もともとこのザクセンという地方は鉱産物に恵まれた土地であり、初代神聖ローマ帝国皇帝となったオットー大帝(在位:962 - 973年)は低地ザクセンのゴスラーで生産された銀がその地位を裏打ちしていたのだし、ゴスラーの銀が枯渇した後は、ザクセンとボヘミアとの国境のErz Gebirge(エルツ山脈)で次から次へと銀鉱脈が発見されて、歴代のザクセン領主を支えてきました。

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 1268年にはフライベルク(Freiberg)で大きな銀鉱が発見され最初のシルバー・ラッシュが始まり、1471 年にはその西方のシュネーベルクで、1491年には(ベルリン南郊のフローナウからやってきた)鉱夫カスパー・ニッツェルKaspar Nitzelが、エルツ山中Schreckenbergで生産性の高い銀鉱脈を発見しました。

 さらに1537 年にはアンナベルクで大きな銀鉱が開発されました。

下に金持ち殿様Freidrich der WeiseMartinLutherの関係年表を示します。参考にしてください。

写真:Seiffenのクリスマス用木彫工芸品。Erz地方の鉱山産業が衰退したのちに開始された産業。

 現在ドレスデンに旅行される方は、クリスマス用の木彫やおもちゃを買いにザイフェン(Seiffen)まで車を走らせますが、その途中にフライベルクがありますから、町の中心にある大寺院(ドーム)に立ち寄られることをお勧めします。

 この寺院は第一次の銀ブームのときに造られた13世紀のロマネスク様式の部分と、16世紀前半の第二次銀ブームの際の15世紀ゴチック様式の部分との複合形式です。先に写真でお見せしたTulip Pulpit 等を含め非常に豪華です。

写真:Freiberg Cathedralのなかでも最も古い部分Golden Entrance Portal1230年頃 ロマネスク様式2008/06/18撮影

 では、その銀は何に使われていたのかって?

 当時の欧州は銀本位制でしたから、まず自国の貨幣を鋳造し、残った銀は輸出されて、イタリアのベニスで東方貿易の決済に使われました。その当時、欧州からの輸出品は毛織物以外には「銀」しかなかったのです。「銀」が欧州の貿易活動を支えていたのです。

 15世紀末、即ちルターが幼少のころにはエルでの銀の生産は年間1020トンに達し、北ドイツで唯一の銀山となり、これによる収入はザクセンの歳入の33%に達していたのです。ザクセンの領主(選帝侯)は当然、他の選帝侯に較べると比較にならない大金持ちだったのです。

画像:ツヴィッカウとドレスデンを結ぶ銀鉱山街道(緑色の線)。

 この表でまず注目して頂きたいのは、1491年「Kaspar NitzelErz山中で銀鉱脈発見」という項目です。

写真:Tulip Pulpitの上部。背後にThe Gottfried Silbermann Organ

画像1549年のフライベルクの採鉱と精錬 当時ザクセンで最大の都市がフライベルクでした。

写真:15世紀に作られたフライベルク大聖堂内部、2008/06/18撮影

では皆様、ご機嫌よう。

画像:選帝侯フリードリッヒV世の鋳造した貨幣Groschen

写真:フライベルク大聖堂 Hans Witten1505年頃に作製したTulip Pulpit 2008/06/18撮影