帰らぬ人となった。
 子は良くも悪くも親の背中を見て生きることの意味を知る。意味という独自の世界観が生きていくメルクマールとなる。父から学んだことは、心は如何に自由であるか、その自由をどの様に行使するか、だ。心は喜怒哀楽の万華鏡を不易流行の遍歴をし続ける。決して同じ風景はない。宮沢賢治はその詩集で「私という現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」と表している。賢治にとって人生は輝けるシンフォニーであったのであろう。その風景の中に活かされ自らの想いをリフレクションする。
 人生は自己存在のコメンタリー。様々な経験から何を感じ、どの様に意味付け、如何に行動するか。考えるという事は無限の連鎖だ。だから同じ感性は存在しない。異なる感性が共に協調し文明という人為的状況を生み出す。デモクラシーはその現象を自然的概念性として無限の継続性を模索する。知的動物として作られた人間の運命だ。知性は運命を開拓する。私はそう思っている。父を見てその様な思いを作った私を見て子供達はどう思うのだろう。

平成19年 10月14日 Google Earth
Google Earth
        衛星から見た我が家周辺  21世紀も7年と10カ月目に入った。ポータルサイト"Google"のサービス"Google Earth"で衛星から見た我が家を見ることも出来る。世界は小さくなった。無限に思えた宇宙も137億光年の時空となり、人類は円周4万kmの地球の表層数キロの空間にしか生息できない。神の僕の人類は神に次ぐ全知全能という思いも、世界や自分自身について殆ど知らないことを悟った。唯一分かったことは人も宇宙の一部に過ぎない、ということだ。
 これは悲劇か?喜劇か?ミステリーか?サスペンスか?ロマンスか?
 人は20万年前に巨大な大脳新皮質を獲得した人類へと進化し、その高い学習能力によって文明を発展させてきた。学習は高次な概念の創造と物質的な自在性の獲得。原始的な脳は生存性を図るため恐怖と怒りによって危険を回避するが、文明というシェルター内では新皮質の学習を阻害する要因になる。孔子は「人間は常に考える、稚拙さは考えなければならない状況でパニックに陥る」と表現した。悲劇や喜劇は無知が生み出す。ミステリーやサスペンスは課題提起。ロマンスは人間だけが抱く夢や希望。歴史は原始的な脳と新皮質の闘いだ。
 盤石と思えた文明も地球というバイオスフェアを枯渇させる危機に人類を陥れた。人類史を悲劇に終わらせるか、無限のロマンスを創造し続けるか、今も係争中だ。

平成19年 9月27日 It'a SONY
SONY NW-EO16/VM  音楽ライフに革命をもたらしたウォークマン。始めて購入したのは30年前だった。カセットテープがCDやMDといったメディア革命を経てCFメモリーの時代と進化した。始めた購入したメモリープレーヤーはSONY MW-MS7というモデルだった。新規趣味で購入したものの、64Mの容量はアルバム一枚しか入らなかった。専用ソフトでなければ曲を入れられない、充電池が保たない等不満ばかりを感じ、以降は安い1G以上の容量とファイルをドラッグするだけで再生でき、電池交換できる海外モデルばかり使用してきた。
 私所有のMP3プレーヤーも6台と増えたが、プレー毎テーマ別の音楽をコンピレーションし、使い分けている。HDDタイプの大容量は魅力的だがHDDという精密な機器を持ち歩く不安がつきまとう。精神衛生上と小型軽量という点ではメモリータイプが圧倒的に有利だ。
 SONYから発売されたNW-EO16/VMというモデル、4Gタイプとしては安価だ。去年子供達のクリスマスプレゼントとして購入したNW-S603Lという1Gタイプと大差ない価格だ。バッテリーの保ちも良い。電池式が約10時間に比べ30時間と長く1時間でフル充電する。ということで購入した。
 不要と思っていたアルバムジャケット表示も所有してみると楽しい。操作のレスポンスの良さも心地よく、プレイボタンとほぼ同時に再生開始する。操作系も洗練されいてアルバム単位、曲単位の選曲も実にスムーズだ。音質もSONYらしく安定感のある洗練された音作りだ。付属のイヤホンも過不足無く秀逸だ。
 ライブアルバム等では曲が連続しているが、MP3プレーヤーは曲間に間隙ができてしまう。諦めて使用していたが、このウォークマンはアルバム内での曲間のポーズがほとんど無い。オリジナルの雰囲気を損なわないこの機能に最もサプライズを感じた。
 ライフスタイルを改善するのは、心掛けも大切だが、やはり科学技術の進化する力は絶大だ。心の自由を本質的に高める新たな知識は科学することで発見できる。
 SONYの技術力を感じさせる逸品でした。

平成19年 9月8日 アトムの子
オヤジ仲間のツーリング
        右端のXJ-750Eが私の愛車。  とあるリゾート情報誌に「バイクは自由の象徴であり、嘗ては若者の乗り物だったが現代では中年の乗り物となった。」と紹介されていた。確かに私の知り合いのライダーは中 年ばかりだ。その仲間と台風一過の好天の中、野尻湖の蕎麦屋へとツーリング。昼食後は露天風呂で心の洗濯。オヤジツーリングの定番パターンである。
 基本はバイク好きだが、それだけでは物足りない。それぞれに凝ったバイクライフを過ごしている。私はツアラー志向で往年のスポーツバイクにパニア(荷物収納用ハードケース)やナビ、自作のバイクオーディオ等を搭載している。手持ちのCDをMP3プレーヤーに入れ聞いている。今日は山下達郎のオンパレードだ。帰りの中山道でアルバム「ARTISAN」の「アトムの子」が掛かった。
 手塚治虫の「鉄腕アトム」をテーマにした愛と勇気を鼓舞する音楽だ。中年は、アトムを観て育った。手塚は戦後漫画にデモクラシーをもたらし、不条理に立ち向かうヒーロー達の原型を創出させた。夢を見続けメカをこよなく愛する志向はこうした作られたのであろう。夢見る自由な意思が力となり未来を築く。夢の欠落は悪夢をもたらし、成就しない魑魅魍魎に心は蝕まれる。そんな思いが9月の晩夏の信濃路に風のように吹いた。

「日本国憲法」 第10章 最高法規
第97条[基本的人権の本質]この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

平成19年 9月5日 Fran
明治製菓 Fran 「香り変身」篇より  明治製菓のおかし「Fran」のCMに嵌ってしまった。
 スターマインのように煌めきながら変化する沢尻エリカさんの七変化の映像と平井堅さんの音楽の醸し出す華麗な世界に心は魅了された。
 千変万化する世界とそれを捉える心は自在だ。美の感覚は刹那的空間表象として心を掠めてゆく。諸行無常の世の中、最善も最悪もそうそうはないけれど、時々心ときめかすこともある。そしてまた消えていく。それが世界というものらしい。そういう世界だから今という時があるらしい。次に心ときめかすものは…
 世界は心のイマジネーションのカレードスコープ。

平成19年 6月8日 ホテイラン
ホテイラン  降水確率40%の予報、持ち堪えている空模様の中、友人のお誘いで八ヶ岳山麓へ高山植物のホテイランを見に行ってきた。
 山小屋までバイクで登り、15分ほどの徒歩でホテイランが群生する場所へと案内された。
 苔生す雑木林の木漏れ日の中に可憐な花は儚さを湛え佇んでいた。
 
平成19年 6月4日 Fly With The Wind
ダイソー「日本・世界の名言名句」  気分は風任せ、その時その場その状況で変幻自在に変わる。人間とはそのような自由を獲得した動物らしい。しかしその自由も時として徒となり心を苦しめる。もっともその不適応感があるから適応感も生まれる。苦しみを乗り越えた数だけ幸せになれる。そのように自分と世界を対位法的に捕らえ偽悪醜から真善美という感覚を具現していく…らしい。
 漫画から始まった読書習慣も、千変万化してきた。一度感動してしまうと再び感動を味わいたくて、何度も何度も繰り返す…中毒になってる。しかし選択肢が狭いとマンネリ化し、感動が何だったかも忘れてしまう。
 一冊の本は沢山のことは語れない。ほんの僅かのことを、でも大切なことを切々と語る。人生の歴史を僅か数百頁に集約し、結晶化して見せる。そしてその結晶の感触を味わうわけだ。じっくり味わうと芳醇な香が味わえるが、時に結晶の酒池肉林をしたくなる。
 百円ショップのダイソーはプアなライフスタイルの一角を占め、折に触れ徘徊する。出版物も教養趣味を刺激し実に面白い。ダイソーミニ辞典シリーズも何冊か読ませていただいた。その一つ「日本・世界の名言名句」は歴史に名を残す先人たちの珠玉の思想の塊だ。この本をガイダンスに今まで視野になかった人物にスポットを当てることができた。
 感動は発見することであり、自分を創造することを教えてくれる。

平成19年 4月9日 memoryU
Memory Player三台  1Gのメモリープレーヤーに2Gのメモリープレーヤーを2台追加購入によって合計5G分の音楽を携帯できるようになった。2Gはそれぞれ「Yuming」と「CHICK COREA」専用とし、1Gはオムニバスになっている。
 1Gオムニバスには若手ピアニストAustin Peraltaのデビューアルバム、マッコイ・タイナー、ジム・ホール、マイルス・デイビス、ソニー・ロリンズ等の新旧ジャス、ドビッシー、モーツァルト、ベルリオーズ、ホルスト、ベートーベン、シューベルト、ワグナー、バルトーク、メシア等のクラッシックから前衛音楽、懐かしのプログレッシブロックEL&P「展覧会の絵」も入ってる。EL&Pは17歳の時に聴いた音楽だ。2Gの「CHICK COREA」の「Return To Forever」を最初に聴いたのも高校時代。後にニーチェの「永劫回帰」という概念と共鳴し、チック・コリアの音楽とニーチェが私の中では表裏一体化した。一言で云えば北島三郎の「ロマン」だ。
 ユーミンは19歳の学生時代友人が所属していたサークル仲間がデビュー当初のユーミンの「ひこうき雲」をカバーしていて、従来のフォークにない新感覚が心に刺さった。当初は女性らしいコケティッシュな感覚を感じたが、聴き続けるに連れ、ユーミン独自の無常観が心に響き、現代の紫式部だと想うようになった。アルバム「悲しいほどお天気」収録の「さまよいの果て波は寄せる」は真骨頂の一つだろう。
 感覚には大きく分けて「空間」と「時間」とに分かれる。哲学者ベルグソンはこれを映画に例えた。映画の一コマに現れる空間的認識と永遠に続く一コマによって時間的認識が生まれる。時間とは相対化された空間だ。
 想い出という一コマが連続し自己と世界を認識し続け、やがて一つに溶けていく。そこに「美」が生まれ美の数だけ自由になれる。

平成19年 4月9日 memory
最近購入したメモリー達  最近になってコンパクトフラッシュメモリーの価格が下がってきた。6年前64M(メガ・100万)が1万円くらいしていたものが、1G(ギガ・10億)で5千円以下と推移してきた。ニュースでは256Gのコンパクトフラッシュメモリーが開発されたと報道されていた。正に日進月歩を実感させられる
 安値感も手伝い、8GのUSBメモリー(写真上から3番目)が9千円弱をネットで見つけ購入に始まり、2Gのメモリープレーヤー(写真上2個)が6千円弱を二つ、カメラ店へ行った際に256MのUSBメモリー(写真下)が700円で売られていて、相場からすると安くはないが値頃感から衝動買い。これだけ値段が下がると使い道も変わってくる。100円ショップのダイソーで様々なアイテムを複数個購入し、使われる場所毎に設置するという何とも贅沢な使い方が出来る。
 2Gのメモリープレーヤーは現行使用中の1Gのタイプの半値以下。2個購入したのは送料が無料というのも誘因だが、私のお気に入りのミュージシャン「松任谷由実」と「チック・コリア」専用に使用したいと思ってしまったからだ。実際に入れてみたら手持ちのアルバム全てが収まらなかったのは少々残念だったが、その時の気分でチョイスできるのは便利だ。
 256MのUSBメモリーは、ツーリング仲間とのスナップ写真をCD-Rで個々配布していたが、都度面倒になり、USBメモリーに入れ回覧形式にしようと思ったからだ。
 8GのUSBメモリーは安値の驚きだけで購入してしまった。購入してから何に使うか思案した結果、プライベートなデータの携帯に使用することにした。PCで管理しているプライベートなデータの総量を見たら6G弱。データの殆どはデジカメデータで、他に個人的記録のベタテキスト。今はどこにでもPCがあり、内容を参照するのに手間は掛からない。
 デジカメのデータは私の生後からのもので、50数年分、テキストも私の琴線を振るわせ思想的遍歴の足跡が記されている。私の分身と言って良いものだ。人間は記憶に支配され、記憶から未来を創造する動物だ。そして生涯記憶を紡ぎ続ける。
 メモリーは想い出。小さなメモリーに人生が入ってる。

