この野外劇場は、最初は演劇に使われたのだが、のちのローマ時代には剣闘士の戦いもこのステージで催された。2007年5月には剣闘士の墓場の考古学的証拠も初めて発見された。
アウグストスの正式名はガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス・アウグストゥス、(63BC-14AD)、ローマ帝国の初代皇帝(在位:27BC-14AD)。志半ばにして倒れた養父カエサルの後を継いで内乱を勝ち抜き、帝政を創始、パクス・ロマーナ(ローマの平和)を実現した。
エフェソスの人たちがこの門を設立した理由だが、
27BCにアウグストスが皇帝になったとき、彼はそれまでのペルガモンに代えて、エフェソスを小アジア西部を統括するアジア地方総督の首都とした。そして、エフェソスは繁栄の時代に入った。エフェソスは執政官の在所となり、首都都市となり、主要な商業センターとなった。重要性についても大きさについてもローマに次いで二番目の大都市となった。エフェソスは紀元100年には人口が40万ないし50万人程度になっていたと推察され、1世紀から2世紀にかけてローマ領アジアでは最大の都市となり、絶頂期を迎えた。
写真:クサダシ
海があるだけに、エフェソスよりもクサダシ港のほうが美しいかもしれませんね。
さて、肝腎の遺跡観光なのですが、私達が見学する遺跡はローマ時代のエフェソスの街です。この土地はもっと古い歴史があるのですが、私達の訪れるのは、290BCにマケドニアの将軍リュシマコスが2km上手のオールド・タウンから引っ越しさせて作ったニュー・タウンなのです。
Wikipedia Ephesusの翻訳:
パルティア記念碑はエフェソスではもっとも重要な記念碑の一つだ。それはケルサス図書館の近くにあった。パルティア記念碑に所属するいくつかの部分はその二番目の場所、すなわちケルサス図書館の前の泉の上、におかれていた。これらのレリーフはパルティアに対するマルクス・アウレリウスとリキウス・ウェルスの戦の場面を示している。ここに陳列したオリジナルに加えて、この記念碑に所属するレリーフの残りはウイーンのエフェソス美術館Ephesus Museumにある。
写真:25千人収容能力のある劇場。
ケルサス図書館を飾る絢爛豪華な装飾。切妻彫刻はウイーンのエフェソス美術館に本物があります。
写真:ケルサス図書館
写真:
ケルサスの図書館、右がアウグストスの門
5月ですからリゾート施設は閑散としていますが、6月末になれば海水浴客で満杯になることでしょう。こういうホテルで泊まって美味しい食事をして、暇なときにエフェソスへ観光に行く、というのが正解かも知れません。
この写真を部分拡大すると、
写真:ケルサスの図書館
写真:屋根付きの小劇場
現地案内板の翻訳:
公式広場の浴場
ギリシャ時代の体育館跡に作られたローマ時代の浴場。
北側の四個の浴室は部分的に岩盤から切り出してある。西側にある温室には七つの浴槽つきの壁のくぼみがある。西側と南側にはモザイクの床とつながっている。
これらはレクリエーション・ルームとロビーホールとして使われた。
南側のまだ発掘していない地域にはどうやらパレストラ(体操場)があって、肉体運動や知的活動に使われたもよう。
手前にヨットハーバー。遠方にクサダシ港が見えます。
エ フ ェ ソ ス
2011/05/24
画像:
Celsusbibliothek: Segmentgiebel
ケルサス図書館:弓型切妻壁
紀元後113-117年
エフェソス美術館蔵、ウイーン
写真:アウグストスの門
左側のアーチ上にはthe emperor Augustus and his wife Liviaの名前が刻まれてあり、
右側のアーチ上にはAugustus' daughter Julia and her husband
Marcus Vipsanius
Agrippa.の名前が刻まれている。
エフェソス遺跡を出たところにある皮革ショップも楽しいですね。ファッションショーをして楽しませてくれるし、奥にある店舗の広大なこと。日本ではこんなに大規模な店はないのではないでしょうか。種類が豊富だし、すべてのサイズが揃っています。安いこともあり、つい買ってしまいます。