[Home]-[以前のひとこと]-[2025年7月後半]

以前の「ひとこと」 : 2025年7月後半


それぞれの日の記事へのリンクです
Sun Mon Tue Wed Thr Fri Sat
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31



7月16日(水) AIが「理解している」とはどういうことなのだろう?

 生成AIの話です。



 AI(人工知能)が何かを「理解している」という表現がもはや普通に使われるようになっています。私はこれがずっと気持ちが悪くて、そういう言い方はひそかに避けるようにしています。入力(プロンプト)に対して妥当な答が返ってくるということはとても素晴らしい、驚くべきことではあるのですが、それが「理解」か? というと、そうではない気がするのです。

 例えば「分数の割り算は分母と分子をひっくり返して掛け算する」とか、「台形の面積は(上底+下底)×高さ÷2」とか、問題の解き方を丸暗記して問題に対して暗記した手順で計算すれば答えは出るけれど、なぜその計算で答が出るのかが説明できなければ、それは「理解している」とは言えないのではないかと思うのです。

 この論法で有名な、サールの中国語の部屋という思考実験というか議論があります。ある部屋の中に、中国語を知らない人が閉じ込められています。その部屋には小さな窓があって、そこから中国語を書いた紙を部屋の中に入れると、中にいる人は中国語が全くわからないにもかかわらず、入ってきた紙に書かれた文字列を別の中国語の文字列に変換する膨大な規則が書かれた手順書を見ながら文字操作を行って回答を作り出し、それを紙に書いて小窓から外へ「回答」として返します。外の人から見ると、部屋の中には中国語を理解して回答してくれる人がいるように見えるはずです。

 でも、中にいる人は中国語を理解できず、自分の母国語(たとえば英語)で書かれた文字列変換規則(そこには中国語を英語に変換する規則は一切書かれておらず、単なる記号操作の規則だけが書かれています)にしたがって回答の記号列を作っているだけです。これを「理解」と呼ぶのは適切でしょうか?



 というわけでさっそくcopilotに尋ねてみました。

AI(LLM)が入力されたプロンプトに書かれている内容を「理解している」と解釈することに違和感を感じています。ジョン・サールの有名な「中国語の部屋」という比喩があります。LLMはまさに「中国語の部屋」を実現しているように思えるのです。LLMは中国語の部屋の中にいる人が中国語を理解していないのと同様にプロンプトの中身を「理解していない」と解釈することの妥当性について、現状のAI研究者はどのように考えている人が多いのか教えてください。

 こんな回答が返ってきました。

あなたの違和感、まさにAI哲学の核心に触れていますね。ジョン・サールの「中国語の部屋」思考実験は、AIが意味を「理解」しているかどうかを問う象徴的な議論で、現代のLLM(大規模言語モデル)にもその問いが突き刺さります。

AI研究者の主な立場
以下は、現在のAI研究者や哲学者の間で見られる代表的な見解です:
  1. 「中国語の部屋」はLLMに当てはまるという立場
    • 多くの研究者は、LLMは「統語的操作(syntax)」をしているだけで、「意味(semantics)」を理解していないと認めています。
    • つまり、LLMはサールの比喩における「部屋の中の人」と同様、意味を知らずに記号を操作しているだけだという見方です。
    • この立場では、LLMは「弱いAI」に分類され、意識や理解を持たないとされます。
  2. 「部屋全体が理解している」とするシステム論的反論
    • 一部のAI研究者は、「部屋の中の人」ではなく、**部屋全体(人+マニュアル+プロセス)**が中国語を理解しているとみなすべきだと主張します。
    • この見方では、LLMの出力はモデル全体の知的な振る舞いの結果であり、部分だけを見て「理解していない」と断定するのは不適切だとされます。
  3. 「理解」の定義そのものが曖昧だという立場
    • ウィトゲンシュタイン的な視点から、「理解とは何か?」という問い自体が曖昧であるとする哲学者もいます。
    • 例えば、言語の「理解」は、内的な確信ではなく、適切な文脈での応用能力によって示されるとされます。
    • この立場では、LLMが文脈に応じた応答を生成できるなら、それはある種の「理解」と呼べるのではないかという議論もあります。
  4. 計算量・記述量の観点からの反論
    • 近年では、サールの議論に対して「そのようなマニュアルは物理的に成立しない」という計算論的な反論も登場しています。
    • 例えば、膨大な記述量が必要な「足し算の部屋」思考実験を通じて、サールの前提が非現実的であることが示されています。
まとめ:研究者の傾向
  • 工学系の研究者は、LLMの「理解」はあくまで機能的なものであり、意味のある応答ができれば十分だとする実用主義的立場が多いです。
  • 哲学系の研究者は、サールの議論を支持し、「意味の理解」や「意識」の不在を強調する傾向があります。
  • ただし、両者とも「LLMが人間のように意味を理解している」とは一般的に考えていません。