平成19年 1月1日 明けましておめでとうございます
 明けましておめでとうございます。
 今年の元旦は穏やかな年明けで,年賀の挨拶と初売り詣でという始まりでした。
 年末の紅白歌合戦は日本的な自由を謳歌する「祭」を華やかに演出しています。明けて街の風景は景気動向とは裏腹な亥年に似合わない勢いを感じさせないものでした。
 進歩と調和とはなかなかバランスし難いなぁ,と感じさせます。誰もが切磋琢磨を楽しめ自由を謳歌できれば偏りは少なくなると思いますが,価値観に囚われれ寛容さを失えば世の中は矛盾だらけな閉塞したものになります。現代の情報化社会は多くの知的欠落感を憎しみにしてしまっているような出来事に満ちているように思えます。
 行き付けの書店の初売りで科学雑誌「ニュートン」を購入しました。メインテーマは「記憶のしくみ」で,脳科学の最新動向をレポートしてます。能の仕組みの解明はまだまだ未知の部分が多いですが,人間は五感で取り込む情報を基に,脳によって処理されるイメージによって行動を決定する動物で,脳の活性度が充足感に繋がるものだと思います。
 新しい発見は心の高揚感を充足させます。ややもするとプライドで世界を穿った感覚で眺める自分を窘めてくれる知らない世界。世界は知らないことが充ち満ちていますが,それを忌避するか楽しむかで人生は大分違ったものになると思います。自然が日々進化するように人も日々成長するものらしい。
 人それぞれ仕合わせの形があり,それ以外は共感できても理解はできない。自分の形に向かって猪突猛進!
 今年もsuwakawaほーむページを宜しくお願いします。

平成18年 10月19日 サーモ混合栓
新しくなったサーモスタット混合栓  築16年の我が家も至る所に疲弊が来ている。風呂場の混合栓が数日前から調子を崩し,とうとうカランからの放水が出来なくなってしまった。
 混合栓は適温に調整する我の難しく,熱かったり冷たかったりするがサーモスタット混合栓は,適温に混合してくれる。築以来サーモスタット付きに変えたいと思っていたが,16年も経ってしまった。
 利便性,安全性に勝るサーモスタットを望みながら惰性に流され壊れるまで使い続けていた。そうすればよいと思いつつなかなかそうできない。もっと趣味性の高いものならばワクワク感で即決できるのだが,生活必需品の改善は二の足を踏んでしまう。
 私の子供時代には想像できなかった生活が現代にはある。高度情報化社会は世界をどんどん身近なものへと変えた。文明が進化すると高度文明に支配され人間はロボット化すると考える人もいるが,数千年間の先人の考えた人間原理は進化する自然に呼応する無限の成長である。新たな発見は人類へのサプライズ。ソクラテスは「知らないことを知っている」,アリストテレスは「人間は生まれながらに知ることを欲する」,パスカルは「人間は考える葦」,デカルトは「我思う故に我有り」,本居宣長は「過誤を正すは幸せなり」,松尾芭蕉は「不易流行」,ウエルズは「過去は記憶,未来は夢だ」と言ったが,動物的本能から脱却し,自らが望むものに向かって人生を歩む自由な存在を獲得した。好き嫌いというナイーブな感覚でしか生きられなかった幼い頃は世界は遠い存在だったが,歳月の遍歴を経て世界は驚きの創世史を持ったテーマパークと化した。
 幼い頃の無知に対する嫌悪感は,未知の驚きとなった様に,好き嫌いという感覚が作り出す価値観は生成消滅を繰り返すダイナリズムへと変化した。好き嫌いとう距離感も適量に混合すれば心を心地よく満たしてくれる。左右の脳は五感からの情報に異なる感覚を生み出すという。その違和感が不条理だが,矛盾を克服するのは前頭葉の機能であり,知性という想像力の源泉だ。未来という予測不可能な状況にナイーブな優越感と劣等感を中和する想像力はいわば心のサーモスタットの様なものなのだろう。

平成18年 10月8日 ホームカミングデー
第4回ホームカミングデー
        1973年度卒同窓生  33年振りに高校の同窓会が行われた。歳月は想い出を変える力がある。何かを得ることは何かを失う。高校時代のときめきや挫折は今日の私の一部になっている。過去の記憶を引き摺りながら未知なる未来へ向かって今を生きてる。それは今も高校時代も変わらない。記憶は煌めくときめきとどうしようもない心の痛みとして結晶化する。中学校時代に感じ始めた人生の不条理感。勉強嫌いで自分の好きなことに無我夢中に過ごした高校時代。それは今も変わらない。違いは想い出の結晶の数が歳月の分増えた。増えたのか見えなかったものが見えるようになったかは分からないけれど,記憶される想い出のコスモスは確実に進化している。矛盾だらけに思えた世界も進化する自然の躍動感へと変質する。
 高校時代の想い出は歳月の洗礼を受け綺麗になっている。それは当時より好き嫌いが萎えて不要な緊張が解れてきた性だろう。好悪で捉える人生は不条理だ。そう思えるようになり世界は好奇に満ちたものになり,それが自然だと感じる。そして私の未来はどこへ向かっているのか。それは高校時代も33年後の今も変わらない。ただ心が赴くままに未知なる風景に突き進むだけだ。

平成18年 8月6日 夢の途中
 任期満了に伴う長野県知事に現職の田中さんをやぶり村井さんが初当選を決めた。
 政治にはリソースの再分配と,未来へ向けた夢前案内という二つの側面がある。
 日本は民主主義を標榜する国家だが,太平洋戦争の終戦後,日本再生に向けた憲法改訂に当たり日本側の草案は却下されGHQの草案の押しつけにより日本の民主主義は船出した。通産省(現在の経済省)を創った白州次郎さんはこれに憤慨し「日本人が民主主義を克服するまで戦後は終わらない」と言った。民主主義の原型はルソーの描いた夢「社会契約論」だが,これはキリストの「愛は神との契約」という思想からのインスピレーションだ。個々人の異なる能力発揮(課題解決)の集合として社会は発展する個人主義でもある。個人が能力を発揮するために教育は必須となった。知識を創出する科学(百科学術)をデカルトは「方法論序説」で「神の証明」と説く。知識の誤りを正し続けることが科学の目的であり,人間の永遠の発展を現す。中世日本の国学者本居宣長も「過誤を正すは仕合わせなり」と説いた。
 
 利権にまつわる損得勘定は誰にでもわかりやすい。しかし夢を描き突き進むのは困難なことだ。損得という価値観では「自由・平等・博愛」は理解できない。夢見る勇気を養って始めて理解できる。
 現在中高生のリテラシー(読み書き能力)は低下する一方で発展途上国並みとレポートされた。「切れる」「ニート」「刃傷沙汰」「貧困の増大」これらの現象は社会の疲弊の表れではないだろうか。中国春秋時代の政治家で地位を失脚し仁政君子を育てる教育者となった孔子の言葉に「君子常に窮する,小人窮すれば乱れる」がある。君子(大人)は課題解決に向け常に思索するが,子供(小人)は問題に直面するとパニック(ゲシュタルト崩壊・意味の飽和)になると解せる。損得という衝動性と夢に向かって歩み続ける恒常性は誰にもある。そのバランスが未来を決定していく。世界と個人の関係性を記述する宗教,哲学,芸術(科学)の統合されたものが社会であり個人である。人間は全知全能ではない。無知を悟ったとき知に目覚める。理解と表現の組み合わせは無限にあり,日々刻々と心は成長する。一つ一つの決断が最善であったかどうかは将来の歴史的判断を待つしかない。発展であって欲しい。

平成18年 7月28日 天地無情
大雨で水没した諏訪市豊田地区
        平成17年7月20日付信濃毎日新聞より  18日未明からの大雨で諏訪地方は未曾有の災害に見舞われた。
 私の住む地区も増水により辺り一面諏訪湖と化した。夜勤明けで帰路を土砂崩れで無くし,復旧の進捗を見ながらの帰宅となり,通常30分程度の道程に7時間以上の時間を費やし辛うじて家に辿り着いた。
 生命財産を失われた方々の痛みは計り知れないものがある。我々を育んでくれる自然も時として試練を与える。生命が逆境の中で進化を成し遂げるように,知性も抗うことができぬ自然によって鍛えられる。
 日常は常に揺らぎ,カタルシスをもたらす。古来,生きることは痛みと向き合うことだと説き,痛みの中に生命の迸りを表現する。不条理な感覚を受け入れたとき,新たな知の感覚を創造し続け,文明は紡ぎ続けられる。文明進化は天災への危機管理を発達させ天災も人災的側面を強める。天災も人災も人間にとって自らが招く悲劇過誤だ。当たり前と思われることを顧みることで成長する。自明性高慢に抗うことは困難な事だが,至らなさを肝に銘じたい。

平成18年 5月20日 My Favorite Things
John Coltrane My Favorite Things  「サウンド・オブ・ミュージック」は高校時代に見た好きな映画の一つ。ミュージカル映画で「ドレミの歌」や「エーデルワイス」が有名だが,他の曲もすばらしい。その一曲が「My Favorite Things」。嵐に怯える子供たちに「恐怖心に取り憑かれた時でも,好きな物のことをイメージすれば自由になれる」とマリアが歌う,リリカルなワルツで,メロディーの旅情性からJR東海のCMにも使われている。
 この可憐な曲をジョン・コルトレーンの演奏で聞いたのはやはり高校時代だった。そのエモーショナルな演奏にサウンド・オブ・ミュージックでのイメージは雲散霧消した。優しく心を包み込む情愛に満ちた曲が激情の陶酔へと変身した。その時私の心はフリーズした。
 コルトレーンのレコードを2テイク(同曲の別演奏)購入し愛聴していた。30数年前のことだった。

 先日職場の飲み会へと妻に送っていってもらった際に都合で少々早めに会場に着いた。暇潰しに近くのホームセンターをウィンドショッピングしていたら,コルトレーンの「My Favorite Things」をCDワゴンセールに発見し購入した。ジャズでは同じ曲の別テイクを多数販売してくれる。殆どがライブバージョンだから,その都度印象が異なる演奏となる。廉価版となるとその音源の由緒は定かでない。購入したCDも激しくスクラッチノイズが入っていてどうやらLPからの復刻らしい。品質の悪さとは裏腹に演奏の印象はとても新鮮だった。今まで培ってきたコルトレーンのイメージが刷新された。好きなものには飽きがない。
 人間は動物の中で最も自由度の高い生き物だ。自由だからこそ美を創造する。美は刹那の感覚だ。執着するとすぐ零落してしまう。だからこそ美は尊い。自然が進化するように心は成長する。似たようで決して同じことを繰り返さない時間とは不思議だ。

平成18年 5月9日 コゴミ摘み
草蘇鉄 通称「コゴミ」  ゴールデンウィーク過ぎの初夏を思わせる日差しの中,友人Tの水先案内で霧ヶ峰から美ヶ原の高原をバイクで散策。
 林道を挿みビーナスラインを霧ヶ峰から美ヶ原高原へとこの季節の山菜を鑑賞しつつトリップ。
 「コゴミ」の群生する穴場でコゴミ摘み。
 山菜採りは古代の採取生活を想起させる。
 産業を発明するまで先人たちは自然からの恵みで空腹を凌ぎ命を永らえてきた。人間と自然は一体だった。
 人類200万年の経験の蓄積は結晶化し,知恵は人間に豊かさをもたらした。反面知恵は両刃の剣に喩えられるように残虐さをもたらす。自由な人間と欲望の奴隷。貪欲を克服する力に人は「愛」と名付けた。
 コゴミ摘みをレクチャーしてくれた友人は「摘みは必ず残すように」と言った。

平成18年 4月5日 和光垂迹わこうすいじゃく
Fのおばあちゃんの遺影  父方,母方の祖父母を知らない私にとって隣家のFのおばあちゃんが私のおばあちゃんだった。小さい頃は近所の隔たりはなく,日常交流は家族の差なく営まれていた。Fのおばあちゃんは孫と同じように可愛がってくれ,物心ついた私を守り立ててくれた。その情は母とは違った思い出を紡いでいる。
 過日Fのおばあちゃんが百歳の天寿を全うし御逝去された。報せは月日に疎んじた心に万華鏡のように情景を呼び覚ます。楽しく嬉しい思い出は疲れ傷つく心を癒してくれる。
 今の快適な生活は自然の理を変形し具現化される。ともすると人為は自然を凌駕したかと錯覚する。自然を見失った心は機械的反射に陥り情を見失う。神仏という絶対的な神秘は不遜な心を諫めてくれる。有情の眼差しから過誤を識る刹那に永遠が垣間見え美が生まれる。
 生きとし生けるものすべて輪廻転生メタモルフォーゼし,心が自然な情にある限り歓喜を創造する。御仏の仲間入りするFのおばあちゃんの遺影を前にそんな思いが過ぎった。

