誰も彼も死んでしまへば善い

或阿呆の一生 二十、械(かせ)

 新聞社に入社することとなり、契約書を交わした。


               が、その契約書は後(のち)になって見ると、新聞社は何の義
         務も負はずに彼
ばかり義務を負ふものだった。


 新聞社に入社できたから、思う存分活躍しよう。ワシは事件屋になるぞと
張り切り、契約の内容など読みもしないのが普通だが、・・・・そうはなら
ない。

 はなはだしい閉塞感が龍之介を襲う。外界は常に自分の自由な精神活動を
束縛すると感じる。ウェルテルがロッテを想って結果的に閉じ込められた閉
鎖空間を想い出す。

写真:雑誌「歴史写真」

 株式相場の大暴落の影響から金融界
は恐慌状態となった。
4月からの4ヶ月
間だけで、預金の取り付け騒ぎの起こ
った銀行は本店と支店を合わせて
169
うち
21行が休業。写真は東京貯蓄銀行
・銀座支店の取り付け騒ぎ。

『朝日クロニクル20世紀』第二巻、
朝日新聞社

1920-10
1920年(大正9

或阿呆の一生 二十四、出産

龍之介の長男が出産したが、彼の感想は、


               「何の為にこいつも生まれて来たのだらう? この娑婆苦
         (しゃばく)の充ち
満ちた世界へ。――何の為に又こいつも
         己(おれ)のたうなものを父にする運命
を荷(にな)つたの
         だらう?」


 普通なら初めての子の誕生だから、どう対処したらよいかわからず
多少どぎまぎしながら、しかし、この子のために働こうと元気を出す
のだが・・・・そうはならない。

 未来は暗く、世界は苦痛に充ちている。自分には惨めさしか残って
いない。かような状況がなにゆえ招来されたか龍之介自信も理解でき
ない。子の誕生をきっかけに荒廃した内面の深淵がふたたびぽっかり
口をひらく。

或阿呆の一生 三十一、大地震

 関東大地震で、無数の死者が池に浮かんでいる。


               「誰も彼(か)も死んでしまへば善(よ)い。」


               彼は焼け跡に佇(たたず)んだまま、しみじみかう思はず
         にはゐられなかった。


 死者には哀悼の意を表するも、自分と家族が生きのこった幸運を喜
ばずには居られない・・・・となるはずなのだが、そうはならない。


 123歳の子供の死骸を眺め、羨ましささえ感ずる龍之介。自分は
死にたいのだが、大地震が起こっても死なせてくれないこの皮肉よと
自嘲する。

 価値判断が完全に逆転していることに注目したい。

写真:
『朝日クロニクル20世紀』第二巻
朝日新聞社

1923-3
関東大地震

1923
年(大正12年)91
午前
115844
マグニチュード7.9の大地震が関東地方を襲
い、東京横浜の両市は一面の焦土に化した。

死者行方不明104000人、全半焼・全半壊
55
万戸に及んだ。
写真は地震直後の築地の交差点付近。