人間の身体と動物の頭とを合体させることにより、エジプト芸術は、現実の世界では生じ得ない一つの実体を創造した。そして、そうすることが、目には見えない神を象徴させるのにもっとも適していた。描き出される動物の著しい特性は、「神に書き換え」られることであった。雌ライオンはエジプト人と力、野性、攻撃性ならびに守護本能とを結合させ、そして彼らの若者達との緊密な精神的連帯を結び付ける。ザックメットはそれ故に、戦いと厄災の女神であるが、それはまたエジプト人の保護者であり、疾病からの治療者でもある。彼女は彼女の右手にアンク(生命)標章(下図を見よ)を持ち、左手には幸運と健康のシンボルである王笏(Was Scepter)を手にしている。太陽の円形図形は、古代エジプトの宗教上では太陽の抜きんでた意義と遍在を指示している。この彫刻はアメノフィス三世の700以上もの肖像とともに、カルナック神殿のムート地区(下の注を参照せよ)で、彼の葬祭神殿に置かれていた。この王はこの奉献により顎骨腫瘍からの治癒を期待していた。

説明出典

注:Was Scepter

7.
セヌスレ三世王の頭部
12王朝中王国、紀元前1850年頃
紅色御影石
テーベ/カルナック(?)
高さ21cm

金髪の御婦人方がおられて雰囲気は抜群。日本の美術館のように混んでいないのがグッド。

6.

ノイエス・ミュージアム
      Neues Museum

                            2010/5/20

14.

副葬品:乗組員のいる手漕ぎボート模型
中王国、第12王朝、紀元前1900年頃
木製
西テーベ、メンツホテプの墓
長さ100cm
Inv.-No. ÄM 12

ボート模型は必要品であり、ステイタス・シンボルであった。それは死者の世界における贅沢な生活を与えるものであった。メンツホテプは彼と一緒に彼の船と乗組員を連れて行った。天蓋の下に坐り、ナイル河を旅行しつつ快適に死者の世界に赴いた。このボートはテーベの商品管理者の墓のなかで他の多くの模型や供物とともに発見された。

説明出典

17.

プタマイの家族像
19王朝、新王国
紀元前1250-1200年頃
サッカラ
石灰石

20.

儀式用金帽子
男子あるいは神官の式服の一部
文様は暦を表す。
金製、打ち出し技法、短縮記号刻印付
紀元前1000年頃
発見場所不明、多分南ドイツ

 以上です。ご苦労様。

エジプト関係ではない展示品だが、

19.

装飾椀
金(皿の表面に取付)
ザールランド、シュバルツェンバッハ
紀元前400年頃

18. 

セネンムートとハトシェプスト女王の娘-ネフルーレ-の方形像
18王朝、紀元前1460年頃
花崗岩
テーベ
高さ100、幅59、奥行77.5cm
ÄM 2296

セネンムートは、ハトシェプストの娘の身近な人かつ彼女の教師として、彼の高い地位と王の特権の徴として、テーベ神殿のなかに自分の彫像を据えた。これらの彫像群の大部分は彼と王女ネフルーレを表している。この少女はすべてをくるむマントのなかに覆われていて、子供の特徴的な側毛房のある顔だけで彼女を識別できる。

説明出典

16.

" Mut-Bezirk von Karnak "の写真

注:アンク標章

15.

ザックメット女神坐像
新王朝、アメノフィス三世、
紀元前
1388-1351
濃灰色花崗岩
カルナック
209 x 50 x 101cm
Inv.-No. ÄM 7266

12.

13.
聖船の舳先につけるアイベックス
21王朝、第三中間期、紀元前1070-946
金象眼された青銅製

10. 11.
メチエンの奉納神殿

9.
ホールの方形人形
カルナックのアムン神祭司
第三中間期、第23王朝
カルナック
硬砂岩

8.
二個の小彫像、クッシュ王国の王。
25王朝後期、紀元前670年頃
青銅製

上エジプトの白い帽子を被った頭部は、この王の立像の一部である。元々の刻銘は失われているが、この像は、とても個性的な顔の特徴からして、セヌスレ三世のものとされる。目は半眼で、まぶたが厚く、頬骨が強く、そげた頬、ならびに口の両端がさがっている。

 セヌスレ三世と彼の息子アメネムハト三世は、中王国では変わった個性を持った二人なのだが、伝統的にこのような特徴をもって示されるのである。

説明出典

 昔、エジプト博物館というのがあって、そこにあったエジプト関係美術品が新美術館に移されたらしい。

 美術品の美しさもさることながら、この美術館の陳列方法が抜群の美しさである。一部作品詳細が抜けているが、大目に見て欲しい。

3.  26王朝アマシス王

2. 館内風景、とてもシックな内装で感動します。

部分拡大してみると、神秘の世界が広がります。

  手抜きなので深く調べることはしていません。ただ並べておくだけです。

なお、この美術館にはネフェルティティの胸像があるのですが、撮影禁止です。

 吉村作治のネフェルティティ怨念話は

1.

5.

4.