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観光列車しんぺい号に乗る 第2回
(08年10月の旅)
真幸駅の昔と今
この区間のサミットは矢岳駅付近になるので、どちらを出発してもまずはどんどん上っていくことになる。吉松を出てほんのしばらくは吉松の盆地を走っていくが、すぐに上りかきつくなって山中へと入る。次の真幸駅までの間でのハイライトは、トンネルとトンネルの間にある軍人殉難碑である。終戦直後の悲劇的事故がトンネル内で発生したことに由来する。復員軍人を大勢乗せた蒸気機関車がトンネル内で立ち往生し、煙が充満したため苦し紛れに列車を降りた人々を逆走してきた列車が次々と轢いてしまったという惨事である。戦地でようやく生き長らえて戻り、あと少しでふるさとに戻れるという時の事故だけに、今も胸に詰まる思いがする。ちなみに当時列車は乗車率六〇〇%という異常な乗車で、屋根にしがみついていた人も多かったとのことである。一刻でも早くという思いが災いした戦後を象徴する鉄道事故である。
真幸駅到着のアナウンスが流れた。この駅はスイッチバック駅であるが、吉松方面からの列車はまず駅に到着する。真幸駅は唯一宮崎県内にある駅で、私にとっても瞬間的に宮崎に踏み入れたことになる。宮崎といえば、今や時の人となったのが東国原知事。駅舎入り口(というか乗車口側)には、「きっくいやんせみやざき」の文字とともに笑顔の知事のポスターが歓迎してくれた。駅舎では地元の人たちが物産販売をしており、しんぺい号の乗客を待ち構えていた。さすがはおもてなし日本一を目指す宮崎県民である。東国原知事の売り込み戦略はなかなかのもので、このあと人吉市内の土産店や鹿児島空港の売店にも、知事の似顔絵が入った土産があちこちにお目見えしていた。
この真幸駅であるが、ホームに小さな鐘があり、駅名由来の幸せの鐘などと命名されている。もともとは駅の業務用に使っていたようであるが、今では「一回付けばちょっとの幸せ、二回だともっと幸せ、三回だととても幸せ」などの売り文句で、記念切符とともにすっかりおなじみになった。当初この駅の停車時間は一、二分程度と見ていたが、物産販売があるためか数分の停車時間を作ってくれた。
この時間を利用して、私はまず駅舎の写真を撮影。高台にあり、イメージ的には土讃線の新改駅に似ている。これまたゆっくりと訪れたくなるようなのどかな雰囲気である。真幸駅はかつて土石流の災害に見舞われたことがあり、その時に周辺集落が全滅してしまったそうである。幸いにして人的被害はなかったが、それ以降再び集落が形成されることはなかった。その土石流災害のつめ跡として、ホームに巨大な石が置かれている。
(つづく)
日本一の車窓と言われるところへ