平成18年 2月25日 氷上の精霊たち
トリノオリンピックフィギアエキシビションフィナーレ
                           (共同通信)  娘が新体操をするようになり美の表現への関心が高まり,テレビで紹介されたミキティーを主役にわが家のトリノオリンピックは大いに盛り上がった。
 ミキティーの挑戦はオリンピックのトップスケーターとの競演を通じ未来への期待へ繋がり,運命的なトゥーランドットに導かれ金メダリストの栄誉を勝ち取った荒川静香選手の自分らしさと新採点法の自己闘争に勝利し,得点に繋がらない華麗なイナバウアーは神々しく燦然と輝く。独特の妖艶な世界を描く村主章枝選手の演技も見る者を魅了する。ミキティーがフィギアを始める切っ掛けとなった憧れの荒川静香選手の健闘を讃えた抱擁シーンは夢を紡ぎ続ける者の歓喜を閃かせた。
 競技の緊迫の中の研ぎ澄まされた空気とは一変したフィギアエキシビションの艱難辛苦を乗り越えたトップスケーターの創意に満ちた演技は翳りのない表情に自分らしさが冴えわたる。ハンガリーバイオリニスト,エドウィン・マートンとのライブは芸術の極致を垣間見る想いだった。
 久々に純粋に楽しめたトリノオリンピックの氷上の精霊たちは琴線を美しく響かせた。感動の数だけ心は自由になれる。自分らしく往かされた心体を生きたいものだ。

平成18年 1月1日 明けましておめでとうございます
諏訪大社本宮参道の賑わい  明けましておめでとうございます。穏やかな新年を迎え,恒例の初詣に上社本宮へ行ったのですが,例年にない賑わいにたじろいでしまいました。
 ニュースで報道される日本経済の動向は回復基調といわれるが,諏訪湖周辺は時代の波に乗りきれずイマイチと言った感がある。「困ったときの神頼み」は穿った感想か?

 昨年の暮れにNHK「プロジェクトX」が終了した。日本の繁栄のために果敢に挑戦した人々のサクセスストーリーは多くの人の感動を呼び起こした。不可能と思われるミッションに形振り構わず取り組む勇気は鬼神迫るものがある。まさに神話の誕生する瞬間だった。
 人類最古の現存する神話に古代メソポタミアの「ギルガメッシュ叙事詩」というのがある。半神半人のギルガメッシュの成長に伴う英雄伝と自然への畏敬の念への覚醒で物語は閉じられる。ホメロスの二大叙事詩に共通する傍若無人から堅忍不抜に至る人間の心への覚醒である。
 NHK「地球46億年の物語」という科学番組がある。地球という奇跡の惑星の進化に伴う生命の進化を対峙法に説明する。進化は天変地異の物語でもある。絶滅の脅威という逆境を生き延び続け人類は4〜6万年前に「心」を獲得する。
 現代心理学では心を環境順応のための道具と定義する。心は世界を言説化しその可能性を拡大する。人類文明は世界を開拓し続け宇宙へと領域拡大を続ける。この「心」に気付くか気付けないかが,傍若無人と堅忍不抜の境界線だ。傍若無人は全知全能と錯覚する。堅忍不抜はソクラテスの「知らないことを知っている」という世界(自然)への畏敬の念を抱く。この心の在り方の境界を宗教では「覚醒」よ呼び,哲学では「実存」「現象」と云い,心理学では「誤認識課題」と定義する。言葉の羅列をすると衒学的に思われるかも知れないが,本意ではない。思い込みからの脱却が重要だと云うことだ。脱却するためのアイデアは自らの心が創造するもの。古事記「天の岩戸」は内側からしか開かない。悟性は時間を紡ぐ。過去は形式であり未来は可能性,その狭間が実存する現実だ。時空は揺らぎ,感動は心を育む。心が世界を開拓し続ける限り自由でいられる。

 混み合う本宮を後にし家の近くの神社で初詣しました。今年も「suwakawaほーむページ」を宜しくお願いします。

平成17年 10月10日 佐渡ツーリング
佐渡・両津・弁慶岩
        パーキングからの眺望。  「山道を登りながら,こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくにこの世は住みにくい。住みにくさが高じると,安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき,詩が生まれて,画が出来る。」とは漱石の「草枕」。知恵は人を相対化する。しかし心の襞からは何人とも逃れられない。襞に囚われ自惚れる人,自然に見立て流し続ける人。心の機微が描くタペストリーは千変万化だ。
 9,10日と二日間に渡ってバイク仲間と佐渡ツーリング。深夜零時,雨中の諏訪を発ち,未明の直江津港に着。早朝の便で瑠璃色に輝く佐渡へ渡った。小木港から左回りに海岸線を周遊。晩夏の優しい陽差しを浴び右手に碧のグラデーションと左手に蒼い険阻な山並みを望ながら風景を満喫した。
 ライダーは孤独な存在だ。バイクを駆り道を駆け抜ける刹那に幽遠な輝きを心に見出し,泡沫の虚空な世界を探訪しつつ風景に融けてゆく。そこには人事の襞は微塵もない。ただ実存に棚引くだけだ。
 仲間が居るのは嬉しい。一人佇むのも風情があるが,気が置けない仲間は心を和ます。観光や食事でも,お裾分けは趣意の発展に繋がる。読書は高校の恩師から,バイクとオーディオの趣味は友人からのお裾分けだった。
 二日目は打って変わって鉛色の空の下,再び雨中の信州へと帰路に就いた。

平成17年 8月30日 SOUND SYSTEM
Green House
 Compact Speaker
 GH-SPA-215W
    &
 Rio SU10
 ダイソーのポーチがジャストフィット  小学5年生の時に母親に買って貰ったテープレコーダー以来,音楽を楽しむのが私の趣味となった。昔の王侯貴族は専属のミュージシャンを抱え楽しむことが出来たが,オーディオは庶民にその楽しみを与えてくれた。
 母親に買って貰ったテープレコーダーはポータブルタイプでアウトドアでの使用が可能だった。何時でも何処でも音楽が楽しめるのは珠玉の喜びだ。
 アウトドアのサウンドシステムは様々な機器によって楽しんできた。イヤホンも良いが周囲の環境が許す限りスピーカーで聴きたい。現在はPC用アンプ内蔵SPを電池で駆動していたが,使い勝手はイマイチ。たまたま本屋で見つけたGreen House Compact Speakerは見た瞬間にその意匠に惹かれた。小径を補うバックロードエンクロージャー,スピーカー保護を兼ねるレフバッフル,内蔵アンプもD級(デジタルアンプ)でアナログアンプに比べ効率が高い。値段も四千円未満と安価。衝動買いし,その小径のスピーカーから出る秀逸な造り込まれた音に感激してしまった。
 経済は経国済民の略。互いの才能によって共存共栄を計るゼロサムシステム。アダムスミスの”神の見えざる手”は個人の夢が描く創造。”巧遅は拙速に如かず”。高価で優れたものは創り安いが,安価で優れたものはその数百倍創造性を必要とする。日本の未来は”巧速”のソリューション,呪縛的価値観を脱却し自由闊達な遊び心が活路を見出すのだろう。
 
平成17年 8月13日 祭
岡谷市民祭
        「太鼓祭」
        みなこいわっさか
        豊田小学校有志の舞  お盆に入り夏祭り真っ盛り。今年も豊田小学校有志による岡谷市民祭「太鼓祭・みなこいわっさか」参加も3年目。真衣も最終学年となり今年が最後の参加。
 祭は神事であり,森羅万象への畏敬の念の表現だ。森羅万象を具現する自然があるからこそ我われは存在出来,千変万化するから人間へと進化出来た。そして人間であるから完全無欠,全知全能,堅忍不抜な神仏を知ることができる。神仏を前に人間は脆弱で無知な存在だ。だからこそ人間は無限の成長が可能になる。
 古代ギリシャの四大祭事の一つがオリンピア。若者が技能の限りを尽くし競技を行う,成長の証を表現する成人式だ。競い合うことで互いに育み合う。最古の叙事詩「ギルガメッシュ」にもギルガメッシュの分身であるエンキドと切磋琢磨する友愛が描かれる。その精神は全てのスポーツに通ずる。
 成長は艱難辛苦という困難の克服だ。困難とは自明と思われる抗い難い自らの意識を改革すること。改革することで見識は井の中の蛙から森羅万象に至れる。そして世界と自己は同一である感覚「涅槃」に至る。人生は楽しむものである。人間として楽しめたという,涅槃は人間として生まれてきた事への感謝だ。
 みなこいわっさかも競技会形式を取り,表彰と健闘を讃える。豊田小学校の有志達も「翔」を背に掲げ夏の刹那に舞い上がる。その歩みを生涯忘れずに…。
 
平成17年 7月28日 アイロニー
YAMAHA TW200E
      1998model
八島湿原パーキングにて   「きれいはきたない,穢ないはきれい。さあ飛んでいこう,霧の中,汚れた空をかいくぐり。」はシェイクスピア「マクベス」冒頭の魔女達の台詞セリフ。マクベスは欲望の成就と共にその身を滅ぼす運命に殉教する。悪魔的所行から見えざる神聖さを醸し出すシェイクスピアのアイロニーに込められた人間の不変性は時代を超越する。
 満足は不満足を鮮明にし,欲望の充足は欲望の渇きへ零落れいらくする。真の賢者は二重のアイロニーで真理を照らす。人間は完全であり不完全な存在だ。それ故無限の成長を約束される。そして成長する限りに於いて自由でいられる。
 願望も理想に近づけば近づく程自由を見失う。アンドレ・ジイド「狭き門」のアリサは敬虔な祈りを呪いに換え,愛を見失いその身を滅ぼす。精霊も悪魔も同じものにすぎない。京極夏彦「わらう伊右衛門」は悲劇を嗤い飛ばす。約束された悲劇は喜劇だと。真の芸術こせいは人間の不変性ちょうえつ普遍イメージする。
 XJ750EとGrand Majstyのコラボレーションは,私のバイクライフに理想的(人が何と云おうと…)と思える満足を与える。満足すればする程渇きは増す。その渇きの時雨しぐれにTW200Eが眼前に現れた。きらめく美醜の反転ネガの風景はこの上なく歓喜の陶酔へと誘う。
 不易流行ふえきりゅうこううた心は心の自然を具現する生者いけるものの遊び心。遊びの時間はまだまだ続く。
 
平成17年 6月12日 デジタルオーディオ
デジタルオーディオ
        ADTEC FY400-1GS mpio
             and
        Audio Interu UST Earphone   SONYのウォークマンが登場したのは私が二十歳の頃。ウォークマンは携帯オーディオを確立し,それから30年程が過ぎ携帯オーディオはデジタル進化の洗礼を受けメモリタイプ,HDDタイプのデジタルオーディオとして市民権を確立しました。
 数年MP3対応のポータブルCDプレヤーで携帯オーディオを堪能してきましたが,長年お付き合いをさせて頂いているオーディオショップで独自のUST(Ultra Sound Technology)を施したイヤホンを聴かせて貰い,臨場感のある音創りに興味を引き,携帯オーディオの一新を企画しました。
 1G分のミュージックデータをコンピレーションし付属のイヤホンでは鮮麗さに欠くがUSTイヤホンでは鮮明さが際立つ。とくにコンピレーションした音源には60年代の古いものもあり,そうした音源には特に効果が発揮される。メインのシステムで聞くと録音の古さが目立つものがUSTイヤホンでは鮮麗に音場を表現する。私のオーディオ観に一石を投じるものだ。
 オーディオは音楽を楽しむ一手段。シチュエーションに応じ様々な形態のオーディオを楽しんでいる。どれにも一長一短があり試行錯誤が悩みの種だが,気にしなければ気にならないが,しかし良い音を聴くと触発されてしまう。オーディオの音は過去の記憶に彩られる。システムによって聞き取れなかった音が鮮やかに再現されると記憶の彩りが鮮烈さを増のものだ。音楽というリアルタイムな芸術を記憶という入れ物の中で鮮度を落とすことなく,個人的な思い出と共に夢を紡ぎ続け未来へ繋げる美しい叙事詩であって欲しい。
 
