私がErfurt(エルフルト)に出掛けたのは2008年6月13日のことで、その顛末は「私の旅行記」Erfurtでご報告済なのですが、不勉強の私はその当時、「ルターがお悟りを開いたのはエルフルトの聖アウグスティン修道院だ」と思い込んでいたのです。ところがエルフルトで聞いてみると、あにはからんやそれは「ヴィッテンベルクのBlack Tower(黒い塔)」だよ、と指摘されました。
私の間違いはなおも続いて、「ヴィッテンベルクのBlack Tower(黒い塔)」とは、種々の写真を見るかぎり、「ヴィッテンベルクの城内教会の黒い塔」だと誤解してしまったのです。写真で見るかぎり、ヴィッテンベルクに現存する「黒い塔」とは城内教会のそれしか見あたらなかったからです。
彼が蒐集した聖遺物は宮殿教会に保管されていたのですが、その数は17,443個に達し、その持ち来るべき功徳は合計すると、
「煉獄からの赦免期間」に換算して127,799年と116日に達した、というから驚きですね。彼が蒐集した聖遺物は例えばなにかというと、
1. モーゼの燃える茨の断片
もうあなたには想像がつくでしょう。そうです。この宮殿教会を建築したその当時の殿様、選帝侯Friedrich der Weise(フリードリッヒⅢ世賢明王)は途轍もない大金持ちだったのです。大金持ちなのに生涯独身で通しました、趣味は聖遺物の蒐集でした。
勿論、ルターが95ヶ条のテーゼを釘で打ち付けた肝心の扉も残ってはいません。再建のときに青銅製の扉に変えられてしまいました。表面にそれらのテーゼが印刻されているのですが、字が小さすぎて読めません。
写真:一部改変
写真:マルクト広場。残念ですがルターとメランヒトンの銅像は改修中で撤去されていました。
写真:城内教会の黒い塔
なにしろどのような宗教でも、「お悟りの場所」というのは、肝心要(かなめ)の一番大事なポイントですから、私は自分の目でルターの「お悟りの場所」を見て検分しておかなければならない、と一種の強迫観念にとりつかれて、それで今回ヴィッテンベルクに出掛けたわけなのですが、
いや驚きましたね。ヴィッテンベルクのアルトシュタット(古い町)はとても素敵な町。こぢんまりとして暖かみがあって、町全体に中世の懐かしい雰囲気があって、ルターとメランヒトンとクラナッハが生きていた16世紀の建物がすべて残っているのですから、「賢明王フリードリッヒ三世」の時代に生まれ返った気持ちがします。とかく観光地というものに付きもののごちゃごちゃとした不純物のまるでない「明朗で簡潔な街」だったからです。
お天気まで私に加勢してくれたようで、絶好の観光日和となりました。
Wittenberg (1)
2010/05/22
画像:トリノの聖骸布
聖遺物といえば、今年5月に公開されたトリノのヨハネ大聖堂の「聖骸布」が有名ですが、この布でさえ、しばらく前までは科学的根拠のない「眉唾」と信じられていたのですから、フリードリッヒ賢明王が蒐集した聖遺物もあながち「眉唾だった」と断定してしまうのは危険かも知れません。ただ、旧約聖書にでてくるモーセの時代の「燃える茨」の一部というのはいくらなんでも時代が古すぎて根拠はないような気もします。
彼が金持ちだった理由は次回に譲ることにしましょう。
では皆様、ご機嫌よう。
画像:ニコラ・フロマン『燃える柴の祭壇画』1476年の一部分
画像:
“Martin Luther in Wittenberg”-A Biological Tour,
Martin Treu,
The Luther Memorial Foundation of Saxony-Anhalt, 2003, P13
教会内は観光客で大賑わいです。皆楽しそうですね。
実は、1510年当時、この教会の後ろ(エルベ川の側)に壮大なWettin-Ernest家のルネサンス様式の宮殿があったのです。新築でピカピカの宮殿でした。現在はまことにみすぼらしいユース・ホステルがあるばかりでとても想像もつかないのですが、素晴らしく豪華な宮殿だったのです。
この宮殿教会は、
1506年に新築完成し、
1760年に焼失し、直ち
に再建されたのですが、1815年ナポレオン戦争
のときにプロイセンに
より再度荒らされたと
いうことです。
だから当初の建物の
内今に残っているのは、
教会に入ってすぐ右手
足下にある「ルターの
墓」(赤い矢印)と
「フリードリッヒⅢ世
賢明王の墓碑」くらい
のものでしょうか。
画像:一部改変
画像:「フリードリッヒⅢ世賢明王の墓碑」
日曜日だったので、駐車違反はチェックされないだろうと見当をつけて、お城のすぐ前の道路に駐車して早速見物に取りかかりましたが、まず目に入ったのはなんとペンキで真っ赤に塗り込められたルター像です。城内教会の正門の横にどっしりと置かれています。場違いとしか言いようのない色彩であきれて開いた口がふさがりません。
譬えていえば、京都の知恩院の正門前に真っ赤に塗った法然上人の彫刻を据えたようなものです。これが「ドイツ的美的感覚」というのでしょうね。