 実に真っ当な回答だと思います。こういう回答ができることは本当にすごいと思う一方、ここに書かれているように「あくまでもLLM(大規模言語モデル)はもっともらしい出力が出せるだけであって(人間のように)理解しているわけではない。」ということを利用者が忘れてしまってはまずい(場合がある)と思います。

 ここに挙げられた4つの「代表的な見解」は、必ずしも直交している(独立している)わけではないですね。1.「中国語の部屋」はLLMに当てはまるという立場 に対立する概念は 「中国語の部屋」はLLMに当てはまらないという立場 がまず考えられますが、ストレートにそのように述べている立場はなさそうです。2.「部屋全体が理解している」とするシステム論的反論 は、適切な回答が返ってきているのだから、「中国語の部屋」は「理解している」と解釈すべきだ、したがってLLMも「理解している」という解釈で良い、と言っているように聞こえます。3. は、「理解」の定義によってはLLMは「理解している」と言うこともできるし「理解していない」ということもできるので定義次第である、と言っていると思います。

 4.は、「中国語の部屋」の比喩は現実には成立しないという主張ですが、LLMはまさに「中国語の部屋」を実現してしまっているとも言えるわけです。問いかけは「LLMは中国語の部屋の比喩に当てはまる=理解していない、という解釈は妥当か?」なのですが、この立場はLLMは理解しているのか理解していないのか答えていないのでミスマッチしていると思いました。


<おまけのひとこと>
 自分が生きている間に、コンピュータを相手にこんな対話ができるような時代が来るとは思っていませんでした。上記のような議論ができるのは楽しいです。






7月17日(木) AIが「理解している」とはどういうことなのだろう?(つづき)

 生成AIの話のつづきです。



 LLMの「理解」と人間の理解を比べるためにこんな質問もしてみました。

 LLMが 「概念を理解している」 というのはどういう状態を指すのだろう? という疑問を持っています。

 私たち人間は LLM の膨大なパラメータ空間の中で知識や概念がどのように表現されているのか、どのように概念の間の関係が記述されているのか、それがどのように読みださせるのか理解できません。少なくともパラメータ空間から特定の「概念」を直接読み取ることはできません。入力であるプロンプトに対して、何が出力されるのか、その妥当性から 「理解している」 か否かを私たち人間は判断しています。

 考えてみると私たち人間は、相手がAI (LLM) であっても他の人間であっても、知識の内部表現がわからないblack box であることは違いは無くて、入力(問い)に対してどんな出力(回答)が返ってくるかで、「理解している」か否かを判別していると思います。

 そこで考えたのが、「言葉を発することができなくなっている人が、ある概念を理解しているか否か」 はどうやって判断できるのだろう? という事例です。私の記憶では、確か発話能力を失った人に、身の回りにある道具や文房具などの器具のイラストが並んだ図を見せて、言葉で 「時間を知りたいときに使う道具を指差してください」 と尋ねると、理解できていれば腕時計のイラストを指差す、という実験があった気がします。 こういった病状はどんな病名が付いていたんだっけ? ということがまず知りたかったのです。また、腕時計のような具体的な対象物ではなくて、もっと抽象的な概念を理解しているかどうかを発話能力を失った人に尋ねたいとき、どんな手段があるのだろう? というのが2つ目の疑問です。さらに、この「抽象的な概念を理解しているかどうかを判別する心理学的手法」を現在の生成AIに適用した研究があるのか、あったらその内容を知りたい、というのが3つ目の疑問です。

