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飯田線 秘境駅探訪 第4回
(01年10月28日の旅)
崩壊!高瀬橋(涙)
しばらくは、天竜川を横目になかなかのハイキングコースになっている。散策路としても一級品といえる。木製のミニベンチもあったが、すでに朽ちかかっており、壊れるのも時間の問題である。見通しのいい散策路はわずかな区間だけで、あとは山道になる。一応舗装はしてあるものの、うっそうとした森の中を歩いているという感じで、実に不気味である。とくに本日は雨天のため、森の中は薄暗く一層雰囲気を増していた。
足元が滑らないように慎重に小川にかかっている橋を渡り、20分ほど歩くと、右手の山の中腹に家らしきものが見えてきた。そして、舗装道路はその家のほうに向かって伸びていった。ちなみに、この家が小和田駅周辺で唯一の人家であり、郵便局の人も電車を使って小和田駅からこの家に配達に来るという。
一方、高瀬橋方面へはこの先、未舗装の道を行かなければならない。いよいよ本格的な山道へ突入である。この分岐近くには、断崖にへばりつくように茶畑があったり、近くにほだ木がころがっていたりと、人の匂いを感じさせるものがある。しかし、その先はうっそうとした山道である。雨降りのため、足元はかなり厳しい状況に追い込まれている。しかし、ここまで来たのだから、どうしても高瀬橋まではたどり着きたい。途中、がけ崩れのあとのようなところまで通り抜け、先へと進んでいく。
ちらほらと見える天竜川を眺めながら、橋のありかを探ろうとするが、まったく見当たらない。さらに数分、歩いていくと、突然私の目の前にコンクリートの柱みたいなものが姿を現した。「もしや、これが・・・」という私の予感どおり、柱には「たかせばし」とひらがなで刻み込まれていた。しかし、肝心の橋はすでにバラバラの状況で、無残な姿をさらしていた。ワイヤーだけがかろうじて向こう岸にたどり着いているが、橋そのものは宙ぶらりんの状態になっていた。橋というより、橋の残骸状態といえよう。「これが高瀬橋とは・・・」。しばし絶句ののち、橋の残骸を撮影し、そそくさと元来た道を引き返すことにした。
あとで地図を確かめると、この高瀬橋が健在だったころ、橋を渡ってさらに道が伸びており、その先は中井侍駅に通じていたようだ。しかし、台風の災害でがけ崩れが頻発して道が通行止めになり、さらに肝心の高瀬橋が崩壊してしまって、完全に道が途絶えてしまったのである。むろん、この道を常時使っていた人など皆無なので、橋も道も壊れたり、崩れたりしたまま、現在に至っているようだ。ちなみに高瀬橋がかかっていた川は河内川といい、長野県と静岡県の県境を流れている。
靴下までびしょぬれになりながら、駅に戻ってきた。もちろん誰一人いるわけではない。私が乗る電車が来るまで1時間ちょっとある。靴を脱ぎ、はだしになって、木製ベンチに陣取る。この駅も、聞こえるのは雨音と鳥のさえずりだけである。静寂の中に包まれている。なかなかいいムードではないか。
そんなムードを味わいながら、ささやかな宴会を開く。お燗のつけられるカップ酒にホテルに置いてあったホテル栽培の梅干、いかそうめん、おにぎりが肴。充実している駅ノートを読みながら、一杯やる。雨で濡れたこともあり、お燗が体にしみる。
ここの駅ノートの充実振りはすごかった。なんと、昭和57年の記述のものもあった。もしかするともっと古い記述もあったかもしれないが、10冊ほどはあるノートのすべてに目を通すことはできない。最近のものでも、書き込みはけっこうされている。つい先ごろ、最新の駅ノートが何者かに持ち出されてしまったという「事件」があったようで、駅ノートの管理者が立腹したようすで警告文を書いていた。その間に新しいノートが用意されたが、その持ち出されたノートが戻ってきていたので、今はそちらを使うように案内も付け加えて書いてあった。
駅ノートを読むと、小和田駅のことがいろいろわかってくる。ご成婚のときは、カップルで訪れた人たちが多く、男女の名前が記されている。一方、最近のものはわざわざここまで来たというマニアが多いせいか、ペンネームも一人分だけしか記されていないものが増えている。
高瀬橋についても記述が目立った。この駅に来た人で時間に余裕のある人はほとんど高瀬橋まで散策しているようである。その橋も平成8年ころの記述を見ると「川口浩さん(←懐かしい)のつもりで渡ろうと思えば渡れます」などと、まだ橋としての役割をかろうじて果たしていたようだ。しかし、最近の書き込みではほとんどが高瀬橋の崩壊について記述している。むろん私も同じように書いておいた。なかには「ワイヤーでつながっているので、クライミングに自信がある人は、自分の責任において渡ってください」などという記載もあった。このノートを先に見ておけば、無理して高瀬橋まで行こうという気にはならなかったであろう。
塩沢集落に20年ほど前に住んでいたという人の記述を見ると、塩沢からこの駅まで通っていたとあった。やはり、車が普及していなかった当時は、どんなに遠くても貴重な駅だったようである。ちなみにこの人は、最短15分で駅までやってきた記録を持っているそうであるが、通常は40分かかっていたと書いてあった。たぶん、のぼりになる帰りは1時間近くかかっていたのではなかろうか。
ともあれ、散策も含めてあっという間に2時間が過ぎ去った。まだまだ駅ノートも全部読んだわけではないし、雨降りのため駅周辺探検もほとんどやっていない。駅の雰囲気ももっともっと味わいたい。日帰り圏内で十分来れる場所なので、必ず来る。そう誓って、豊橋方面から来た電車に乗り込んだ。
(この項おわり) 「飯田線秘境駅レポート」もご覧下さい