ア ル テ ミ ス 神 殿
三番目のアルテミス神殿は紀元前323年に建設が開始された。巨大な規模で、高さ17.5mの円柱が127本あった。これは600年間存続したが、火災で焼失し、再建された(四番目)が西暦262年の地震で倒壊、もういちど再建(五番目)されたが、一年後268年にゴート族が侵入し、破壊された。最終的な破壊は401年であっ
た。現在エフェソス考古学博物館に展示されているアルテミス像はこの神殿(三番目)にあったもので、火災のさなかに運び出された。
334BCアレクサンドロス大王がグラニコス河畔の戦いのあと、エフェソスを訪れたとき、エフェソスは進んで開門し、彼を歓迎したが、アルテミス神殿再建費用を負担しようという彼の申出は住民達によって婉曲に断わられた。「神様がほかの神様に献納するなんてことはありえないでしょう」と言われたのだ。
ついでだが、アレクサンドロスのハルカリナッソス戦記は読んでおく必要がある。とくにカリアの婦人アダの養子になった経緯など。(『アレクサンドロス大戦記』のうち1 夢の息子、ヴァレリオマッシモ・マンフレディ著、草皆伸子訳、徳間書店 2000 P93-102 が楽しい)。
ハルカリナッソスのモーソリウム彫刻については、大英博物館/ハルカリナッソスを参照のこと。
大英博物館による説明:
アーカイック時代のエフェソスのアルテミス神殿は紀元前6世紀の中頃に建設された。神殿はイオニア式であり、長さ115m、幅は55mであり、長辺は二列の、短辺には三列の円柱が取り囲んでいた。列柱のなかに壁で仕切られた区画があり、そのなかに神殿とエフェソスのアルテミス像が立っていた。
1870年代にJ.T. Woodによって、また20世紀初期にD.G. Hogarthによって、さらにはもっと最近だが、オーストリアとトルコの考古学者達によって行われた発掘作業中種々の彫刻の断片が見つかった。これらの多くは、もともとは円柱の基部の四角い彫刻された土台あるいは円形の円柱ドラム、多分、円柱頭頂部の真下の部分なのだろうが、に位置していたと見られる建築彫刻である。
画像:82号室(閉鎖中)に展示されている円柱基部
二番目のアルテミス神殿は、550BCにリディア人の王クロイソスが資金を提供して建設された。クレタ島の建築家、ケルシフロンとその息子が設計し、36本の巨大な円柱で支えられていた。
ただし、この神殿は紀元前356年7月21日、売名目的の放火犯(Herostratus)によって放火され、灰燼に帰した。まさに奇しくもこの日、マケドニアでアレクサンドロス大王が生まれた。
大英博物館に展覧されている円柱基部はこの二番目の神殿のものである。この円柱基部のどこかにクロイソスの銘が刻まれているよし。
画像:パルティア記念碑の一部、エフェソス考古学博物館(セルチュク)
なお、エフェソス考古学博物館には右の彫刻がある。パルティア記念碑の一部である。パルティア記念碑については次のページを参照乞う。
以上、ご参考まで。
画像:歴史家が作製したローマ時代のエフェソスの地図、
マイヤーの会話用辞書書1888から
参考:
323BCにアレクサンドロスが亡くなったあと、エフェソスは290BCに、アレクサンドロスの将軍のひとり、リュシマコスの支配下に入った。
カイスター川が港を沖積沈泥で埋没させたので、その結果生じた沼地がマラリアを発生させ、住民に多数の死者を出した。エフェソスの人たちは、その時、王が下水を閉鎖して旧市街を汚水で冠水させたこともあり、2km先の新定住地へと移動させられた。この定住地は正式の名称を王の二番目の妻、エジプトのアルシノエ二世の名をとってアルシノイアとされた。リュシマコスが292BCに、近くの都市、レベドスとコロフォンを破壊したあとで、彼はその住民をこの新しい都市に移住させた。
リュシマコスの死(281BC)後、この町(アルシノイア)は再度エフェソスという名前に戻った。
画像:Wikipedia Efesosから
アルテミス像は色々残っているのですが、エフェソス考古学博物館に保存されているこの像が、最上の作品といわれています。
画像:エフェソスの淑女、紀元後一世紀
(エフェソス考古学博物館)
では、アルテミスとはなにでしょうか。
幾何学時代(circa 900 BCE to 700 BCE)に、イオニア人の移住とともに、ギリシャの女神アルテミスとアナトリアの偉大な女神キベーレを同一視してエフェソスのアルテミスの概念ができあがった。
この多数の乳房をもつエフェソスの淑女が(ギリシャのアルテミスとはかなり違うのだが)アルテミスと認定されて、アルテミスの神殿が建立された。(最初のアルテミス神殿)。いつの頃なのかはわからない。神話の世界なのだから。しかし、発掘の結果、基礎が発見されているから必ずしもすべて神話とはならない。
画像:アルテミス神殿の模型、イスタンブールのミニアテュルク公園、トルコ