平成17年 5月23日 万治まんじの石仏
万治の石仏   諏訪に生まれの諏訪育ちだがなかなか灯台下暗しで地元の文化に暗い。先日も地元のお寺にある曾良そらの墓参りに行き,今日は下諏訪町の下社春宮にある万治まんじの石仏を参拝してきた。
 山間の田園の中に佇む石仏は自然の風情を留め,日本人の心情を感じさせる。悠久の時をたたずむ仏は遙かなる虚空を静かに見詰める。
 飛鳥時代に伝来する仏教は奈良時代には既存の神道と集合し広く奉られるようになり,日本の文化発展に寄与する。諏訪大社下社春宮は古事記の天孫降臨てんそんこうりんに由来する建御名方尊たけみなかたのみこと一族の社の一つ。 神道は日本人独自の自然感に根ざし畏敬いけいの念を育んだ。仏教は人間の悲劇性を克服するため仏陀の開示する虚無の境地から人間解放を願う思想だ。インド思想と日本思想という違いはあるにせよその願いは万人の幸福。個人の成長と同様に発展は多くの困難を伴う。安住の境涯を離脱し険阻な陸奥へ旅立つ芭蕉に随行する曾良同様,困難の中から知見探訪は自由へと誘う。前人の知見を乗り越え斬新する心情は過誤を正す旅だ。輪廻転生りんねてんしょうしるべもまた闇を照らす一筋の光明であり心に掲げるタペストリーだ。
 幕末の松代藩の思想家佐久間象山さくましょうざんは「東洋の道徳,西洋の芸術」と世界を評する。時代はより個人主義的芸術性(創造性)を要請する社会構造へ流転している。個人個人の心に写る天然模様が曼陀羅の如く美しくあることを願う。
平成17年 3月26日 デジタルテレビが来たぞ!
SONY ハッピーベガ KDL-S32A10   我が家のテレビは9年前の長男が小学校上がりの年に買い換えされたSANYOの29インチテレビだが,1年ほど前から垂直同期の具合が悪くなってきていた。最近症状が悪化し,スイッチを入れてから表示が安定するのに何時間も掛かることもありテレビをつけっぱなしで使用するという異常事態。地上波デジタルへの移行も考慮し次期機種選定をしていたがちょうどSONYから発売されたハッピーベガのC/Pが高く買い換えを決めた。
 昔,私が小学校に上がる頃に父がテレビを買ってれた。もちろん真空管式の白黒テレビ。来たその日に飼っていた猫が食い入るように画面を眺め,映っている車の動きに反応するのを家族みんなで笑って観ていた。当時給料の3ヶ月分くらいの値段だったから現在の物価換算すると100万円くらいになる。とても高価なものだった。今なら55インチのプラズマテレビが購入できるがとても買えない。懐具合と相談し32インチの液晶テレビになった。
 液晶は元々AT&Tのベル研究所が発明したものを,日本のメーカーが実用化し腕時計や電卓に使用されたものが40インチクラスのハイビジョンまでたった30数年の間に進化した。テレビもNTSCのアナログから40年ほどでデジタル化された。確かにハイビジョンの解像度は高いがコンテンツはまだまだプアだ。従来のNTSC,VGAのアナログ放送をプログレッシブWXGAのハイビジョンの解像度へ内蔵チップで変換して観ている。アナログ放送は解像度は低いがデジタルテレビも世代を重ね,その変換方法も洗練された。アナログ時代のVTR画像とフィルム画像の違いのような感覚があり,逆に温かみすら感じる。技術者の弛まざる斬新の情熱を感じさせる。
 「籠の乗る人,担ぐ人,そのまた草鞋を作る人」「風が吹けば桶屋が儲かる」幾多の有名,無名の人々の手によって進化し続ける文明の一端をデジタルテレビに垣間見,その恩恵に我われは与る。人間は未来をデザインする。たった一人のアイディアが幾多の人の手で切磋琢磨する。夢が実現する,しないは時の運だが,夢見る力を持ち続ける限り未来は明るい。
平成17年 3月9日 XJ始動!〜追憶のラーメンツーリング
今年始めてのXJ750Eツーリング
        途上の白州道の駅にて  弥生の大雪も淡く融け,暖かさは待望のツーリング日和。業務が夜勤となり変則的休日(三日勤務の三日休日)の恩恵を追憶のラーメンツーリングと定めた。
 元来インドア派だった私は車への興味は薄かった。19歳の時に車の免許取得を薦め資金まで出してくれ,働きだしてから車購入の段取りをしたのは20年前享年数え(※1)で61歳,原発性肝臓癌で他界した母だった。
 父はバイク通勤で車の免許を取らなかった。高度成長期,高額商品の大衆化が加速された時代の我が家のライフアッププラン。母の魂胆は私をアッシーにするためのようだった。車の購入後,母を乗せ隣町のショッピングセンターへ行き駄賃の昼食によく食べたのがスガキヤラーメンだった。
 小さい頃から私の御馳走は店屋物のラーメンだった。出前の近所の食堂のラーメンは廃業で食べられなくなった。風邪で扁桃腺を腫らすと連れて行かれた小児科でペニシリンをお尻に打って貰い,その後必ず立ち寄ったM食堂のラーメンは移店し代替わりしたもののラーメンは健在だ。親類が訪れ見送りに駅前の町のデパートに立ち寄りおごって私に湯麺をオーダーしてくれたが普通の醤油ラーメンがいいと駄々をねたことも今は思い出だ。そのデパートのラーメンは当時の面影は失われてしまった。ショッピングセンターのスガキヤもバブル崩壊後チェーン展開の見直しの中で県内のスガキヤは全て閉店してしまった。
数年振りのスガキヤ「特製ラーメン」  「孟母三遷の教え」人は与えられた環境下で好悪の情を育む。そしてその情を基軸に人生を歩む「三つ子の魂百までも」だ。母の情と共に巡り逢う味覚の相乗は深く記憶に刻まれる。心に焼き付く日光写真のような情景は失われ易いが,琴線を哀しく美しく響かせる。
 変則勤務は多くの自由時間を与えてくれる。業務の都合で慌ただしく決まった夜勤はスガキヤのラーメンを想起させた。インターネットで検索した最寄りのスガキヤは130kmの距離,ぶらり旅の格好の餌食となった。高校入試の息子を「ガンバレ!」と送り出し,いぶかしい眼差しの妻を後目しりめに今年始めてのセルを回した。
 散逸と創発を,喪失と想起を繰り返す意識は移ろい行く時空を心に止める。季節の寒暖の中,追憶を深呼吸する一時だった。

※1:「数え」は生誕で1歳,最初の正月で2歳,最初の誕生日で3歳になるので,「満」の数え方と2歳の差が生じる。母は満で59歳だった。
平成17年 1月2日 明けましておめでとうございます
元旦の諏訪大社上社本宮  明けましておめでとうございます。
 年末から降り注ぐ雪に白銀の新年を迎え,諏訪大社上社へ初詣と訪ねました。
 徒然なる想いを綴り始め6年目に入りました。PCの趣味からはじまるHP製作も日々の移り変わりの中で心に描く風景を留めます。堆積される想いは断片化していた知識を大きな歴史のうねりへと統合し,神秘の瓦解と共に世界の構造を開示してくれます。心の光と闇によって描く禍福の栄枯盛衰の物語はミームの進化として現代の私たちに恩恵をもたらしました。
 述懐によって出会う自分自身の心の風景は紡がれた物語に光を与える力となり抗えぬ弱さに慈しみをもたらします。不易流行,軽妙な細微の世界の探訪を綴り続ける「suwakawaほーむページ」を今年も宜しくお願いします。
平成16年 11月14日 真衣の蓼科保養学園
学園で名人級になった竹馬  蓼科保養学園は諏訪市が運営する小学5年生対象の心身育成プログラム。年間を四期に分け3カ月ずつ男女40名の市内の児童を自然環境豊かな同所で集合教育によって,今日失われつつある健全な個人の社会性を築く礎を養います。悠一に続き真衣もこのプログラムに参画できる幸運を得られ,今日プログラム半ばの面会日となりました。
 「人間は夢の作られる材料と同じはかないものでできていて,その人生もまた大きな眠りにとりまかれている」とシェイクスピアは言っています。人間は実存的動物で,知性によって知識を作り出し,その知識によって禍福をあざないます。童話「太陽と北風」のように強い優しさに生きるか,傍若無人な北風に生きるかは個人の見出す心の自由に掛かっています。「青い鳥」のように心の冒険をすることによってのみ,心の自由は発見されるもので,知識として与えることのできないものです。
 自由を単なる選択の自由と捉えると些末な価値観を甚解し,井の中の蛙となります。価値観の多様性を知ること,人の顔の違いと同じだけある言葉の意味を知ることによってのみ知性の「義」を発見するのです。
 子供たちに世界の多様性を導き出させてくれるのは親でも教師でもなく,屈託のない友との情を交わす関係によってのみ心をいざなってくれます。
 教育は社会という心の自由探索の冒険するフィールドへ飛び出すためのカタパルトです。断片化された知識によって得るものは世界を知性として捉える僅かな風穴に過ぎません。多くの友と出会う機会を得ることは単にその可能性を高めるだけかも知れません。一生を通じても見出せない人も数多くいます。人生の終焉近くでも構わないから心の自由を獲得して貰いと,藁のような物にでも縋りたいは親心。心の自由を獲得することで真に人間として存在することの幸福を感じられる人間に成って貰いたいと願うばかりです。
 別れ際,久々の親との面会に啜り泣く子供たちに目頭が熱くなる思いを断ち切り,笑顔で学園を後にしました。

