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飯田線 秘境駅探訪 第3回
(01年10月28日の旅)
取り残された秘境駅・小和田
小和田駅は、以前皇太子妃雅子様ブームで話題を集めた小駅である。ブームが去った今は、すっかりその存在は忘れられている。マニアとすれば、ブームは余計な産物ともいえる。私も当時のニュースを見たり、小和田駅を撮影したマニアの写真を見たりしながら、だいたいの駅の感じというのはつかんでいたつもりだった。
だが、私の想像をはるかに上回る駅であった。うかつにも水窪まで買ってしまった切符を「ここで降ります」と言って車掌に手渡し、ここでもたった一人の下車客となって、電車を見送った。取り残された私の周りには当然のことながら誰もいない。
小和田駅はこの種の駅としては珍しい対面式の二列ホームであった。しかも両ホームとも現在も使用されている。そして、駅舎が残されているのである。駅舎がある、ということがこの駅の魅力を倍加させているのだろう。木造の駅舎はなかなか立派なもので、今でも住もうと思えば十分使えるのではないかと思わせる。また、保線管理施設が備わっていたり、その先には引込み線とホームまである。田本や金野のような仮乗降場的な駅ではなく、本格的?な駅である。
駅舎のホーム側の入り口には「慶祝・花嫁号」のヘッドマークが飾ってあった。この駅の随所に雅子様ブームの名残があるので随時紹介していく。待合室(ようやくこの表現ができる駅にお目にかかった!)には、壁に沿って木製の長いすがあった。そして、スチール製の机といす。これも当時、臨時の有人駅となった際に使用されていたのではなかろうか。
さらに待合室内には、この駅で行われた結婚式のようすを紹介した写真パネルが展示してあった。しかももっとも大きな写真は衣冠束帯と十二単姿の二人の記念写真である。このカップルが今の小和田駅でこの写真を見てどう思うだろうかと考えてしまう。また、ガラス窓に「ご成婚記念テレホンカード」を案内する手書きのチラシが張ってあった。壁には、いつ書かれたか分からないが、カップルが幸せを祈念した木製の絵馬?もふたつあった。
驚いたのは公衆電話である。緑のカード式で、ためしにカードを入れてみたら発信音がしたので使用できるようだ。この駅で公衆電話を使う人など、まず皆無に等しいが、携帯電話が「圏外」となってしまうこの地域一体では、貴重な電話になるかもしれない。
近くでちょろちょろと水の音がする。水道が出しっぱなしになっているのだ。しかし、その脇には「水道を止めないでください」と注意書きがあった。だれか来て水道を止めているのだろうか、と心配になるが、注意書きに従うことにした。
しばらくして、駅の蛍光灯が突然消えた。どうやらタイマーで作動する仕組みになっているようだ。最初は、電車の発着に合わせてタイマーが作動するのかと思ったが、この駅にいる間、突然蛍光灯が付いたりしたので、もしかするとどこかに人間を感知する装置があったのかもしれない。
駅舎の前にはトイレがあり、ここの水道も水が出しっぱなしである。駅舎入り口の脇には花入れがあって、花が活けてあった。やはり管理する人が出入りしているのかな、と思ってよく見ると、花は造花だった。トイレの横には自動販売機があるが、むろん飲み物は入っていない。料金が130円と表示されていたので、飲み物が完売されるまでは稼動していたのかもしれない。
駅ノートはのちほどゆっくり見せてもらうとして、時間が2時間ほどあるので周辺を探訪してみる。
駅から細い道を下ると、正面に最近作ったようなあずまやがある。中にベンチが置いてあり、真っ赤な字で「愛」と書かれていた。これも当時のブームで急ごしらえしたのであろう。今となっては、まったくの無駄物になってしまった。
このほか建物といえば、廃墟が2軒のみ。そのうちの片方は壁が取り外されており、無残な姿をさらしている。もう片方は住もうと思えば住めそうな感じもするが、もう何年も人が立ち入った形跡はない。雨のため、さらにその周辺の探検はできなかったが、すぐ目の前に天竜川が流れているので、これ以上の廃墟はなさそうだ。ちなみにここまでの道はバイクならかろうじて走れそうだという程度で、それがさらに山の中へと向かっている。むろん、車で乗り入れられるような道ではない。(その後、複数のホームページを参照した結果、バイクはおろか、自転車でも到達不可能と分かりました)
廃墟の横に、案内看板があった。ひとつは「塩沢集落1時間」とある。まさに唖然とさせられる看板だ。もうひとつは「高瀬橋25分」とあった。これならなんとか行くことができるだろうと思い、とりあえず高瀬橋を目指すことにした。もっとも、道は一本しかないので、とにかく進んでいくしかないのだ。
(つづく)
とにかく、高瀬橋まで向かいます