このような事情で、このような背景があって、宗教戦争は開始された。双方とも、それぞれに自らの信じる内的体験があり、この内的体験が絶対であると考えたから、折り合いがつくはずがない。なんとこの戦争は30年戦争がウェストファリア条約で決着がつくまで124年間続いた。
この戦争はもちろん、当時の皇帝、王族、貴族など世俗的権力争いも絡まっていたのだが、しかしにもかかわらずその核心は、神秘体験Aと神秘体験Bのどちらが真理であり、どちらを価値基準とするかという哲学問題にあったと理解してよい。
さらに論点を深めると、じつにルターは西欧世界にあって、プラトン以来はじめて、哲学上の価値基準の改変に乗り出した人物だ、といえるのだが、ルター自身はそのことに気がついていなかった。
こう引用して書いてくると、きっと読者は、ルターという男は宗教者でありながら人殺しを積極的に奨励するとてつもない悪党で、人類に愛と憐みを与えるはずのキリストの名前を騙る詐欺師だ、と思われることであろう。
だが、われわれはその当時の西欧世界の現実を注視する必要がある。
カトリックは異端審問所を設け、聖霊を信じない人間を容赦なく、しかも一方的な裁断で、火炙り、火刑に処していたのである。
カトリックは、神秘体験Aを聖霊であると考え、絶対的な存在であると信じ、なぜならアウグスティヌスがそう言ったからと考え、この基準にたって絶対権威たるペテロの教会を樹立し、教会を絶対的な権威にしてしまった。
したがって、
教会に反抗するもの、
教会税(十分の一税)を支払わないもの、
教会を無視して聖霊と直接交わることがで
きると主張するもの、
聖霊を信じないもの、
聖霊とは別の基準を提示するもの、
これらをすべてひっくるめて「異端」と断定して、火刑に処していたのである。
ルターはアウグスティン修道院で修行していたのだから、カトリックの手口は充分に心得ている。ウィッテンベルク城教会の扉に、「九十五ヵ条の論題」を貼り出した時点で、彼はこの行為が何を意味していたのか充分に心得ていたはずだ。対処法はただ一つしかない。殺すか、殺されるか、だ。
ひとは、ルター以前にも宗教改革者はたくさんいたと主張されるかも知れない。
中世の時代にたとえばリヨンのワルド(Peter
Waldo)がいた。しかし、ワルドは腐敗しきったカトリック教会なしでも、「神」は見れる、「神」に到達できる、と説いただけなのだ。神秘体験Aに到達できると主張するアウグスティヌス理論なのだ。カトリックがワルド派を容認しなかったのは、彼らがペテロの絶対的な教会を無視したことにあった。逆に言えば、カトリックは、彼らがもし心の広い立場を取るならば、自らの腐敗構造を是正することにより、ワルド派を自己の懐のなかに取り込むこともできた。事実、カトリックはアッシジのフランチェスコの場合にはそうした。
だが、ルターの場合には、心の広い立場は間違っても取れなかった。ルターを取り込むときにはアウグスティヌスを否定する必要があったが、それはできない相談というものであった。
ここに、西欧の宗教戦争の根源的な意味合いがあると思われる。
読者はもちろんお気づきだろう。
イエス・キリストは、にもかかわらず別格である。
なぜか、それは各自が考えて、自分で結論を出すべきことかもしれない。
画題:Lucas Cranach d. Ä.
"Bildnis Martin
Luthers als Junker Jörg"
Kunstsammlungen zu Weimer,
Schlosmuseum
世界美術大全集 第14巻
『北方ルネサンス』
小学館 1995
1521年5月4日から1522年3月初めまで
ヴァルトブルク城に
「地方貴族イェルク」の偽名を使って
潜伏していたときのマルティン・ルター。
この間、新約聖書のドイツ語訳を完成した。