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「平成12年7月8日 蓼科保養学園に悠一入園!」
平成16年 10月11日 Night run
中年三莫迦オヤジライダー  体育の日の振り替え休日も陽が暮れ夕食後のひととき携帯に「行くよ!」の集会のお誘い。
 オヤジラーダーの仲間がV-MAXを購入したっきり天候と仕事に恵まれず乗る機会を逸してしまっていた。業を煮やしとうとうNight runを挙行。三連休の末日に何を好んでと,家族の冷ややかな視線を背に受け宵の帷へと駆け出した。
 排気量も1200,750,225とばらばら。色の好みもばらばら。仕事もばらばら。でも何故か集まった三人のバイクには同じトップパニアが鎮座し,何とも形容し難い組み合わせである。
 バイクを乗り出した20代の頃にはガス代にも事欠きながらそれでもNight runをよくやっていた。ただバイクに乗っているだけで幸せだった頃。
 当時もよく走った清里から小淵沢に繋ぐ八ヶ岳高原ライン通称八巻道路は私には因縁の道だ。暖かな一日だったがさすがに高原は冷気もひとしお。生憎の霧模様の中一人気を吐くV-MAXには叶わない。
 只走りたいというパッションのお裾分けに久々の走る楽しみを見出す思いでした。私のバイクもライダーも見た目に朽ちはいるが心は童夢を忘れない。それを分かち合える朋がいることは幸せなことだ。霧中の闇にも愛おしさを感じさせてくれた。
平成16年 7月11日 小宮御柱祭始動!
御柱伐採神事,新たな御神木の萌芽を祈念  諏訪大社御柱祭の小宮御柱祭伐採式に参加してきました。私の住む地域にある三輪神社の御柱祭で組の担当は抽選会で決定された二の柱が担当です。
 写真は樹齢50年程の御神木の伐採後,新たな萌芽を祈念する神事です。御神木の生命のとしての死と再生を表します。丁度私の年齢と同じ樹齢と云うことで命のシンクロニシティーを懐きました。
 三輪神社の御本山は奈良県桜井市三輪にあり,祭神は大物主尊おおものぬしのみこと。この神様は諏訪大社主祭神の建御名方尊たけみなかたのみことの父神 大国主尊おおくにぬしのみこと幸魂さきみたま(幸福を与える神の霊魂)で,天孫降臨の国譲りまで芦原の中つ国(日本のこと)を大国主尊と共に創ってきた神様です。
 この物語は太安万侶おおのやすまろの編纂した古事記に記載されている。この古事記は日本と云う国を形而上学的に構造化した物語でもある。宗教には観念論的宗教と自然論的宗教があり,神道は後者の分類に入る。近代宗教観ではこうした自然論的宗教はプリミティブで古典タイプの宗教とされる。しかし現代の自然科学時代では逆にこうした自然論的宗教の方が科学との親和性は高いと思います。古事記のエピソードの一つに天照大御神あまてらすおおみかみ須佐之男尊すさのうのみこと祈誓うけいの件がありますが,この祈誓という占いは自然科学の基本原理である実証主義と近似化するものです。そして,古事記という叙事詩は内容的には散文的で様々に愛の形式を提示し,世界宗教と云われる宗教とは一線を画し,一元論に対する多元論的世界観を示します。
 日本中世の国学者本居宣長もとおりのりながの古事記解釈も伊耶那岐尊いざなぎのみことみそぎの直毘霊なおびのみたまに着目する。これは西洋哲学的に思惟すると弁証法を現す。様々なエピソードに開示される構造と脱構造,それに至る人間実存性と,近代西洋哲学の見出すイデアはこの古事記の中に見出すことが可能である。つまり古事記は単なる神話だけではなく哲学をも融合する。宗教も哲学も完成されたイデアであり科学の原理でもある。そうした宗教的普遍愛と哲学的永劫成長を内在する古事記は最も未来的イデアを成す書物だと思います。
 現代のプラグマティズム至上主義社会の愛の欠落した思想は人心を疲弊させる。余りに性急な結果主義は超人に至るモラトリアム的存在である人間を困窮させる。
 西洋中心主義の現代科学の不毛さを払拭するページェントに参画できた喜びはまた,諏訪人として建御名方尊の弱者でもその自尊心を失わぬ不遜さに導かれたいと願います。
平成16年 6月19日 20年振りの新車
YAMAHA GRAND MAJESTY  独身時代はかなりの頻度で車種替えをしていたバイクの趣味も,結婚後の生活スタイルの変化から低迷状態。物置に入れっぱなしだったCBX250Fも修理費節約で中古のSRX250Fとなり,その後もユーズドバイクで節制してきました。
 2年前の事故で左膝顆内隆起骨折のリハビリ用と購入した原付スクーターのYAHAMA GRAND AXIS 100もそのユーティリティの高さにライフスタイルの一部となり2年間で9,000kmと活躍してきました。しかし,原付のライトウエイトな軽快感とは相反してそのアンダーパワーにゆとりの無さの疲弊感を懐くようになり,1年程前からPOST AXISを考えてきました。
 XJ750Eはクルーズスポーツとしてより高次な趣味性を見出す反面,AXISのユーティリティ機能の異次元レベルはバイクライフの相反する方向性から趣味の幅を広げてくれました。その延長線上でのスクーターの在り方を模索し,'84年に購入したYAMAHA RZ250RR以来20年振りの新車,YAHAMA GRAND MAJESTYを購入するに至りました。
 趣味の世界は人それぞれ。古くは千利休の「侘び寂び」や松尾芭蕉の「不易流行」と云った卓越した遊び心。それはまた形式に生きる人間の業の,形式に囚われぬ天然自然な,自由な心の叫びでもありました。封建の時代は自由の時代へと崩壊し,世の形式は繁文縟礼,心を疲れさせる。趣味の形式はまた個人の世界観,自然感をも規定してしまうもの。バイクの趣味は乗るバイクによって異なる感覚,意味としての世界観を乗り手に開示する。私にとってXJ750Eはアグレッシブな面を,GRAND MAJESTYはしなやかな面を知覚させる。人はパンと叡智によって知性の創造を営む生物。自然の散逸形式に拘束される存在の人間の心の自由は感覚的観念によってのみ守れるものだと信じる,と云う冒険の旅を繋ぎ続けたいと思います。
平成16年 5月 4日 4周年を迎えました
恵那峡ワンダーランド 
中国雑伎団公演  suwakawaほーむページも開設し徒然なる想いを綴り,早4年を経過しました。奇特な方々のお陰を保ち,時折の私の趣味にお付き合い頂け,カウントも1万を数えるに至れました。
 想いを言葉にすることは,心の視点の再構築という冒険でもあります。時を旅する心が見出す,出会いや発見や創造は心を喜ばせる。そんなささやかなきらめきが少しでも伝えられたら仕合わせだと思います。
 今年のゴールデンウィークは1,2日は知多へのおやじライダーツーリング,3日はバイクショップ恒例の山菜天ぷらツーリング,4日は家族恒例になった恵那峡ワンダーランドへと私にとっては珍しく慌ただしい連休を過ごしました。
 1〜3日は好天に恵まれ風に誘われ過ごしましたが,4日は雨の中,家族と共に恵那峡ワンダーランドへ訪れました。 目的はイベントの中国雑伎団の公演。二千年以上経て伝わる中国雑伎の業 恵那峡ワンダーランド展示
「秦の始皇帝陵兵馬俑」 は英才教育による心身鍛練の賜物。不可能とも思える業の饗宴に苦渋辛酸を乗り越えた者の想いが観る者を熱くさせてくれました。
 園内には「しん始皇帝陵兵馬俑しこうていりょうへいばよう」も展示されており,中国封建尊大の残夢を垣間見ました。人の描く夢の意匠は自然な心模様。遊び心で様々な風景を愛でて行きたいと思います。これからも「suwakawaほーむページ」をよろしくお願いします。
平成16年 4月23日 春爛漫
波田町かたくり祭り  例年にない温かな春も,とうとう真夏日まで来る日となってしまいました。
 桜も早盛りを過ぎ,葉桜となった4月17日,バイク仲間に誘われ波田町の「かたくり祭」に行ってきました。
 この奇異な意匠をまとう林間に咲く花は,昔は根茎が片栗粉の原料として使われたのが名の由来。丁度健気に咲き誇った見頃に出会うことができました。
 遠目にはしだれ桜の爛漫が勝ち誇るように映え,帰りのサラダロードでは春の砂塵の洗礼を受けてしまいました。

 次の18日にも用事の間を縫って独り愛車に跨り,春を散策してきました。
 以前より訪れようと懐いていた,島崎藤村の「夜明け前」にも描かれた史跡へと風を切りました。
 140年前の尊皇を奉じ脱藩した水戸の浪士の天狗党と幕府の命を受け諏訪藩と 水戸浪士塚 松本藩の連合との間に和田峠で戦われ,浪士の戦没者を諏訪藩が塚をつくって祀った水戸浪士の墓を詣でて来ました。水戸の有志より献木された梅,慰霊碑,人の手の入った佇まいに悠久の時を越えた心の熱に, 今が流行の刹那を生きる世情の乖離を哀しく映える思いを感じました。
 水戸浪士塚を後に,旧和田峠を経てビーナスラインを早春の高原へと向きを変え,盛夏のシーズンには駐車場に入るのも憚る八島湿原に足を停め,雪解けの萌出す前の静かな湿原を眺めました。
 高原の湿原は閑散として,隧道の陰の僅かな残雪の儚さが目覚めを期すような風景でした。
 八島湿原展望台の傍らにはこの地由来の「あざみの歌」の歌碑が掲げられています。あざみに見立てた人への想いを自然の眺めに誂え詠う儚さが哀しくさせる。痛みを怒りに換える時代には,祈りにも似た敬虔さは遠雷のように響く。この自由な時代に自由を見失うは浮薄な心。趣味に誘われ中庸のしるしを得るも,刹那の思いに落ちるもまた時空ときを旅する人の道。春の風の温もりを満身に受け移りゆく季節を散策できた心地よい日和でした。目眩く季節の新風と共にワインディングロードを駆け抜ける一頁でした。
霧ヶ峰・八島湿原 八島湿原「あざみの歌」歌碑
平成16年 1月4日 新年明けましておめでとうございます
上社本宮元旦の梯子の風景。右にある柱が前回の御柱祭で祀られた御柱  今年もsuwakawaホームページをよろしくお願いします。
 元旦に初詣に上社本宮へ行ってきました。(写真)
 今年は7年に一度,寅と申の年に行われる諏訪大社「御柱祭おんばしらさい」の年。諏訪大社は4社(上社前宮かみしゃまえみや上社本宮かみしゃほんみや下社春宮しもしゃはるみや下社秋宮しもしゃあきみや)で1社という大社で,古事記で語られている建御名方尊たけみなかたのみこと(上社本宮)と妃神の八坂刀売尊やさかとめのみこと(上社前宮,下社),建御名方の兄神事代主尊ことしろぬしのみこと(下社)の三柱を祭神として祀っている。御柱祭の年は大社4社を皮切りに諏訪の地の神社から道祖神に至るまで1年中御柱一色になる。そのため御柱カレンダーと云う休日設定をする企業もある。
 お参りの後は恒例の初売り巡り。ホームセンターで使う当てのない工具を安さに吊られ購入し,蔦屋で中国製のDVDプレーヤーが4,500円で売っていて,衝動買い。でも今使っているDVDプレーヤーより格段に機能が多く,安定性も良さそう。国産のDVDプレーヤーはVCDに対応していないものが多く,作ったVCDが再生できることが確認でき感激してしまった。MP3再生までサポートしている。
 後は100円ショップ詣り。以前からXJ750Eに時計と温度計が欲しいと思っていたが,帯に短し襷に長しという感じで琴線に触れるモノが無かったのですが,100円ショップで見つけたモノがあって手を加えXJ750E用に誂えてみました。
 昨年の暮れに我が家に戻ってきたIBM ThinkPad365Xを子供が使っているがスクロールマウスが欲しいと云うので780円のPS2ホイルマウスを買ってきて,セットアップしようとしたらうまく動かない。やっている内にマウス動作までおかしくしてしまい,どうしようもなくなりフルインストールし直しになってしまった。色々調べたらどうやらホイルマウスがポインティングとバッティングしていて動かないらしい。結局スクロールは諦めただのマウスになってしまった。お陰で正月休みは退屈している暇が無く,ホームページの更新が遅れてしまいました。
 嬉しかったことが一つ。3日に昨年終了した「ヒカルの碁」の続編の特番があったこと。TVシリーズは「ヒカルの碁・藤原佐為編」で終了したが,コミックは「北斗杯編」まで掲載された。その「北斗杯編」の前半のヒカルが北斗杯という日中韓ジュニア囲碁団体戦の日本代表に選ばれるまでが「ヒカルの碁・新春特番・北斗杯への道」で描かれている。
 「ヒカルの碁」は子供と観だしてその物語に私が嵌ってしまった。日本文化の特徴は自然叙情主義にあると思う。秀逸な日本文学や思想は須くこの日本人の自然感に培われている。「ヒカルの碁」も単なるエスカレーション嗜好の物語ではなく,ヒカルの「心」が碁を通じ成長していく風景を描いている。留まることのない漸進は自分の弱さとの闘いでもある。ダメだと思う心が神秘という贖えぬ思いに留まってしまう。思いを腐らせることなく新風を噴かせ続けることはある意味無謀さでもある。建御名方尊たけみなかたのみこと建御雷尊たけみかづちのみことに無謀な力比べをする神話に通ずる猛々しさを「ヒカルの碁」に観る様な思いがします。
 今年もsuwakawaほーむページも漸進させたいと思います。宜しくお願いします。

記事の内容の詳細は下記頁に記載してあります。
IBM ThinkPad 365X          YAMAHA XJ750E             「ヒカルの碁」
「suwakawa PC Room」  「suwakawa Motorbike History」  「suwakawaヒカルの碁page」

