実 在 感 の 消 失 す る 世 界

或阿呆の一生 一、時代


               すると傘のない電燈が一つ、丁度彼の頭の上に突然ぽか
         りと火をともした。彼
は梯子の上に佇んだまま、本の間に
         動いてゐる店員や客を見下(みおろ)した。
彼らは妙に小
         さかった。のみならず如何にも見すぼらしかった。

 本屋は日本橋の丸善なのであるから、明治44年とはいえ、活気あふ
れる店内であったに違いない。その店内の店員の姿が妙に遠く見える。
手をのばしてもとどかない非現実感に龍之介は襲われる。人間の存在
が活々とした躍動感あふれる人懐かしい見方もあろうに、龍之介によ
ると、店員や客は貧相に見えてみるみる人間味がなくなっていく。

 読者は『若きウェルテルの悩み』の1772.1.20の記述を記憶されてい
るだろう。「さながら覗き眼鏡の前に立って、その奥に小さな人間や
馬が動きまわっている・・・・」。ゲーテの場合でも龍之介の場合で
も、自己は現実から遊離していき、外界の実在感が消失してしまう。

画像:
1918年(大正79月、セノオ楽譜から出版され
大流行した「宵待草」。

夢二は1913年に「宵待草」の詩を発表。彼の絵
の女たちがやるせげな目をして身体をくねらせ
るのもこの頃からである。彼の絵と詩は大正浪
漫をとらえ、女たちを引き寄せた。

『朝日クロニクル20世紀』第二巻、
朝日新聞社

1923-39

或阿呆の一生 四、東京

隅田川沿いの向う島の桜について、


               花を盛った桜は彼の目には一列の襤褸(ぼろ)のやうに
         憂鬱だった。が、彼は
その桜に、――江戸以来の向う島の
         桜にいつか彼自身を見出してゐた。


 冬が去って春がきた。名勝の向う島の桜が満開だ。友をさそって酒
を呑もう。陽気にやろうやないか・・・・とはならない。

 満開の桜並木は華やかな色彩を失い、灰色のボロ切れの連続と化す
る。ボロの連続に楽しみがあろうはずがない。わたしの内面は、この
桜並木の如く、灰色のボロにすぎない。

 『若きウェルテルの悩み』の1771.8.18.「無限の生命の舞台と思われ
たものは、私の眼の前で、永遠に口をひらいた墓の奈落と変じてしま
った」を想い起こしてほしい。喜びと色彩がない世界だとゲーテも龍
之介も口をそろえて表現する。

或阿呆の一生 八、火花


               架空線は不相変(あひかはらず)鋭い火花を
         放ってゐた。彼は人生を見渡して
も、何も特
         に欲しいものはなかった。が、この紫色の火
         花だけは、――凄(すさ)
まじい空中の火花
         だけは命と取り換へてもつかまへたかつた


『若きウェルテルの悩み』1772.11.15.


               私の全存在が生と死のあいだに戦慄し、過去
         は紫電のごとくに未来のくらい深
淵の上にか
         がやき、われをめぐって万象が消えて、自分
         とともに世界が没落する、


 両文章の酷似していること。自分とともに世界が没落
することを希求する・・・・と解釈してもよいのであろ
うか。それとも龍之介は自己の内で、火花のごとき覚醒
を求めていたのだろうか。

画像
フィンセント・ファン・ゴッホ 18531890
「星月夜」
1889
ニューヨーク近代美術館
油彩 カンバス 73 x 92 cm
『原寸美術館』結城昌子
小学館 2005