−第三部 編者より読者へ−

   右眼の上からながれでる脳漿

画像:
カルロス・シュワーベ・
墓掘りと死
1895〜1900
水彩 グアッシュ 75 x 55 cm
パリ、ルーブル美術館素描版画室

「生と死の幻想」とも呼びうる作品であるが、画面にすだれのように垂れた枝垂れ柳の繊細なシルエットは、アール・ヌーヴォーの優美な装飾性に通じる。画面右上の天使の翼の付け根と顔から、左下の老人にいたる斜めの構図は画面の外への上昇感を暗示する。(N.S.)

『アール・ヌーヴォーとアール・デコ』
甦る黄金時代

千足伸行監修
小学館 2001

 人間内面の矛盾のなぞを解こうと苦しみながら努力してきたゲーテである
が、第一部、第二部での考察を終えても結論に到達することがなく、万事窮
した。

1772.12.12.


               愛するウィルヘルム。むかし悪霊に憑(つ)かれてあちこちと引
         きまわされて
いると信ぜられた不幸な人々、いまの私の状態はちょ
         うどそれだ。ときどき何者
かに襲われる。不安でもない、欲望でも
         ない。――正体の分らない内的の擾乱(じ
ょうらん)だ。それがこ
         の胸をひき裂き、咽(のど)を押えつける! くるしい! 
くるし
         い! そういうときには、私は人間に敵意をもつ今の季節の、すさ
         まじい
夜の場面の中をあてどなくさまよいあるく。


 内面の価値観の整理ができない。死のうと思ってもその意味がわからない。
死の意味がわからない。生の意味も意義を失った。身体のなかで生と死が機関
銃の撃ち合いを始めた。これは自分のなかで支配権を求めて体制を変えようと
革命が起こっていることなのだと感じる。苦痛の連続だ。

1772.12.14.


               帳(とばり)をかかげて、その中に入ること! これで事は終る
         ではないか! 
それだのに、この狐疑逡巡(こぎしゅんじゅん)は
         なんということだろう! そ
の奥のありさまを知りがたいからか?
        そこから戻ってくることができないから
か? はっきりしたことが
         分らないところには混乱と闇黒を想定する。これがわ
れら人間の精
         神の本性であるらしい。

 思い切って死のうとするがなかなか踏み切れない。その向こうになにがある
のだろう。わからない。

1772.12.22.(ロッテにあてた手紙)

 結論は出ぬままいよいよ死ぬぞと決断したウェルテル。そして帳のなかに入
ったとき、この肉体はどうなるのであろうと考えるウェルテル。


               最後の朝! ロッテよ、私にはこの『最後の』という言葉がどう
         も切実に感ぜ
られません。いま私はここにしゃんと立っています。
         それが明日になると萎(な)
えた四肢をのばして大地に横たわるの
         です。死ぬ! それはどういうことなので
しょう? 死について語
         ることは夢を見ることです。ちがうでしょうか? いま
までに人が
         死ぬところを見たことは幾度もありますが、人間の頭脳はかぎられ
         て
いて、生の初めと終りについては何事をも理解することはできま
         せん。・・・・ 滅
びる! とはどういうことだ? 言葉にすぎな
         い! 空虚な響きにすぎない! 
私の心にはなんの実感もあたえな
         い。・・・・ 死! 墓! これは不可解な言葉
です!

 あらゆる考察を終えたあとで、ゲーテはウェルテルにアルベルトから借りた
ピストルを持たせ、
17721223日午前零時、自殺させた。

 根本命題の解決は、もうこれ以上先送りにすることはできないから、時間切
れで中断した。これとともにゲーテの哲学は永遠に未完成となった。あれは誰
でも経験する青年期特有の過激心理なのだと片付けることにした。

 ウェルテルの右の眼の上の銃弾で穿たれた穴から脳漿がながれでた。脳漿と
ともに、人生の命題そのものも流れ出してしまった。