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バビロニア
旧約聖書創世記ではバベルと表記され、バベルの塔が建設された場所(創世記11章)。
新バビロニア王国(紀元前625年 - 紀元前539年)時代のバビロンと周辺の数箇所の都市には、滅ぼされたユダ王国の指導者層が強制移住(バビロン捕囚)させられた。
ペルガモン博物館 (Pergamonmuseum)
2010/5/20
以上でペルガモン美術館は終了です。
では皆様ご機嫌よう。
石版
同じものが大英博物館にもありますね。
以下アッシリア関係画像(いずれもNimurud):
門の守護神、Lamassu。胴体は雄牛あるいはライオン、羽根は鷲、頭部は人間。
紀元前880年頃、アッシリアのアシュールナシルパル二世王がニムルッドを首都として定め、大規模な宮殿と神殿を造った。
発掘作業は19世紀中頃から英国人によって行われた。主たる出土品は大英博物館に収納されている。
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ライオン狩りは王様の特権であり、しばしばネオ・アッシリア期の浮彫に表現される。アシュールナシュールパル二世の北西宮殿の西翼にあったこの場面では、王は戦車の馭者とともに描かれている。幾人ものアッシリア王達は特に狩猟目的でライオンを飼う動物飼養場を持っていた。
館内案内板の翻訳:
宮殿の浮彫
場所:ニムルッド
玄武岩
883-859年BC
5. アッシリアのNimrud
その他、ネオ・ヒッタイト王国の出土品でペルガモン美術館に収蔵されているのは次の二点。
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新ヒッタイト諸国の歴史地図、紀元前800年頃。現在のZincirliに在ったサマル国の位置を示す。
ライオン像
画像の出典はいずれも次
副題:
サマル国のZircirliから来たサマル国のバラカブ王と彼の書記
古代の乗り物であった二輪馬車
新ヒッタイト期
Sakcegozuの場所については不明。
4. ネオ・ヒッタイトのサマール王国
門に刻まれたドラゴンの一つ。
下は、ネブカドネザル二世王(605 - 562 BC)が統治していた時代のバビロンのメイン・エントランスの一部である。玄関の片側にはライオンが描かれ、他方には雄牛と神話上の動物が描かれている。
ネブカドネザル二世については次を参照せよ。紀元前586年ユダ王国のエルサレムを陥落させ神殿を破壊し、ユダヤ人の捕虜を首都バビロンへ連行した。(「バビロン捕囚」)
(紀元前560年頃)バビロニアの古都バビロンの中央北入口の門を飾っていた装飾が博物館内に再構築されている。青い地の彩釉煉瓦でおおわれた壁面には牡牛やシリシュ(獣の体に鳥のような足、蛇のような首をもった、創造上の動物)を表している。(出典)
ミレトゥスでの発掘作業は最初にフランスの考古学者オリヴィエ・ライェによって1873年に行われた。19世紀の最初の発掘作業の間、この都市から回復された素晴らしい文化遺物の一つが、ミレトゥスの市場門(120AD頃)である。これは分解されてドイツに運ばれ、そこで復元された。現在はベルリンのペルガモン美術館に展示されている。(出典)
ミレトス(Μίλητος Milētos ラテン語Miletus)は、エーゲ海をはさんだギリシア本土の対岸、アナトリア半島(小アジア)西海岸メンデレス川河口付近にあった町(ギリシア人の植民市)である。青銅器時代から人が住んでいた。タレスなどミレトス学派をうんだことで有名である。(出典)
2. ミレトゥスの市場門
ペルガモンの「ゼウスの大祭壇」(紀元前180年-160年頃)-紀元前2世紀、小アジアのペルガモン(現・トルコのベルガマ)で建造された大祭壇が博物館内に再構築されている。全長100メートル以上に及ぶ浮き彫りはギリシャ神話の神々と巨人族との戦い(ギガントマキア)を表したもので、ヘレニズム期の彫刻の代表的なものである。1864年、カール・フーマンらが発見し、ドイツに持ち帰ったものである。(出典)
1. ペルガモンの大祭壇
ペルガモンとは:
アレキサンダー大王の死後、彼の将軍の一人リシュマコスがこの土地を治めたが、その後セレウコス朝から独立してペルガモン王国が成立した。(アッタロス朝、282BC-133B.C)このペルガモン王国の首都がアナトリア西部のペルガモンである。アッタロス三世が133BCに亡くなったとき、彼はペルガモンをローマ帝国に遺贈した。ローマ帝国の小アジア拠点都市としての繁栄と資格は、27BCにローマ皇帝アウグストスがアジア地方総督の首都をエフェソスに移すまで続いた。
展示順序に従って、次の順序で見て行きます。
1. ペルガモンの大祭壇(紀元前180年-160年頃)
2. ミレトゥスの市場門(120AD頃)
3. バビロニアの「イシュタール門」(紀元前560年頃)
4. ネオ・ヒッタイトのサマール王国(紀元前800年頃)
5. アッシリアのNimrud(紀元前880 年頃)
サマル国の王子キラムアの碑文
館内案内板の翻訳:
浮彫板(直立)
ライオン狩りの描写
廃墟Sakcegozuの宮殿区域で発見された。
玄武岩 紀元前750年頃
馬車の上に立つ戦士達とライオンと戦う兵士は鎧鱗を縫い付けた衣服を着ている。馬もまた、装甲板で覆われている。射手、多分、君主は、神に保護されて立っている。神は翼付きの日輪で暗示されている。
バビロンの行進の道
3. バビロニアの「イシュタール門」Ishtar Gate
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紀元前334年、アレキサンダー大王が東征の途中、ミレトスをペルシャ人の手から解放した。このあとで、さらに南方のハリカルナッソスでペルシャの傭兵隊長メムノンとカリアのペルシャ総督オロントバテスを追い出した。