 ブローカ失語の話とか、抽象語理解力検査(SCTAW)の話とか、いろいろ回答が出てきました。ChatGPTによる意味分類の予測について ―生成AIは語の抽象的な属性が理解できるか― という計量国語学の研究ノートへのリンクも出力してくれました。(この論文面白いです。)最後に以下のようなまとめがありました。

最後に:LLMにおける「理解」とは何か?
おっしゃる通り、人間もAIも外から見た応答の一貫性や妥当性によって「理解している」とみなされるという点では共通です。しかし違いもあります:
  • 人間:身体や経験、感覚運動ループを通じて概念形成
  • LLM:膨大なテキストコーパス中の統計的関連性から概念を「埋め込み表現」として獲得
つまり、人間の「理解」には意味と身体の絡み合いがあるのに対し、LLMの「理解」には意味の構造的再現(シミュレーション)がある、という違いがあると考えられます。

 この違いこそが面白いところだと思っています。


<おまけのひとこと>
 今の時代はテキストはとにかく短くないと読んでもらえないのだそうです。私はAI(LLM)に何かを問いかけるとき、けっこう長いテキストを用意することが多いです。そうすることで自分が欲しい視点からの回答や分析結果が得られることが多いと思っています。ただし、想定する答を持っている場合、敢えてそれは入力しないことも必要だと思っています。なぜならば今の生成AIはユーザ(質問者)に寄り添った回答を出す傾向があると感じているからです。






7月18日(金) 火打石

 科学雑貨(?)の買い物です。



 先週の東京出張のとき、初日の午後の打ち合わせが高田馬場だったのですが、約束の時間より少し早く到着したので駅前の本屋さん(芳林堂書店)をちょっとのぞいてみました。この本屋さんはビルの3階と4階にあるのですが、4階の入り口付近に岩石標本が並んでいました。夏休みの自由研究を想定した、期間限定のディスプレイのようでした。その中に火打石セットがありました。1セット購入してみました。

 暗いところで試すと、まるで線香花火のような火花が飛びます。きれいです。ただ、これはただちに何かに着火できるほどの温度ではないそうです。麻縄をほぐして「火口」(ほくち)を作って着火させてみる、という実験には興味があるのですが、ちょっと準備が必要なのでやらずに終わるかもしれません。



 運動不足で、高々3階まで階段を上るだけでちょっと息が切れるようになってしまって、これはさすがに良くないかなと思って散歩(ウォーキング)を再開することにしました。また3日坊主で終わるかもしれませんが…

 近所の栗の木の下に小さなイガが落ちていました。

 植物はすごいなあと思います。


<おまけのひとこと>
 東京は暑かったです。






7月19日(土) 正方形に内接する円の問題(その1)

 Netで見かけた図形の問題です。



 こんな問題を見かけました。与えられた正方形に内接する円(下図左の青い円)を考えます。同じ正方形に、小さな円4つを下図右のように互いに接するように配置したとき、これらの赤い4つの円の面積は青い円の面積を1とするとどれだけになるでしょう? という問題でした。

 これは容易に一般化できますね。面白いです。(自明、かもしれません)



 家の近所を2kmくらい散歩しているのですが、昔ならばこの季節は一面の田んぼに青い稲がなびいていたものです。今は米作をしている田んぼはだいぶ減って、畑に転用されたり、太陽光パネルが設置されたりしているところが増えました。放置されているところもみかけます。このあたりでも米を作る人は減っているのだと思います。

 しっかり水が張られているのに何も植えられていない田んぼが何面かありました。鴨が泳いでいました。

 このところ大雨が降るので、保水や治水に役に立っているのかなと思いました。


<おまけのひとこと>
 油断していたら更新が夕方になってしまいました。図は今朝の早い時刻(朝6自前)に用意できていたのですが…






7月20日(日) 正方形に内接する円の問題(その2)