平成15年10月3日 YAMAHA XJ750E再考
XJ750Esuwakawa仕様  人の欲望は留まるところを知らない。より良いものを渇望してしまう。至福とは欲望と能力の差だと言われる。探求心は理想を見出し,現実との差異として欲望が現れる。22年前のYAMAHA XJ750Eを購入して2年半ほど経つ。本格的大型バイクを購入するまでの繋ぎ程度で思っていたが,このバイクを凌駕する魅力を持ったバイクが存在しないというのが実情だ。
 このバイクに乗るまではマルチなど興味の対象外だったが,乗ってみると低速から高速までの扱いやすさに参ってしまった。乗りっ放しの私にはメンテナンスフリーのシャフトは重宝しているし,耳障りなチェーン音がないのも嬉しい。パニア付で購入してその実用性の高さにバイクライフが一変したような気がする。ファントゥードライブだけでなくオープンスポットリビング(閑散とした所で食事,読書,昼寝等)などの楽しみを発見させてくれた。現在の道路事情ではなかなかバイクが快適に走られる所は稀少になっている。日帰り程度で目的地となる場所もなかなか見当たらない。目的地を設定しても得てして満足度は低いものだ。走行中は覚醒レム状態で色々な事柄を反芻することが多いが,本当にレム睡眠に陥りそうになってしまい逆に危ない。気儘な場所でオープンスポットリビングすることでリラクゼーションでき結構満足度は高い。休日なかなか伴走してくれる仲間もいないし,割と気儘なタイプでソリティアも小さい頃からの癖なのかも知れない。
 バイクライフスタイルも歳と共に変化し,現状での理想的バイクを色々脳内会議をしてみるけれど,帯に短し襷に長しという感が強い。V−MAXなどは乗ってみると理想的パワーフィーリングとアップライトなライディングポジションは最も理想的バイクに近い存在だが余りに重すぎる取り回しには体力的に限界を感じる。燃費の悪さとタンク容量の少なさも気になる。FJR−1300もツアラーとしての完成度が高く魅力的だが,XJ750Eでさえ下手すると立ちゴケする私の短足には足つき性が悪すぎる。XJR1300など乗ってみるとXJより新しい分パワーフィールもハンドリングも他の操作系も快適性が高い。しかしXJ750Eから乗り換えるだけの魅力を余り感じさせない。シャフトドライブでないしシートフィーリングがXJより劣るのも一因だ。
 より理想に近いデザインを持った新奇的魅惑はあるものの,使い慣れた枯れたデザインの良さも心地よいものだ。現代のバイクに比べXJはアンダーパワーだしハンドリングも前時代的だ。操作系も疲労も含めダルだ。しかしパワーはXJクラスで十分必要以上だと思うし,操作系は良いに越したことはないが慣れで十分カバーできる部分も多い。私の元では2年半しか所有していないが22年間歳月を経て見てくれは疲労しているが現役で活躍できる健気さには愛おしさすら感じる。善い悪いは視点の差異だから,視点をずらすと欠点も美点に変わってしまうし美点も欠点になりうる。全てを満足させることは不可能だ。だからこそ進歩し続けられる。
 小田和正の「ラブストーリーは突然に」では無いが,突然私の琴線に触れるバイクが現れるかも知れない。いや既に気が付かないだけであるのかも知れない。しかし現状ではXJ750Eが最高なのだ。
平成15年8月24日 私の読書スポット
白樺湖守谷翁頌徳碑公園と碑  今年は冷夏で散々な夏でしたが,お盆明けからやっと暑い日が続いています。
 暑い夏の読書スポットとして白樺湖守谷翁頌徳公園の木陰がお気に入り。白樺湖は治水の為に作られた人造湖で,その功徳を称え守谷翁の碑が建てられています。5年前の11月に老朽化し,水漏れが増えた堤防の修復が行われました。
1999年11月水漏れ改修工事の為水抜きされた白樺湖  この碑は訪れる人も少なく,のんびり出来るので,お昼寝がてら読書スポットとしていたのですが,木陰は蟻が多く,レジャーシートでは蟻だらけになってしまう。そこで今年は,バーゲンで現品限り千円のフットレスト付きのレジャーチェアを購入しました。そしたら樹脂製のヒンジが壊れていてショック!ネジと金具をホームセンターで購入し,300円程度で修復出来ました。
レジャーチェアとサウンドシステム  今日は,下界が暑くなり始める10時頃家を出て30分くらいで現着。少々風がありましたが,長袖のシャツで十分なほどの暖かさ。お盆前には寒くてジャケットを着ていました。
 海水浴に使用したサウンドシステムでチック・コリアを聴きながら今日の獲物は夢枕獏の「陰陽師」。
 チック・コリアは高校時代「リターンフォーエバー」以来聴き続けているお気に入りの音楽。アコースティック,エレクトリック,ソロ,デュオ,オーケストラ,様々な音楽スタイルを持っており,音楽的探求心はジャズ界一番だと思っています。そのサウンドはバイクでワインディングロードを駆け抜けるライドオンタイム感覚。
 「陰陽師」は会社同僚からの借り物で,すでに漫画を11巻まとめて借りて読破済み。その原作小説を読んでみたくなりました。この物語は「今昔物語」(各章が「今は昔」で始まる一寸洒落た古典)をベースに近代的感覚で阿部清明を捉え直し,その受容の仕方は科学的であるとすら思えます。
 呪とは言葉なり。言葉は闇より放たれし光。言葉は闇と光なり。こんな感じで呪を語っています。言い換えれば,これは言葉の散逸性を語っていると言えます。散逸性とは千変万化するというような意味です。秩序はより複雑な秩序へと崩壊する。そんな意味でもあります。カオス(複雑)理論というと判るかもしれませんね。
 散逸構造は自然の在りようそのもの。ビックバンで誕生した宇宙で最初に出来る物質は水素とヘリウム。それが核融合によってより複雑な原子が生まれ,我々炭素系生命体に至のです。宇宙に存在する物質は全て水素とヘリウムの成れの果て。だから動物も物も「形あるものには魂があるのだよ」,と言っています。魂とは物語そのものなのです。有象無象の物語の探求者である阿部清明には不思議は無いのです。全ては必然なのです。
 戦後民主主義の復興,高度成長,バブル経済崩壊まで日本は日本古来の村意識社会(個々の能力の差に拘らない「もののあわれ」という共通感覚で個々の価値観を相対化する社会)でした。しかし現在の飽和市場経済下で民主主義(科学的仮説による市場主義経済と天賦人権説による個人の尊厳と自由)の持つ自然権(自然淘汰)が牙を剥く時代となってしまっている。政治家やインテリの予測は今年の天気予報程に当たらない。丁度物の怪が闊歩した平安時代の暗黒支配の時代と現代はダブっていると思います。まさに人心に闇の物の怪が取り憑いたような事件がニュースを賑わしている。こんな時代に闇と光を説く阿部清明のような陰陽師が本当に必要なのかも知れません。この阿部清明ちょっと道教的高慢インテリな感じはありますが…でもキャラ的にクールで子供っぽい自己顕示欲(要はお茶目)があり好感はあります。
 この物語のファンタジー性を除いて考え方の部分で非科学的だと感じる方はある意味物の怪に取り憑かれているかも知れません。ご注意下さい!
 昼食をカップ麺とおにぎりで取り,清涼晩夏の木陰でチックと陰陽師を堪能し,殺伐とた現世から現実逃避…じゃない残暑の下界から一時避暑できました。
平成15年7月27日 熱海海水浴へ行ってきたぞ!
熱海サンビーチにて  例年になく遅い夏を待てきれず,今年で5回目になる熱海サンビーチの海水浴へ行ってきました。
 梅雨明けもせず,天候がとても心配でしたが,梅雨の晴れ間に恵まれ,熱海サンビーチは夏を垣間見せる天候でした。しかし,海水温は低めで子供たちは「冷たい,冷たい!」と騒いでいましたが,昼食を挟み4時間ほどの海水浴ができました。
 この熱海サンビーチは人工の海水浴場でそれ程大きくないのですが,ホテル街のど真ん中ということでインフラ(トイレ,シャワー,更衣室・全て無料)が整備され,逆に海水浴場特有の「海の家」なるものが無いのと,海水浴場内でのバーベキューや花火を禁止し,狭いのが功して監視も行き届き,ゴミも比較的少なく快適に過ごせる海水浴場と言うことで我が家では気に入っています。
 私は,海水浴に良い思い出がないせいか,海水浴がダメで,とくにまとわりつく砂と粘性をもった海水には閉口してしまいます。ということで私はもっぱら子供たちの監視という建前でレジャーテーブルで音楽を聴きながら,読書をするのが海水浴場での習わしとなっています。
海水浴場のサウンドシステム  PC用の安価なモニターを電池駆動仕様にしてビーチパラソルにセット。パラソルが指向性を持ったディフレクターとなりパラソル内では明瞭度が増し,外れると減衰するので,周囲の人の迷惑にならなく気に入ったセッティングです。因みにソースは夏らしく「ボサ・ノヴァ」を主体にチック・コリアをトッピングして聴きました。本は実存的表現が気に入り現在ハマッている京極夏彦さんの「巷説百物語」という夏向きの怪談じみた小説。
 ホテルのチェックインの時間となりホテルのプールで子供たちと一泳ぎして,温泉に浸かるというのが我が家の海水浴の過ごし方。
モニュメントのオープンコンサート  夕食を遅めにブッキングしたので,温泉から上がった後,家族で熱海市街を散策。海水浴場横のモニュメントでオープンコンサートが催されていたのですが,趣味に合わない音楽で少々ガッカリ。娘がお腹が空いたと言うので出店で焼き鳥を注文し暖め直ししている間に,旦那さんが「残り4個の心太,良かったら食べて下さい」との申し出。じつは心太が目に止まり所望しようかなと思っていた矢先で「ラッキー!」とばかり有り難く承諾させて頂きました。しかもこの心太,酢を使ってないタイプで心置きなく堪能できました。
 今年は「ニューフジヤホテル」の旧館(外観は少々草臥れていますが内部はメンテが行き届いていました)に宿泊しましたが,夕食が会席料理ということで少々期待薄(過去ホテルの会席料理で満足することが希でした)の感で臨んだのですが,一品一品がシェフの心尽くしが伝わるような出来栄え,1時間強の間飽きることなく,用意していた小腹用食料は不要のものとなる嬉しい誤算でした。最上階にある露天風呂も熱海の海が一望できる風景の良いものでした。
 翌朝,種類はさほどでしたが,質の高いバイキング形式の朝食を味わい,ホテルのチェックアウトが11時と遅めなので,「プールで泳ぎたい!」と騒ぐ娘のリクエストに2時間程プールを堪能することが出来ました。しかも冷夏の夏にはもってこいの屋内プールで朝方は設定温度が高めで,2時間程の間プールに浸りっきりでした。
 予想外の食事への感謝をアンケートにしたため,冷夏の海水浴の思い出とともに帰路につきました。
平成15年7月13日「CLASSICAL MUSIC ON TV」買ったぞ!
「CLASSICAL MUSIC ON TV」と10枚分MP3で焼き直したCD-R  事の始まりは,テレビアニメ「あたしンち」の主題歌が,TV CFに使われている曲と同じだ!ということを妻が言いだし事でした。
 曲名はエルガー作曲行進曲「威風堂々」。
 たしかダイソーにTV CFに使われているクラッシックを集めたシリーズがあることを思いだし。ダイソーに行った際捜してみました。すると,このシリーズは10枚あり,その第2集に目的のエルガーを発見しました。が,他のアルバムの選曲を見ていたら,懐かしい曲が入っているので,結局10枚全部購入してしまいました。といっても,1枚100円なので全部買っても1,000円。保育園の頃お昼寝の時間に流れていたシューマンの「トロイメライ」や小中学校の頃のお昼に流れていた曲など,沢山収録されているので思わずタイムスリップしてしまいました。
 交響曲,組曲などはCFに使われて楽章しか収録されていませんが,それでも楽章全部が入っているのでオムニバスとして聴くには結構楽しい。高校時代にグラムフォンから出ていたカラヤンの有料宣伝盤のことを思いだしてしまいました。コストパフォーマンスだとダイソーにはかなわなかったけど。
 さっそく家に帰って家族と数枚聴きながらあのCFの音楽だ!とか言いながら聴きました。まぁ家族はそれ程クラッシックには興味ないので,私用にMP3ファイルに圧縮して10枚全部を1枚のCD-Rに焼き直し,お出掛け用を作ってみました。(いったいいつ使うんだろう?)
収録リスト 
平成15年6月29日 娘と霧ヶ峰バイク散歩をしたぞ!
霧ヶ峰駐車場にて  梅雨の中休み,天気も上々の日曜日,娘の頭の中は鯛が靴を履いて走り回っている。
 昨日摩耗したフロントタイヤを交換しハンドリングがリフレッシュしたXJ-750Eを駆って霧ヶ峰まで娘を乗せ涼みの散歩に出掛けた。
 先週もインドア派の息子を乗せ霧ヶ峰まで行ったのだが,何とバイク酔いをしてしまいました。アウトドア派の娘はさすがにバイク酔いはしないが,駐車場について「面白い?」と尋ねると「面白い」と言ってくれるのですが少々緊張気味。久しぶりにタンデムシートに乗る娘には”少々飛ばしすぎたかな?”と反省しつつ,しばしの涼を楽しむ。  茅野から美ヶ原まで続く有料だった「ビーナスライン」も
ジャガバタ屋台昨年から無料化され,身近な存在になったが,休日は観光客が多く,バイクで快適なペースを維持するのは難しい。すり鉢状の地形のため炎天下諏訪湖周辺の気温は高い。一気に霧ヶ峰まで駆け上ると快適さは別世界。
 青空に浮かぶ白い雲間を滑空するグライダーを横目にしつつ,お気に入りの屋台のジャガバタと焼きトウモロコシを買って帰宅。
 しばらくの間,娘の頭の中の鯛は靴を脱いだようだ。
平成15年6月22日 草刈りをしたぞ! 苦し紛れのテーマで申し訳ありません。
土手の草刈り後  我が家の横にある河川の改修工事後,小さな虫が多くて困ると妻が言うので,土手の草刈りをすることにしました。
 まぁ草刈りといっても草刈り機で切り倒すだけなのだが…それでも3時間ほど掛かりました。そんなことをしながら父親の事を思いだしていました。
 父親も結構近所の草刈りや雪かきを率先してやっていたのですが,「俺がやるのに他の奴はやらない!」という因業爺タイプ。人はエゴ*1で生きている。エゴ自体は善でも悪でもない。人と人との関係の中から良い,悪いと分節されるものだ。
 道徳的に家族のため,人のためと思いだすと,最初の良いものと思われていたナイーブな感情を忘れニヒリズム*2に陥ってしまう。ニヒリズムは怒りを伴う強い感情だ。映画「スターウォーズ」,「フィールズオブドリームス」も父と子の和解の物語。愛情が倒錯しニヒリズムに陥り父と子の確執が生まれる。そのニヒリズムを自らの力で克服する物語だ。現実には映画のように単純に和解できないけど,そうありたいと願う。
 しかし,ニヒリズムという感情は簡単に陥りやすい。”良いことをしているのだから私は正しい!”などと思い出うとニヒリズムは発芽しはじめる。理想と現実の位相差によって生まれる”怒り”という視点による世界の文節なのだ。
 時々自分の心の中に育ったニヒリズムという雑草を草刈りしいかなければいけないと思います。人生という物語を美味しく味わうために…。

