涸 れ た 泉、裂 け た 桶

画像:
      ホセ・クレメンテ・オロスコ
       (1883-1949)
   『無題』 グワッシュ
   制作年不明
   名古屋
   名古屋市立美術館
窪島誠一郎
『壁画家たちの素描展』
信濃デッサン館、平成元年

1772.10.19

 ウェルテルはロッテの近くに舞い戻って、再び深刻な憂鬱病にかかってし
まった。


               ああ、この空虚よ! ここに、わが胸の底に、感ずるおそろしい
         空虚よ! ―
―幾度となく思わずにはいられぬ、ただ一度、せめ
         てただの一度なりとも、この
胸にあのひとを抱きしめることがで
         きたら、この空虚はあますことなく充たされ
るものを。


1772.10.26.

 ロッテが女友達と世間話をしている内に、もうすぐ亡くなりそうな人達の
話がでた。ウェルテルは自分が死んだ場合のことを考えだす。周囲の人達に
よる精神的な追憶さえもいずれは消え去り、自分の存在は抹消する。人間が
生きていること自体はかないものだなあと感ずる。感傷の言葉である。


               「・・・・――もしおまえが行ってしまったら? このまどいから
         脱けてしまった
ら? そのあとは? おまえを失うことによって
         かれらの運命の中にできた空隙
を、あのひとたちはいつまで感じ
         ているだろう! どのくらいのあいだ?」――
ああ、人間のこの
         はかなさよ! 人間が自己の存在を真に確認し、自己の現存を

         んとうに印象づけることができる唯一の場所は、自分が愛するひと
         びとの追憶、
その魂の中であるが、ここにおいてさえ、人間は跡
         を絶って消えうせなくてはな
    らない。しかも、またたくのうち
         に!


1772.10.27.


               人間がかくもたがいに触るることがすくないのを思うとき、われ
         とわが胸を裂
き、頭を刺したくなる。


1772.10.27.      

               私はこれほども多くのものを持っている。しかも、あのひとを恋
         うるこころは
一切を呑みこんでしまう。私はこれほども多くのも
         のを持っている。しかも、あ
のひとがなくては一切は無に帰する。

1772.11.3.

 求めて得られぬウェルテルは死を希い寝床のなかで反復して考える。


               神ぞ知る! いくたびも私は、ふたたび醒めぬようにと願いなが
         ら、ときには
もうこれで醒めることはあるまいと当てにしながら、
         寝床に身を横たえる。そし
て、朝になって目をひらいて、太陽を
         仰いで、みじめな気持ちでいる。・・・・と
もあれ、一切の悲惨
         の源はこの自分の中にひそんでいる。ありし日には、すべて
の喜
         悦の源がここにあったのではあるけれども。私は同じ私ではないか?


 生命の証を見て喜悦に包まれたのも私。不安と恐怖、実体の存在しないよ
うに見える灰色の私。同じ私自身であるのになぜかかる差が生じてくるのか。
ウェルテルはまたもや哲学上の謎に挑戦するが、肉体的な衰弱から意見開陳
のトーンは落ちてあきらめの心が混ざってくる。


               かつては充ち溢れる情感の中にただよい、一歩を行くごとに天国
         がひらけ、わ
がこころは愛をもて一つの世界を残る隈(くま)なく
         抱擁したではないか? さ
    れど、このこころはいまははや死ん
         だ。いかなる感動もそこからは流れいでない。
わが双の瞳は乾き、
         五官も蘇生の涙によって洗われることなく、額は不安もて皺
だたん
         でいる。私はかくも悩んでいる。それというのも、わが生のただ一
         つの歓
喜であったものを失ったからだ。それによって私がわが身を
         めぐる世界を創造し
た、あの生を吹きこむ聖(きよ)い力が消えた
         からだ! ・・・・かくて男一人
が神のみまえにあること、あたか
         も涸(か)れた泉、裂けた桶にひとしい。幾度
となく私は大地にひ
         れ伏して、涙をたまえと神に祈った。


 分裂した自己を統一するすべを求めて神に祈るが、結果はむなしい。


               思いかえすだに心のいたむあの日々に、私があれほどにも幸福で
         ありえたのは、
ひとえに私がしずかに堪えて精霊のおとずれを待ち、
         それがわが頭上にそそぐ歓
    喜を、しめやかな感謝の念をもって受
         けたからであったろう。


 こういいながらウェルテルは知っている。いったん探究の道に乗り出した
うえは、逆戻りはできないことを。昔の単純なわたしには戻れない。この道
non-recourseなのだ。