信 仰 か 狂 気 か ?

1772.11.21.

               ロッテは自分をも私をも破滅させる毒薬を調合している。あのひ
         とは、知りも
せず感じもせずに、それをしているのだ。


1772.11.22.

               「あのひとを私にゆるしたまえ!」・・・・「あのひとを私にあ
         たえたまえ!」


 これらの祈りは現実上成立しない。現実には成立しない祈りを祈っている
ウェルテル。

1772.11.24

 せめて死ぬまえに、一度だけ、ロッテの唇にくちづけしたいとウェルテル
は希う。

               私はもう堪えかねた。ただ首をたれて、心に誓った。「唇よ、そ
         の上に天の霊の
ただよう唇よ! もはやそれにくちづけをねがい
         はすまい。」――しかもなお――
私はあきらめきれぬ――おお!
        私の前にこの思のように聳立(しょうりつ)し
ている――、この
         幸福をわがものとして――そののちにその罪を贖(あがな)う

         く亡びゆきたい――。罪?

画像:
Egon Schiele (1890-1918)
『枢機卿と尼僧』1912
油彩 カンヴァス
ウィーン、ルードルフ・レオポルト・コレクション
情事のあさましさが描かれる。
枢機卿(シーレ自身)には情欲の感覚が、そして尼僧(シーレのモデルで恋人のヴァリー)の眼差しには罪悪感と「現行犯」で捕えられたという驚愕が強調されている。
クリストファー・ショート
『シーレ』
松下ゆう子
西村書店 2001

1772.11.26.


               ときおり私はひとりごとする。「おまえの運命は比類がない。ほ
         かの人々はしあ
わせだ。いあまだかくも悩む者がいたことはある
         まい。」それから私は昔の詩人を
読む。すると、さながらに自分
         の心をくりひろげて眺めるような気がする。私の
この忍苦よ! 
         ああ、人間はすでに昔からこれほども惨めだったのだろうか?

 自己と世界を統べる透明な哲学に到達しないまえは、自己のみが苦しんで
いる、自分ほど惨めな存在はなく、苦痛も極まりない、と感じる。絶望的な
孤独感で、これを理解してくれる人もまわりに見当たらず、相談する相手も
ない。これが自分の惨めさを倍増する。

1772.11.30.

 散歩の途次、狂気の男と出会う。

               天の神よ、あなたはこれをしも人間の運命とお定めになったので
         すか。人間は
理性をもつようになるその以前か、あるいはそれを
         ふたたび失った以後か、どち
    らかでなくては幸福ではないとい
         うことを! あわれな男よ! しかも私は、お
まえの悲哀を、や
         せゆきおとろえゆくおまえの五官の昏迷(こんめい)を、うら

         ましく思う! 


 ひょっとすると落ち着く先は狂気ではないか。狂気のみが安寧を得る唯一
の解決策ではないか。その際は、人間だけに与えられていた理性は放棄せざ
るをえない。


               遠い霊泉を求めて旅にゆき、かえって病いを重くして、臨終の苦
         を増す病人。
また、良心の呵責(かしゃく)をはらい霊の苦悩を
         癒そうとて、聖なるキリスト
の墓に巡礼して、ふたがる胸をはら
         す人。かかる人々を嘲る者は嘲って、おのれ
は慰めしらぬ死を死
         ねよ。かかる人々こそは、道なき道を踏みしだき、蹠(あし
うら)
         を傷つけながら、その一歩一歩がくるしめる魂を医(いや)す没
         薬(もつ
やく)の雫(しずく)であり、忍苦の旅の一日ごとに、
         こころは煩いを軽くして
憩う。――これをしも、おお褥(しとね)
         の上の饒舌家たちよ、諸君はあえて妄
想とよぶのであるか? ―
         ―妄想! ――おお神、おんみはわが涙をみそなわし
ます。おん
         みは人間をかくも憫然(びんぜん)たるものに創りたまいながら、
         さ
らに彼にはらからをあたえて、一切を愛したもう神へのいささ
         かの信頼を奪い、
貧しき心を奪うのを、ゆるしたもうのでしょう
         か? おんみはわれらを囲繞(い
にょう)する一切のものの中に、
         われらが刻々に要する治癒と鎮静の力を秘めて
おかれました。さ
         れば、われらが薬草によせ葡萄の雫によせる信頼こそは、とり

         なおさず、おんみのめぐみへの信頼ではありませんか? わがし
         らざる父よ! 
かつてはわが全霊を充たしながら、いまはわれよ
         り面をそむけたまう父よ! わ
れをみもとに呼びたまえ! もは
         や黙したもうな! この飢え渇える魂は、この
上おんみの沈黙に
         は堪えかねるのです。――思いがけなくも息子が帰ってきて、

         にすがって、つぎのように叫ぶとき、人間が、一人の父親が、そ
         れを怒ること
がありましょうか? 「帰ってまいりました、父よ。
         あなたの思召しによってな
おも忍び続けるべき流浪を、中途にや
         めたことを、お叱りにならないでください。
世界はいずくに行く
         同じです。辛苦と労働があってこそねぎらいとよろこびが
ありま
         す。それとてしかしなんでしょう? ただあなたのいますところ
         でのみ、
私は幸せです。あなたの目の前で、悩みもし楽しみもし
         たいのです」――天なる
神よ、おんみはこの者をもしりぞけたも
         うのでしょうか?


 苦しまぎれに神に祈るが、神からの解答はない。

画像:
父なる神 バルラッハ 1924年 高さ48cm
『マイセン磁器』橋田正信
()平凡社 2002

1772.12.1.

 前項で述べた狂気の男が、昔、ロッテの父の書記として働き、ロッテに恋
心を抱いていたことを知り、ウェルテルは自らも理性を失う限界に到達しつ
つあることを知る。

1772.12.4.

 ロッテに会いに行く。ロッテの妹を膝に乗せる。ロッテの結婚指輪が目に
入る。涙がしたたり落ちる。ロッテがウェルテルを慰めようとピアノを弾く。
 あらゆる想い出が一度にウェルテルを襲ってきて胸がこみ上げる。


               「おねがいです」・・・・「お願いです。弾くのをやめてくださ
         い!」(ロッテは
微笑をたたえていう)
               「あなたは御病気ですわね。・・・・」


1772.12.6.


               あの姿がどこに行ってもつきまとう。夢にも、現(うつつ)にも、
         魂の隅々ま
で充たしている! 目をとじると、・・・・
               人間、この半神とたたえられるものは、そも何なのだろう! も
         っとも力を必
要とするそのときに、力を喪うではないか? 歓喜の
         あまり高翔(こうしょう)
しながら、また受苦の底に沈淪(ちんり
         ん)しながら、つねにつねに、いまこそ
測(はか)りがたい無限者
         の中に融(と)け入ろうとあくがれる、まさにそのと
きに、ひきと
         められ、ふたたび鈍くひややかな意識へとつれもどされるのではな

             
いか?


 第二部の最後はこの文章で終わる。結局結論は出なかった。第一部で提唱
された謎の解明については、苦しまぎれに、理屈ぬきの神への信仰、あるい
は、理性の喪失―狂気、の二つの解決法を検討したが、ウェルテルはそのい
ずれをも採らなかった。