会社沿革
明治45年 2月 | 製糸業を開始する 「味澤組製糸所」 |
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大正 9年 | 区内に支店工場を開業する |
大正10年 | 区内に第3工場を開業する 岐阜県土岐市に東濃支店を開業する |
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当時の主な出張所
東京(立川市) 小規模の繭乾燥場 京都(木津町) 生繭の集荷場 新潟県(直江津町) 工員募集の基地及び生繭の集荷場 岡山県(矢田町) 土室式の乾燥場 宮城県(白石町) 大型の繭乾燥場 |
大正 12年 | 関東大震災が発生する 横浜倉庫に預けていた在庫生糸が焼失 この後、全国的に製糸業は下降線をたどる |
昭和 5年 | アメリカの景気悪化により横浜の生糸相場大暴落 製糸業の倒産が続く 育児園の開設 |
昭和 6年 | 法人組織化する 「株式会社 味澤製糸所」 |
昭和 9年 | 本社工場を残し他の工場は整理する |
昭和 16年 | 製糸業統制法が公布される |
昭和 17年 | 「味澤商事株式会社」に商号変更する |
昭和 24年 | 「味澤製絲株式会社」となる |
![]() 諏訪湖上から見た当社 (昭和25年頃) ![]() 繰糸工場 (昭和30年頃) |
昭和初期の生繭・石炭輸送
生繭は綿袋に入れてから鉄砲篭という筒型の竹篭に入れ、 各繭産地より上諏訪駅まで列車輸送を行なった。 また、石炭も列車で上諏訪駅まで輸送していたが、そこ からは繭・石炭ともに船での輸送であった。 上諏訪駅裏から諏訪湖まで川を通り、後は諏訪湖を横断 して架設の(当社繭倉庫横)桟橋から荷揚げをした。 |
昭和34年 | 電子工業部を開設(抵抗器の製造 ) | ![]() 商 標 |
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昭和40年 | 標準型自動繰糸機2セットを導入 | |
昭和49年 | オイルショック 15年間続けてきた電子工業部は軌道にのれず 廃業する |
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昭和60年 | 火災により建物はほぼ全焼する 原料繭も焼失、機械も一部を残し使用不能となる |
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昭和61年 | 各関係者の御協力により工場を再建 | ![]() 繰糸工場(平成8年) |
平成元年 | 生糸供給不安から仮需要で生糸相場大暴騰 | |
平成10年 | ここ数年の生糸価格低迷によりやむなく製糸業を 廃業する |
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平成11年 | シルク素材のインテリア商品開発をめざし、新たな スタートをきる |