 Netで見かけた図形の問題のつづきです。



 昨日、こんな問題をご紹介しました。「正方形に内接する青い円の面積が 10π のとき、同じ正方形に下図右のように内接する4つの合同な円の面積の合計はいくつでしょうか?」という問題です。(昨日は 10π という値は出しませんでした。)

 面積の比率がわかればいいので、まずは小さい円(赤いほう)の半径を 1 としてみます。そうすると赤い円の面積は 1×1×π なので π になります。円は4つありますから、面積の合計は 4π です。この正方形の1辺の長さは、赤い円の直径2つ分ですから 4 です。なので左の青い円の半径は 2 です。青い円の面積は 2×2×π なので 4π、つまり青い円と赤い円4つの面積は同じです。



 正方形を複数の正方形に分割したとき、当然ですが分割した正方形の面積の和はもとの正方形と同じになります。ということは、正方形を任意の小正方形に分割して、それぞれの小正方形に内接する円を考えると、それぞれの小正方形に内接する円の面積の和は、もとの正方形に内接する円の面積に等しくなります。

 これが昨日書いた「一般化」です。



 正方形を小正方形に分割する、と言えば「ルジンの問題」を連想します。ルジンの問題は、「正方形を互いに大きさが異なる複数の小正方形に分割せよ」というもので、下の21分割が最小分割数であるということが証明されているそうです。(考案したルジン自身はこの問題には解がない(不可能である)と思っていたそうです。)

「ルジンの問題」の最小解:112×112の正方形を21個の互いに大きさが異なる正方形に分割

 それぞれの正方形に内接する円を図示してみました。円の図だけだとなんだかよくわからなかったので、正方形と円の図を交互に表示してみています。

各正方形に内接する円

 この21個の円の面積の合計が、外側の大きな正方形に内接する円(下図の白い円)の面積に等しいのです。

大きな正方形に内接する円

 図を作ってみたら面白いかなと思ったのですが、あんまり面白くありませんでした。

(つづく)


<おまけのひとこと>
 足の甲がむくんでしまってどうしたものかと思っています。座りっぱなしで運動不足なせいかなと思っています。






7月21日(月) 正方形に内接する円の問題(その3)

 祝日です。今日の話題は昨日のつづきです。



 昨日、こんなことを書きました。

 正方形を複数の正方形に分割したとき、当然ですが分割した正方形の面積の和はもとの正方形と同じになります。ということは、正方形を任意の小正方形に分割して、それぞれの小正方形に内接する円を考えると、それぞれの小正方形に内接する円の面積の和は、もとの正方形に内接する円の面積に等しくなります。

 実はこれ、正三角形でも成立しますね。

 正三角形を複数の正三角形に分割したとき、当然ですが分割した正三角形の面積の和はもとの正三角形と同じになります。ということは、正三角形を任意の小三角方形に分割して、それぞれの小三角方形に内接する円を考えると、それぞれの小三角方形に内接する円の面積の和は、もとの正三角形に内接する円の面積に等しくなります。

 図示してみました。

 この方向に一般化して考えると、「図形Pを、Pと相似な複数の部分図形P1,P2,…,Pn,に分割できること」「図形Pに内接する図形Qが定義できること」を条件として、各 Pk に内接する図形 Qk を考えたとき、Q1,Q2,…,Qn の面積の和が Q の面積に等しい、ということです。図形Pが正方形もしくは正三角形だとして、図形Qが円の場合について考察したということになります。

 実は任意の三角形は図形Pの条件を満たしますし、四角形もPの条件を満たすかたちがいろいろあります。自分自身と相似な複数の図形に分割できる図形はレプタイル(rep-tile)と呼ばれています。レプタイルについて調べてみると、いろいろ面白い情報が出てきます。例えば、レプタイルの性質を持つ多角形は、五角形以上ではみつかっていないそうです。



 図形PをPと相似なn個な図形に分割できるとき、その図形を rep-n タイル性を持つ、と言うそうです。与えられた任意の N (Nは2以上)に対して、rep-N タイル性を持つ図形を示してください。(この問題、ずっと以前に考えてみたことがあった気がします。)



 正三角形と円をいじっていて思い付いた問題です。

 黒線の正三角形の底辺を2等分して、頂点から中点に垂線をひきます。垂線の長さを1辺とする正三角形(青)を描いて、それに内接する円(青)を考えます。また、もとの正三角形の1辺の半分の長さの正三角形(赤)を描いて、それに内接する円(赤)を考えます。赤い円の面積が1のとき、青い円の面積は?