*1エゴ…生命体の存在可能性。エゴによって分節された世界が価値観です。だから細菌もシンプルなエゴがあり,人は感情として心に訪れる。
*2ニヒリズム…愛情の倒錯モデルの他に,劣等感からくるニヒリズムのモデル,論理的モデルなどあります。
平成15年3月29日 お茶犬が来たぞ!
お茶犬,ペロ,リョク  お茶犬が我が家にやってきました。
 蔦屋へコミックボックスを買いに際に,店内に設置してあるじゃんけんゲーム機でお茶犬を見事ゲット!
 「おちゃけんが当たった!」と言うので,何でゲームで「お茶券」が当たるの?と思ったら,お茶犬でした。
 このお茶犬,緑茶犬で,鼻にスイッチがあって押すと口を開け舌を出す。だからペロと言うらしい。ただし,置いた状態だと口が開かず舌が出ないので,ダッコしてやらないと動かない。あと,「ワンワン」とか「クーンクーン」とか数種類の鳴き声を出す。取り説も何も無かったので理解するのに少々手間取ってしまいました。
 突然やってきたお茶犬,可愛がっていきたいと思います。
お茶犬のホームページ
後日談:可愛がっていたお茶犬…でも一緒に寝ているとうるさいと娘に嫌われ,邪険に扱われています。やはり熱し易く冷め易い典型的な日本人なんですね。
後日談2:お茶犬の祟りか(笑)コーラが好きで毎日飲んでいましたが,なぜか「お〜いお茶」を飲むようになってしまいました。甘味の全くない飲み物ばかり飲んでいると今度はコーラが甘すぎて飲めなくなりました。
平成15年1月19日 5年ぶりのわた
98年の御神渡りの写真を借用しました。  諏訪は山々に囲まれ,寒いけれど雪は比較的少ない所です。
 寒い年は雪が少なく,暖かい年は雪が多いというのが定説でした。昨年の長期予報では,暖冬と言う事でしたが,11月下旬から雪は降るし,寒さも厳しい冬となりました。その寒さのお陰で5年ぶりに諏訪湖に御神渡りが出来ました。
 諏訪湖に全面結氷した氷が昼夜の温度差で,膨張収縮を繰り返し氷の亀裂が盛り上がる現象ですが,私が小さい頃は毎年見られましたが,近年環境の変化に伴いなかなか御神渡り現象が少なくなってしまいました。
 御神渡りが出来ると神事が執り行われ世情を占うのですが,どうも景気は芳しくないようです。
平成14年12月31日 ’02年度suwakawa音楽大賞決定!
Cangin' My Life「ETERNAL SNOW」  ’02年度の音楽大賞選考委員会の選考の結果,見事栄誉に輝きました。
アニメ「満月をさがして」の主人公フルムーン  Cangin' My Lifeの「ETERNAL SNOW」は,アニメ「満月フルムーンをさがして」の主人公・フルムーンのセカンドシングル,エンディングテーマとして使われ,家族の周知の音楽となった。主人公の声と,その歌声のミスマッチング,そして”好きになる気持ち”を切なく(って小学生が理解できるのか?真衣に聞くとわかってなかった)美しいメロディーにのって唄うこの曲は家族全員の「好きな曲」ということで,’02年度の最高の音楽ということになりました。
皆さんもETERNAL SNOW応援してください。(1コーラス)
平成14年11月24日 ハッピー登場!
ハムピー 11月18日にハムハムが逝去しました。我が家に来て2年4カ月でした。
 真衣がクラスで飼っていた兎が死んでしまったので,寂しくなり家に帰ってきてハムハムと遊ぼうとしたら冷たくなっていました。Wショックを受けた真衣は悲しみ食事も喉を通らないほどでした。そして,11月24日に新しい家族を迎える事になりました。今度は雌のジャンガリアンで,真衣がハムピーと名付け,愛称は「ハッピー」としました。
 おっとりしていたハムハムと違い,恥ずかしがりの女の子です。今後とも宜しく。

平成14年4月27日 久々のオーディオ熱!
CD専用の管球アンプとアンプ切り替えスイッチ クラッシックで空前のヒットとなった「小澤征爾・ニューイヤーコンサート」のCDを聴いてから,冷めていたオーディオに火がつき,オーディオシステムの見直しを実施。
 AVアンプから,CD再生用の管球アンプ(しかも2種類,左・TU-877(KT-88),右・TU-897(2A3),中央はアンプの切り替えスイッチ),オーディオ専用CDプレーヤー(友人からの借用・KENWOD D-3300P),スピーカーケーブルのグレードアップ,スピーカーネットワークの作り直し等を行いました。
 オーディオは際限のない趣味ですので,常に音質向上に取り留めもなく無くなってしまいます。今回はこの位で・・・終わる予定です。   (オーディオシステムの詳細)

平成13年7月22日 アホウ丸大会部門優勝!
第8回 豊田アホウ丸大会 夏空のもと諏訪湖で開催された,第8回豊田アホウ丸大会に出場した小川育成会の「早朝ランニングチーム」が小学生団体部門で優勝を獲得した。
 アホウ丸大会は,江戸時代末期に諏訪湖治水事業を私財をなげうって蔑称「アホウ丸」という泥船で土砂を運び豊田の地に稲作の繁栄をもたらした伊藤五六郎翁を記念し,また諏訪湖浄化を目標に活動するボランティアによって開催されている泥船による手漕ぎボートレース大会である。
小学生団体の部優勝盾  毎年,小川育成会行事の「小川早朝ランニング」から小学生のメンバーを集め,豊田アホウ丸大会に参加し,昨年も小学生高学年の部で「早朝ランニングチームB」が優勝している。
 今年も早朝ランニングに参加した小学生6名をメンバーでエントリー。20日に練習を行ったが,真っ直ぐ進まず,どうなることかと不安になった。大会当日も出足は良かったが,ダッチロールし始め,幸運にも競争相手の船に当たって,立て直すなど,幸運な試合展開となり結果として部門優勝を獲得できた。
 出場したメンバー誰もが考えもしなかった優勝で子供たちには一生忘れられない思い出となったことと思う。 


平成13年5月4日 中年ナナハンライダー誕生!
YAMAHA XJ750E '81Model 昨年大型自動二輪の免許を取って,TX650を借りていたが,今度縁あってYAMAHA XJ750Eを入手。車検,整備が完了し,今日納車となった。
 ヤマハ80年代のナナハンで,XJ650のモデルチェンジでナナハンとなった。4気筒DOHC2バルブ,発電器,セルモーターをシリンダー後方に配置しとてもスリムなエンジンとなってます。スポーツバイクとしては珍しいシャフトドライブ。80年代に乗っていたRZ250と同じデザインコンセプトで懐かしく,親しみやすいバイクです。
 このバイクには前オーナーの使用していたパニア(サイドバック)付で,シャフトドライブと相まってツアラーとしての装備も十分。借りていたTX650と比べ,パワーは勿論,足回り・乗り心地ともしなやかに仕上がって,YAMAHA8年間の進歩がある。私にとって22年ぶりの4気筒マシン。
 このミドルクラスツアラーで中年ナナハンライダー始動!

平成13年4月3日 プリウスが当たったぞ!
HITACHI FLORA Prius300R プリウスといってもトヨタのハイブリッドカーではありません。日立のパネルトップパソコンがネットの懸賞で当たりました。
 お金のかかる宝くじやはがきの懸賞はなかなかやれないので,ネットで懸賞を時々やっていましたが,その度にメールマガジンが増えるので閉口してました。3月27日に「当選のお知らせ」というメールが届き,きっと携帯かBSチューナーでも当たったのだろうと思っていましたが,そのサイトに行って確認するとな,なんとパソコンが当たってるではありませんか!
 友人に話すと,「おまえの家は4人家族で,4台もPCあって要らないじゃないか!よこせ!」と言われ,「これはペットのハムハム用だ!」と言うことになりました。(そんな訳無いか!)
 このPrius300RというPC,CD-ROM+15G HDDとDVD-ROM+30G HDDの二種類あり,景品用だから安価な方だと思っていたら,DVD-ROM版が配達され感激しました。我が家にはDVDプレーヤーがないのでこれで映画も見られる! でも映画を見るなら,安価なDVDプレーヤーをTVに接続した方が迫力あっていいですよね。何でPCで映画を見られるようにするのか私には理解できません。(ただのPCで文句言うな!)
 これで我が家のパソコンは5台になりました。(貸しているPCも入れると6台になっちゃいます(笑))  このパソコンの関連記事はこちら

平成13年1月1日 新年明けましておめでとうございます
諏訪大社上社参道の賑わい 明けましておめでとうございます。
 本年もsuwakawaほーむページをよろしくお願いします。
 毎年恒例の,元旦に家族で諏訪大社上社へ初詣に家族で行きました。
 諏訪大社は,諏訪神・建御名方命(たけみなかたのみこと)と后神の八坂刀売命(さきがみのやさかとめのみこと)を祭る上社と下社を合わせて一社を形作り,信濃の国一の宮(元官弊大社)全国一万余の諏訪神社の総本社。
 だそうです。7年に一度行われる「御柱祭」は奇祭として有名です。
 今年は,天候もよく,大変な賑わいでしたが,ちょっと午後になっても肌寒い日でした。家族と1年間の息災を祈念してきました。
 その後は,いつも通り参道の出店のショッピング,そしてショッピングセンターの初売りと相変わらずの1日を過ごしました。
 みなさんは,どんな元旦を過ごしましたか? 1年間の皆さんの息災と御活躍を祈念いたします。

平成12年12月4日 我が家にTX650がやって来た!
YAMAHA TX650 待望(おやじ一人だけですが)のヤマハ TX650が我が家にやって来ました。
  中学からの友人で,バイクの師匠であるQ氏が,以前より免許を取ったら貸してくれると言っていたが,なかなかその気になれず,クォーターで満足していたが,今年ふとしたきっかけで大型自動二輪の免許をとり,TX650を借りることになりました。
 そして今日,車検,整備が完了し,我が家に届けられました。
 このヤマハTX650は1973年モデルで,今から27年前の古いバイクです。今流行の1リッター超えの直列4気筒,V型2気筒エンジン搭載のバイクと違い,直立,直列2気筒で,排気量も650ccというミドルクラスで,スペック的には大変見劣りするバイクですが,他のバイクにない味わいのあるバイクです。補修部品も欠品が増えメンテナンスもままならないバイクですのでので,大事に乗りたいと思っています。
 このバイクは別枠でHPに掲載していきたいと思います。


平成12年8月14日 suwakawa家に新たな家族誕生!
ハムハム suwakawa家に新たな家族が誕生した。
 高橋家から養子に来た,ハムスターの「ハムハム」である。
 以前より真衣が欲しがっていたハムスターであるが,高橋家で子供が生まれたらいただく約束で,8月1日に父「ハム」,母「スター」のあいだに生まれた雄のハムスターを生後2週間で乳離れしたので今日から我が家の一員として加わった。
 新たに家族に加わったハムハムの近況はハムハムのページで紹介していきます。

      ハムハムのお家

平成12年8月1・2日 造波プールのハシゴをしたぞ!
ラーラ松本 夏の定番イベントは海水浴ですが,山国で淡水育ちの私は海が苦手。駐車場までは大渋滞,車を停めれば砂浜まで距離は長い,砂が体中まとわりつく,海水は不快な粘りがあるし,海や砂浜はごみだらけ,日焼けで痛い目に合う,等々。海水浴に行っても早速ホテルにひきあげ,ホテルのプールで泳ぎ直すのが恒例でした。
 suwakawa家の今年の夏は悠一がいないので,恒例の海水浴はやめ,安近短で造波プールに日帰りで行くことにしました。
 諏訪には残念ながら造波プールはないので,近くの造波プールを探し,プランニング。松本の「ラーラ松本」と長野の「サンマリーンながの」いずれも公営のごみ焼却施設の廃熱を利用した温水プールです。
 近いという理由で「ラーラ松本」へ行くことに決めましたが,真衣が次の日も行きたいと言い出し,同じところでは面白く無いということになり,「サンマリーンながの」にも行ってきました。サンマリーンながの
 アクセスは別として,二つの造波プールの感想をいうと,オープンして1年ちょっとの「ラーラ松本」の方が歩(ぶ)がある。真新しいし,流水プールも長いし,なんと言っても諏訪から近い!(当たり前か)
 些細なことだが,日光浴するエリアがどちらもあるが,焼けて熱いフロアを素足で歩くのは大変だ。ラーラ松本はちゃんとサンダルが用意してある。またそこから見える景色もラーラ松本の方が断然良い。
 一方,サンマリーンながのの良いところは,造波プールの上にスプリンクラーが設置されていて,人口雨を降らせる機能があり,嵐の海を漂うような気分にさせてくれる(写真下の煙のような物はこのスプリンクラーから出ている人口雨)。またレストランのラーメンは大差がないが若干サンマリーノながのの方が美味しかった。(といっても低次元の争いだが)また家族全員でラーラ松本に遊びに行こうと思っています。

