わが神! わが神! 
  なんぞわれを捨てたまいしや

1772.11.8.

 ロッテがウェルテルに不節制をたしなめる。酒の飲みすぎ。

1772.11.15.

               これほども困憊(こんぱい)憔悴(しょうすい)はしているけ
         れども、それで
もまだやりぬくだけの力はもっている。わたしは
         宗教を尊敬する。それは君も知
っていることだ。宗教が多くの疲
         れたる者にとっての杖であり、窶(やつ)れた
者にとっての回生
         であることは、私も感じている。――ただ、それがいかなる人

         にとってもそうでありうるのだろうか? あらねばならぬのだろ
         うか? ひろ
い世の中を見れば、説教をきくにせよきかぬにせよ、
         そうでなかった人が幾千も
いるし、そうなりそうもない人も幾千
         もいる。その宗教が私にとって、かならず
杖となり回生となって
         くれるだろうか? 神の子さえいっているのではないか、
自分の
         まわりに集う者は、父なる神が自分に与えたもうた人々である、
         と。もし
この私が神の子には与えられなかった人間であるなら?
        心中ひそかにそのよう
に囁(ささや)く声がするが、もし父なる
         神がわたしをおん手のもとに留めたも
うおぼしめしであるなら?
        ――おねがいだから、曲解しないでくれたまえ。真
摯(しんし)
         にいっているこの言葉を、嘲笑だなどと思わないでくれたまえ。
         私
は魂の底を披瀝(ひれき)しているのだ。さもなければ、むし
         ろ黙っていよう。
私ばかりか何人(なんびと)に訊(たず)ねて
         も分らないようなことについては、
おろそかに言葉を洩らしたく
         はないのだから。しょせんは、おのれの分を限界ま
で堪え、おの
         れの杯をのみほすことが、人間の運命ではないか? ――天の神
         す
ら人の身もてあらわれしときの唇には、この杯を苦しと味わい
         たもうた。なにし
に私が虚勢をはって、それを甘いかのごとくに
         装うことがあろう? 私の全存在
が生と死のあいだに戦慄し、過
         去は紫電のごとくに未来のくらい深淵の上にかが
やき、われをめ
         ぐって万象が消えて、自分とともに世界が没落する、そのような

              おそろしい瞬間に、この小さい私がどうして恥じる要があろう。
         人間が窮地に追
いつめられて頼るものとてはただおのれひとりの
         力のみであり、しかもそのおの
れを支えることができず、とめど
         なく転落してゆきながら、むなしく攀(よ)じ
上(のぼ)らんと
         して攀じ上ることができない。このときの無力の秘奥に、歯を

         んで、「わが神! わが神! なんぞわれを捨てたまいしや」と
         叫ぶこそ、被創
造物たる人間の声ではないか? それだのに、こ
         の私がこの叫びを発するのを恥
じることはない。そのような瞬間
         を思って苦しむことはない。諸天を布のごとく
に捲く力のある、
         かの神の子さえ、それはまぬがれなかったことであるものを!

画像:


School of Aragon, Spain, circa 1400-1425
Triptych with Scenes from the Life of St. George
circa 1425-1450
Tempera, gold leaf and silver leaf on panel
98 x 74 in. (248.92 x 187.96 cm)
William Randolph Hearst Collection
Los Angeles County Museum of Art (LACMA)

http://collectionsonline.lacma.org/mwebcgi/
mweb.exe?request=hiersearchimages&key=95698

 解決に至らず困憊憔悴したウェルテルは、818日の問題を再度ひっぱり出す。別に信仰はしていないが、残っているとすれば解決法は、宗教−キリスト教であろうと考える。

 考えの筋道は次の通りである。


− 自分は生命の証を見た。そしてこれが絶対基準になると考えた。
− ところが、いったん死の概念が導入されると、豊沃な自然はみるみるう
  ちに荒廃する。
生命の証は消え去った。暗い冷たい灰色の世界で、不安と
  恐怖が支配する。

− 自分が立脚すべき行動・思考の基準が消滅しているから、価値観がなく
  なっている。

− 死にたいと思うが、自己の中でjustificationの論理が出来上がらない。
− 限界まで堪えるだけ堪えて、それで死ねば、論理なくしての死も、
  
physicalに許容されるのではなかろうか。
− かかる内面の議論は一時たりとも早く切り上げて、安寧の世界に帰りた
  い。現在の状
態は死ぬより苦しいから。
− ひょっとすると解決は宗教なのであろうか。キリストは言う。「自分の
  まわりに集う者
は、父なる神が自分に与えたもう人々である」と。
− 自分が神からキリストに与えられた存在であるとすれば、自分が行動を
  起こしてもそ
れは神のご指示通りであるから、justificationは成立しよう。
− 神がキリストに与えなかった例外的な存在であるなれば、すなわち神の
  庇護が及ばな
い存在であるなれば、結局最終判断は本人にまかされるので
  あるから、「おのれの分を限
界まで堪え、おのれの杯をのみほすことが、
  人間の運命ではないか?」

− 無力の秘奥に歯をかんで、「わが神! わが神! なんぞわれを捨てた
  まいしや」と叫
ぶのは、被創造者たる人間の持つ権利ではないか。神の子
  たるキリストさえも十字架上
でそう申されたではないか。
− にもかかわらず、神に頼むことには効果がない。神は理性の対象ではな
  いからだ。私
は理性で理解しうる、自分で納得しうる、合理的な、かつ合
  目的的な悟性を求めている
のだ。

・・・・とゲーテは主張する。

 結論はまたもや先送りとなった。