 即答できる人も多いかもしれないなあと思いつつ、図と問題文を作ってみました。


<おまけのひとこと>
 ごく軽い話題のつもりで始めた「正方形に内接する1つの円と4つの円の問題」から、いろいろ発想が広がりました。この三連休は「あやとりの楽しみ」の原稿を書き溜めたいと思っていたのですが、まだ今月末納期の10月号の原稿すら終わっていません。






7月22日(火) rep-n タイル

 レプタイルの話です。



 昨日、レプタイルに関してこんなことを書きました。

 図形PをPと相似なn個な図形に分割できるとき、その図形を rep-n タイル性を持つ、と言います。 与えられた任意の N (Nは2以上)に対して、rep-N タイル性を持つ図形を示してください。

 自分の過去のページを調べてみたら、2005年4月14日にレプタイルについて書いていました。20年前の私は「任意のNについて rep-N タイルが存在することに簡単に気付いた」と書いていますが、今回はすぐには思い付きませんでした。(自分は衰えてきているのだろうか、まずいな、と思いました。)

 前回はその答を直接書かずに、3次元における rep-N ブロックについて考察し、rep-2 ブロックの例をCGにしていました。

rep-2 ブロックの例(2005年4月14日の図の再掲)

 この直方体、2個並べるともとの直方体と相似になっているのですが、この直方体の3辺の長さの比はどうなっているでしょうか。この2次元版はどんなかたちでしょうか。それが大きなヒントになると思います。


<おまけのひとこと>
 足がむくむのは皮膚の治療のために服用している薬の副作用のようです。今日は病院に行くので、先生に相談してみようと思っています。






7月23日(水) 主観的輪郭

 視覚情報処理の話です。



 最初に、昨日のレプタイルの話です。少し調べてみたら、Rep-Tiles and Other Tiling Problems(Jack Fasching, April 6, 2025) というpdfがありました。これはUCLA Olga Radko Endowed Math Circleのテキストのようです。

 この UCLA Math Circle はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の数学科が運営している小中高生向けの無料の数学教育のプログラムだそうです。ロシアや東欧の伝統的な「数学サークル」に倣って、論理的思考力や問題解決力をはぐくむことを目的としているのだそうです。

 上記のpdfは、レプタイルについて説明し、長方形や三角形やポリオミノのレプタイルについて具体的な問題をたくさん出題しながら説明を行っています。(解答はないようです。)また上記の UCLA Math Circle のページには YouTube へのリンクがたくさんあります。こういった基本的で面白い数学についての英語のヒアリングの勉強の題材としてもよさそうです。



 ふと思い立ってこんな図を作ってみたのです。

(a) (b) (c)

 上記の (a), (b), (c) は何に見えるでしょうか?

 上記の3つの図を場所を変えながら順番に表示してみました。



 何に見えるでしょうか? (何が見えるでしょうか?)

(つづく)


<おまけのひとこと>
 実家のほうで用事があって、片道50kmの峠越えのルートを今朝往復してきました。家を出たのが朝4時半前で、現地に30分くらい滞在して、帰宅したのが朝7時前でした。早朝は涼しいですし車が少なくて快適でした。






7月24日(木) 主観的輪郭(その2)

 視覚情報処理の話です。



 昨日、3枚の画像を順に表示するアニメーションをご覧いただきました。この3枚を同時に表示するとこうなります。

 3枚の画像を別々に表示するよりも、何を表しているのかわかりやすいかなと思います。が、自分ではこの図の意図を知っていて眺めているので、初めて見た方がどんな印象を持たれるのかわからないのです。