平成12年7月8日 蓼科保養学園に悠一入園!
蓼科保養学園 体育館 台風3号が関東を横切り,小雨の中,悠一の蓼科保養学園入園式が行われました。
 「蓼科保養学園」とは,諏訪市が市内の小学校5年生を対象に実施される養護教育プログラムで,親元を離れ避暑地で有名な蓼科高原にある学園で,集団共同生活を65日間すごすものです。
 元来は虚弱体質改善が主眼だったプログラムですが,現在では家族や本人の希望によって人選されます。「蓼科保養学園」の詳しい内容が諏訪市の'99.11.1号広報に特集として掲載されています。諏訪市のHPにアップされていますので見てください。諏訪市広報'99.11.1号←削除されました。蓼科保養学園 入園式
 7月8日入園式から8月20日家族面会日が1日だけで,9月10日の卒園式までの65日間を男子20名,女子20名の諏訪市内7つの小学校から集まった仲間と,2クラスに別れ勉強し,学園内の「ホーム」と呼ばれる棟で寝泊まりし,夏休みの間も学園内で,学園長始め17名の先生方に見守られ過ごします。
 日頃,あまり体を動かすことがなく,家にいるとVIDEOでアニメを見たり,TVゲームばかりしている悠一が,親元を離れ,集団生活の中で友情,自立心,自信,積極性,はたまた家族愛,何を見出すかわかりませんが,一生の思い出になると思います。
20人が学ぶ教室一部屋5人で過ごす勉強机
図書室 音楽室,集会場も兼ねる食堂お風呂
関連記事
「平成16年11月14日 真衣の蓼科保養学園」

平成12年5月21日 フリーマーケットで掘り出し物
ミノルタの小型三脚 10円 フリーマーケットで掘り出し物を探し出したときは,とても愉しいものです。
 先週は諏訪市民センターで行われたフリマでミノルタの小型三脚をネジが1本無くなったということで10円で購入し,手持ちのネジを加工し取り付け,動きの悪いのは少々グリスを塗布しスライドもスムーズです。さすがこんな小物でもメーカー品はちゃんと出来ていると感心しました。
 今日は岡谷やまびこ公園で行われたフリマで,手作りの堅牢な縁台を発見。交渉して大4,000円と小2,500円を二つで5,000円で購入しました。気のいいおじさんが売っていて,車まで一緒に運んでくれました。市販のものには無い厚い材料で出来ているのでけっこう重かった。表面は焼いてありニスを塗ればきれいになるとレクチャしてくれました。手作りの縁台 二つで5千円
 家に持ち帰って早速ニスを購入し縁台に塗りました。大きい方は外に設置し,小さいのは玄関の隅に置き多目的な台として使用する予定です。(写真:左 ニスを塗って木目も一段と見栄えが良くなった)
 次回6月10日に開かれる「富士見パノラマジャンボフリーマーケット」(http://www.lcv.ne.jp/~kassan/)にも出店する予定だといってたので,頑丈な縁台をお探しの方は覗いてみたらいかがでしょう。

平成12年5月15日 わが家に無線LANがやってきた!
    
幾多の試練?を潜り抜け無事稼働開始。
MELCO Air Station WLS-L11W  以前より気になっていた無線LANがメルコより廉価になって発売され,「これがあれば,他の部屋からもインターネットに接続できる!」と訳のわからない理由で導入されました。
 導入したのはMELCO Air Station WLA-L11 11Mbps(
http://www.melcoinc.co.jp/)で,ゴールデンウィークの5月2日に発注し,5月15日に入荷しました。さっそく,セットアップ!わが家に設置したAir Station(中央)
 勘違いその1:実はセットにはステーションと無線PCMCIACARDが2つセットですが,ステーションにもPCMCIACARDをセットし,もう1台をPCに接続するものと勝手に思い込んでいたので,実物を見てわが家ではPCMCIACARDは1枚で良かったことに気付きました。無駄な出費をしてしまった! と思いつつセットアップを続けました。
 ハブにエアステーションを接続し,有線LANのパソコンからステーションのセットアップのはずだが,設定画面が表示されない。仕方なくマニュアルを読む。フムフム,プロキシの設定を外す? LCVのケーブルモデムでインターネット接続しているため,プロキシ(風呂敷ではない)設定で接続されているのが設定の邪魔になっていたらしい。なんとか設定完了。VAIO に取り付けた無線LAN CARD

 こんどは,無線運用するVAIO 505にPCMCIA CARDをセット,プラグアンドプレーでドライバーを要求してくる,FDDからドライバーをインストール。勘違いその2:セットなかの別紙でドライバーはFDを使用せず,CD-ROMからインストールするように書いてあった。(おいおい,それなら,FDを付けるなよ)マニュアルを読まずに勝手に思いこみで進める悪い癖である。するとWindowsのCD-ROMを要求してくる。困った!VAIOは外付けCD-ROMのため,1基しかないPCMCIAスロットは無線LANCARDでふさがっている! しかたなくキャンセルし,WindowsをVAIOのHDDにフルコピーし,再セットアップ。再びCD-ROMを接続し,無線LANのマネージャーをインストール。有線LANからセットアップしたステーションの設定をFDDを介してマネージャーに登録。これで設定はすべて終了。ヤッター! LANに接続できたぞ! と喜んだのもつかの間,「おや? インターネットに接続できないぞ!」こ,これはやばい! ドライバーを再設定してみるが,症状は変わらない。「有線LANなら」と元の有線LANCARDに差し替えてみるが,先ほどまで接続できた有線LANまで感染し,インターネットに接続できなくなってしまった。すでに3時間が経過。焦りの色が出始め,夕食を済まし,子供を風呂に入れて気を取り直し思いつく悪あがきをするが,一向に改善の兆しがない。マニュアルを再度読み直し,関連するところを探すが事例が乗っていない。インターネットでメルコのサポートのページを見るがここにも事例がない。寝る直前にマニュアルからプロキシの設定の項目を見て,ステーションのIPアドレスをプロキシの例外処理に設定,祈る気持ちでブラウザを立ち上げるが,接続できない!
 ユーザーサポートに打開策を聞くことにして諦めて寝る。次の日,仕事の休み時間に10回以上TELをするが,全くつながらない。個人ユーザーが平日サポートに電話するのは大変な労力なのに,サポートのメールアドレスは無いし,仕方なく家からFAXでサポートに連絡を取ろうと考えながら家に帰って,VAIOを立ち上げると,なんと,インターネットに接続できるではないか!? 何で? と思いつつ,メールチェック,メールも問題なくつながる。
 プロキシの例外処理の設定がリブートで有効になったのだ(と思う)。やっと丸1日かかり,無線LANが稼働を開始しました。めでたしめでたし。(教訓:セットアップ前にマニュアルをちゃんと読みましょう。(と思うだけで実行した試しがない)
 使ってみた印象では,ノートパソコンから太いLANケーブルが無くなりすっきりしました。通信速度は,従来の10BASEのLANと遜色を感じません。通信範囲はわが家は何処でも通信可能です。試しに外へ出ても5m位なら通信可能でした。
 無線LANの導入を考えている方の参考になれば幸いです。
【写真1:メルコ エアステーションWLS-L11W 写真2:居間に設置されたエアステーション(中央),ハブ(上),HDD(奥),ケーブルモデム(左),HDD用サーバーに使っているノートPC(右) 写真3:VAIO505に取り付けた無線LANカード(出っ張りが大きく気になる)】
追記:立ち上がりに5分ほど時間がかかったり,途中でリンクが切れたり,内部クロックの時間が保持できなくなり2001年4月にメーカー修理に出しました。

平成12年5月5日 恵那峡ランドへ行ってきたぞ!
Family in EnakyouLand ゴールデンウイークの子どもの日に今年は何処へ連れていくか悩んだ結果,去年と同じ「恵那峡ランド」へ行ってきました。ゴールデンウィークに出掛けるのは渋滞や人混みに巻きこまれるというのが通説ですが,ところが「恵那峡ランド」はそうじゃない!(写真:左 だいぶ人が少ない)
 恵那峡ランドは年少用の施設が多いため,小さな子ども連れの家族が圧倒的で,「キャメルコースター」というジェットコースター(レベルは初心者用)に子どもと2回,乗りましたが,待ち時間はゼロ!でした。
料金も恵那峡ランドのホームページBluebird1600SSS のお知らせのページをプリントアウトして持っていくと,大人3,400円分のチケットが2,500円,小人2,800円分が2,000円に割り引きしてくれます。しかし以前100円から400円と様々に設定された乗り物料が300円に統一されたため家族4人で使うと200円分の乗り物券があまってしまうが払い戻ししないので注意してください。それでもだいぶお得です。
 子どもの日特異日の晴天に恵まれ,午前9時30分から午後3時まで恵那峡で過ごし,子どもも喜んでくれました。人混みを嫌がる人には穴場です。(写真:右 ロープウェーで行った対岸の土産物屋で見かけた30年以上前のブルーバート1600SSS,とても懐かしかった)
追記:残念ながら2000年に恵那峡ランドは閉鎖となったようです。
追記:2002年4月21日より「恵那峡ワンダーランド」としてリニューアルオープンしました。良かった!良かった!
追記:2003/05/03:昨年のリニューアルに続き今年も行ってきました。今年は不景気で安近短レジャー最盛期らしく今までにない賑わいでした。ゲート前のチケット売り場でパックを購入すると入園料,遊具料4,000円分が2,500円になる。また遊具施設も若干増えていました。ただ,ワンダーランドとなってロープウェイが中止になっているのは変わりありませんでした。
恵那峡ワンダーランド

平成12年4月29日 フルタイムインターネットがやって来た!!
CableModem やっと我が家の地区もLCVインターネット接続サービスが開始され,おやじの独断でサービスを受けることになりました。(写真:左 設置されたケーブルモデム,上はハブ<蛇じゃない!>)Booster
 工事は1時間ほどで完了し,川上家のLANにケーブルモデムが接続されました。信号レベルが低いということで,後日暫定的にブースターを接続。恒久策も取ってくれるとのこと。TVの11チャンネルの汚い画面も改善されると家族も喜んでいます。さすが地域密着型のLCVでアフターケアも万全です。(写真:右 隙間に無造作に立て掛けられている白い箱が暫定的に設置されたブースター)
 従前は電話回線によるパートタイムで行っていましたが,やはり接続には気を使って,月当たり10時間程度で,おやじの独占使用でした。これを機に家族にインターネットを開放し,サイバーワールドへ出航…とおやじ一人感慨に浸っているだけで,家族に白い目で見られているのであった。
 この次はファイバーツーホームかな?。
追記:2002/07/17:LCV−NETに加入して2年経過したが,今月に入ってから,ケーブルモデムがディスコネクトすることが度々発生するようになりました。しばらくするとまた接続するのですが,日に数回発生するので,LCV−NETに相談すると,早速調査に来てくれ,信号レベルを調べてくれましたが,問題なし。しかし,症状が発生しないと原因が特定できないので,様子を見る事にしましたが,その後も日に数回から10回以上発生するようになり,再び来てもらい,前例から,ケーブルモデムもしくはACアダプターの事例があり,そこでケーブルモデムを交換して様子を見ることしました。その後,ディスコネクトの症状はなくなり,再び安定しました。我が家のケースは本体でしたが,NEC CABLE MODEM MODECAT CM5510Tは付属のACアダプターの障害も多いようで,日に数件交換するとLCVの方が言っていました。どうやら使っているコンデンサーが良くないらしい。ケーブルモデムは故障が多いようなので,貸与で良かった。

suwakawaの住人たち
天の川銀河オリオン腕太陽系第三惑星に生息する炭素系有機生命体の一種
川上日出夫 日出夫

HIDEO

おやじ属サラリーマン種 中年太りが気になるお年頃
川上緑

MIDORI

おかあさん属パートタイマー種 子供の世話に大わらわ
川上悠一

悠一

YUICHI

こども属小学生種

TVゲームを主食に生息
川上真衣

真衣

MAI

こども属小学生種 とにかく,うるさい!

寝ている時が天使モード

川上ハムハム

ハムハム

HAMHAM

ペット属ハムスター種 suwakawa家の次男
只今天国へ外出してます。
川上ハムピー

ハムピー

HAMPI

ペット属ハムスター種 suwakawa家の次女
只今天国へ外出してます。
川上ひまわり

ひまわり

HIMAWARI

ペット属ハムスター種 suwakawa家の三女
只今天国へ外出してます。

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