さらにもう一段念をいれてマルティン・ルターの生の声を聞くことにしよう。
中央公論社、世界の名著 23、『ルター』松田智雄訳、農民戦争文書の内、「盗み殺す農民暴徒に対して」から引用する。
神に対して、まったき心の確信をもって、次のように言うことができるのである。「私の神よ、ごらんください。あなたは私を諸侯あるいは領主にしてくださいました。このことに私はいささかの疑念もさしはさむことはできません。悪をなす者にかならず剣を用いよ、というのがあなたの私に対するご命令です[ローマ書一三章(四節)]。これはなたのみ言葉でありますから、嘘であるはずはありません。それで私は、このような職務を遂行しなけ ればなりません。そうしなければ、あなたのみ恵みを失うでしょう。そしてまたこれらの農民が、あなたのみ前と世界の前で、万死に値することは明らかであり、また私は彼らを罰するように命を受けていることもはっきりしております。もし私が彼らによって殺され、当局者としての職権と地位が私からとり去られ、そして滅ぼされるのがあなたのみ心でありますならば、それでもかまいません。み心のままになりますように。そのようにして、私はあなたのご命令とみ言葉のうちに死に、また滅ぼされるでしょう。そしてあなたのご命令と私の職務に従ったことが明らかになるでしょう。したがって私は、血管が動いているかぎり、罰し、また打ち殺しましょう。あなたが審(さば)き、また、ことを正したもうでしょう」と。
したがって、当局に味方して殺される者は、私がこれまで述べたような良心をもって戦った場合には、神のみ前に、真の殉教者であるということになるであろう。彼は神のみ言葉に服従して行動したからである。これに反して、農民に味方して生命を失う者は、永遠に地獄の火に焼かれる。彼は神のみ言葉と服従にそむいて剣を帯びた者であり、また悪魔の輩下であるからである。……
カトリックを信じる者、カトリックに味方する者は悪魔だ、とルターは言い切る。そして彼らを罰し、打ち殺すことが私の任務であり、その任務を遂行することが、あなた(キリスト)のみ心に沿うこととなる。そのために私は喜んで戦って死にましょう。こうして死ぬものこそ殉教者として天国に迎えられることとなる。
これに反して悪魔は悪魔であるから、彼らは死ねば永遠に地獄の業火に焼かれることとなる。いい気味だ、とルターはアジる。
こう引用して書いてくると、きっと読者は、ルターという男は宗教者でありながら人殺しを積極的に奨励するとてつもない悪党で、人類に愛と憐みを与えるはずのキリストの名前を騙る詐欺師だ、と思われることであろう。
画題: Albrecht Altdorfer
"Danube
Landscape with
Wörth Castle near Regensburg"
probably shortly
after 1520
The Alte Pinakothek Munich
Erich
Steingraber,
"The
Alte Pinakothek Munich"
Scala/Philip Wilson 1985
宗教戦争を題材とする絵画は
ほとんど存在しないが、
その雰囲気は,
この絵から感じ取れるかもしれない。
Albrecht
Durerも
戦争の絵は避けて通った。