 ちなみに copilot にこの図を入力して何に見えるか尋ねてみたら、ゲシュタルト心理学の概念を示した図だ、というところまでは言い当ててくれました。chatgpt に入力してみたら、もう少し意図通りの回答をしてくれました。恐るべきことだと思いました。



 昨日の朝、実家に行ったときに玄関わきの梨の木に小さな実がいくつもついているのを見かけました。

 かなり酸っぱい実しかならないのですが、勝手に生えてきてこんなに大きく育ちました。壁や屋根にかかる枝は昔切り落としましたが、それからもう20年くらい経っていると思います。


<おまけのひとこと>
 主観的輪郭、なぜ今のAIがそういう解釈ができるのか、とても不思議です。






7月25日(金) 主観的輪郭(その3)

 視覚情報処理の話です。



 今度はまた別のアニメーションです。何に見えますか?

 上記のアニメーションと同じ対象物(オブジェクト)に対して、光源だけ減らしたものがこちらです。(別窓で開きます。)おそらく上のアニメーションを見て何を表しているのかわからなかったとしても、リンク先を見ていただいた後でこのページのアニメーションを見ると、今度は何か見えてくるのではないかと思います。



 朝の散歩の途中で野菜畑の縁のところにキジがいました。

 もうすこしまともなカメラを持っていけばよかったと思いました。


<おまけのひとこと>
 勤務先で使っているノートPCのOSのマイナーバージョンのアップグレードの指示があって対応しました。メールはOutlookを使っているのですが、バージョンアップしたらいろいろ変わってしまいました。一番違和感があったのが、アドレス帳で出てくる社内の人の属性情報で、職場名や勤務先事業所名が全て英語のみの表記になってしまったことです。その点だけが受け入れ難いと思ったためOutlookは旧バージョンを使うことにしました。






7月26日(土) 主観的輪郭(その4)

 7/27(日)の夜に、26日(土)〜28日(月)の3日分をまとめて更新しています。



 こんなアニメーションも作ってみたのです。

 黒いオブジェクトが動くことで、明示されていない輪郭が見えることを想定したアニメーションです。昨日(といっても更新は2日後になってしまいましたが)のアニメーションと同じく、動きのあるものを表現しているつもりです。黒いオブジェクトを消して、明示されていない対象物だけの動きを表示してみたのがこちらです。(別窓で開きます。)これも昨日の例と同様、おそらく上のアニメーションを見て何を表しているのかわからなかったとしても、リンク先を見ていただいた後でこのページのアニメーションを見ると、今度は何か見えてくるのではないかと思います。

 実験でいろいろパラメータをいじったアニメーションを作ってみたのです。

 いろいろ試してみて、公開するのは今回のアニメーションにすることにしました。


<おまけのひとこと>
 こういう実験、自分でプログラムを書いているので、想定解を知っていて見ることになるのです。なので前提知識なしで初めて見たときにどんな印象を受けるのかわからないのです。それが残念です。






7月27日(日) クラフトフェア

 雑貨を買いました。



 茅野クラフトフェアというのに行ってきました。私は二週間後に誕生日になるのですが、それまでにマイナンバーカードの更新手続きをしなければいけないのです。平日に時間が取れないので、土日も窓口をあけてくれている駅ビルの市役所の出張所行ったのですが、そのついでに寄ったのです。(マイナンバーカードのほうは待たずに対応してもらえました。若い男性の職員の方が丁寧に対応してくれました。)

 屋外のテントと屋内のスペースにたくさんのお店が出店していました。とある陶芸のテントの前を通った時、とても気になるものが目に入りました。なんだか多面体みたいなのです。しかも過度に整ったかたちではありません。直径数センチくらいのころんとしたいろいろな色のものでした。

 これは、岡山県津山市の森永製陶所の森永淳俊さんという陶芸家の方の作品です。整いすぎていない、美しいかたちです。最近、こういう多面体っぽいかたちが大好きなのです。

 森永さんにお話を伺いました。地元の土をご自分で採取されて整形して焼いているのだそうです。色が全然違いますが、素材はいずれも同じで、燃焼温度だけが異なるのだそうです。左が一番温度が低くて800℃くらいで素焼きのような感じ、右が一番温度が高くて1,200℃くらいで焼いたのだそうです。

 全部で7〜8個くらいが無造作に展示されていたのですが、気に入った色とかたちのものを3つ選んで購入させていただきました。これは特に商品名などは無いのかなと思います。

 結晶性の鉱物でもない、河原の石やシーグラスのように削られて角が取れたかたちでもない、といって石を複数の面が平らになるように磨いたわけでもない、この素材も良いです。陶器の材料である粘土をこんなかたちに整形して、そのまま素焼きで焼いた、重すぎず軽すぎず冷たすぎず硬すぎず、持った感じも良いです。ペーパーウェイトや、飾って楽しむものだと思います。とても気に入りました。素晴らしい出会いに感謝です。



 2023年の誕生日に妻がプレゼントしてくれた tumi-isi という製品を連想しました。

 去年の8月にはこんな花瓶を買ったこともありました。

 こういうようなかたち、大好きです。


<おまけのひとこと>
 8月に勤務先で再雇用になるのですが、厄介なことに社員番号(ID)が変わるのです。OneDriveに置いている数百GBのデータにアクセスできなくなります。15GBくらいある過去のメールボックスもアクセスできなくなります。OneDriveは共有設定しておいたとしても誰からもアクセスできなくなる仕様らしいです。幸いメールアドレスは変わらなくて済むらしいのですが、メールボックスはいったんファイルにエクスポートして、後日インポートし直す必要があるとのことです。エクスポートしたファイルはサーバに一時保管してもらうのですが、そのサーバへのアクセス権もなくなって、再度申請が必要らしいのです。で、その申請をどこにしたら良いのかなどの情報は、PCが初期化される(らしい)のでPCに記録しておくことができないのです。

 この週末は、OneDriveのデータを整理して不要なファイルを削除したり、過去の不要なメールを削除したりしつつ、データのバックアップを行っていました。いろいろ昔の情報が出てきて懐かしく思いました。






7月28日(月) 主観的輪郭(その5)

 主観的輪郭の話のつづきです。



 先日のアニメーション、もう少しわかりやすいものを、と思ってこんなものも作ってみました。

 ほとんど同じなのですが、視点と投影法をちょっと変えてみました。

 どうでしょうか。


<おまけのひとこと>
 先日の皮膚科の通院で、足がむくむのが免疫抑制剤の副作用だろうということで、肌の調子も良いし少し投与量を減らしましょうということになりました。最初は先発医薬品を使っていたのですが、2回目の通院のときからジェネリック医薬品に変えたのですが(先発品は一日600円くらいかかるのです)、変えた後で「むくみ」が出たので、投与量を半分に減らしつつ先発医薬品に戻してみましょうということになりました。むくみは少し改善しましたが、残念ながら皮膚の痒みは復活してきています。

 生物の身体はホメオスタシスと呼ばれる環境の変化に対して体内の状態を一定に保つ仕組みを備えています。薬を飲み続ければ、その薬が体内で一定の血中濃度のサイクルで存在することを前提としてバランスを取るように身体が働きます。免疫抑制剤は「強い」薬効を持つ薬なので、体内の様々な機能に影響を及ぼします。その薬がなくなればバランスは崩れます。いわゆる「リバウンド」です。もちろん、いずれはまた新しい状態に落ち着きます。(落ち着き先が健康な状態とは限りませんが。)

 「むくみ」が主たる症状の場合(今回のように副作用とかではない場合)には利尿剤を処方したりするのですが、そうやって対症療法的に副作用を薬で抑えてゆくと、薬のない体内環境からどんどん離れてゆくことになります。(余談ですが、「利尿剤」というのは私が勉強していたころでも少なくとも6通りくらいの作用機序の異なる薬剤が知られていて、適切に使い分ける必要がありました。もうすっかり忘れましたが。)

 生き物というのは本当によくできているよなあと思います。












[←2025年7月前半]  [↑表紙へ]   [2025年8月前半→]

[Home]-[以前のひとこと]-[2025年月後半]
mailto:hhase@po10.lcv.ne.jp
2001-2025 hhase