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敦煌、328窟西壁の龕の塑像
初唐

『中国「世界遺産」の旅』第2巻 
中原とシルクロード

鶴間和幸、講談社 2005
初唐期の金箔や彩色が鮮やかに残る。

 今に残る中国の仏像は非常に数がすくないが、これは
三武一宗の廃仏令による仏像破壊行為もあったのだろう
が、五胡十六国時代までは国家哲学になっていなかった
所為もあり、造仏行為が非常に低調であったためではな
いか、とおもわれる。



 とはいえ、中国はスケールが大きい。1996年、青州市
龍興寺で発見された窖蔵のように(北周の武帝によって
断行された)廃仏令で埋められた大量の仏像が再び日の
目を見ることもある。歴史は埋蔵物の発見とともに塗り
替えられていくのが中国のようである。




 ではこの間、金箔はどうしていたのであろうか。

 仏像の数が多くないので、なんとも断定しがたいが、
五胡十六国までは仏像は非常にprimitiveで銅製鍍金が
多かった。金箔など使っていないのである。だから、西
域から北回りでもたらされた金箔の製法は、(もしそれ
が事実だとしても)、晋の時代に一旦洛陽におちついた
ものの、西晋が東の建業に逃れて東晋となった4世紀ご
ろに南京(当時の建業)に移ったのではないか、と考え
てみたりもする。しかし、断定材料はまったくない。

 ここで想い起していただきたいのだが、敦煌には金箔
が使われている彫像も壁画もほとんどない。数少ない例
外ともいえるのは第57窟「説法図」であるが、これには
金泥が使われているのであって、金箔は使われていない。
ただ、第328窟西壁の龕の塑像群に僅かの金箔が使われ
ているのみである。
前者は初唐期の作品であり、後者は
盛唐期の作品である。
敦煌の芸術が、全体にぼんやりと
して精彩を欠いている理由がここにある。


 結論として、少ない資料でこじつけになるかもしれな
いが、ガンダーラ美術は北回りで伝わったにもかかわら
ず、金箔の製造技術はタクラマカン砂漠で一旦切れてし
まった可能性がある、と思われる。

 日本の場合とはことなり、仏教が中国に入ってきて定着
するまでのあいだに、随分と時間がかかったように思われ
る。

    流入当初は現世利益をもたらしてくれる救世主的
      な捉えかたがなされ、


    小乗仏教の同時的な流入で、生活規範を定めるル
      ールだと理解されていたこともあり、


    後漢の終焉とともに儒教のきつい軛より脱っした
      が、
一転して、老荘思想の理解のための道具扱いを
      受けたこともあり、


 結局は、鳩摩羅什が5世紀の初めに出現して竜樹思想に
よる仏教哲学を解説するまでに、なんと
400年もの時間が
かかってしまった。

 あるいは間違っているかもしれないが、鳩摩羅什の努力
により「空」の思想の正しい理解ができるようになって、
はじめて仏教は「哲学」扱いされるところとなり、そして
北魏になって、国家を指導する国家哲学に変容したのだと、
思われる。

 一旦国家哲学と変容したあとの、北魏の時代の仏教にた
いするもてはやされ振りは

    『洛陽伽藍記』楊衒之 入矢義高訳注 
                      東洋文庫
517 平凡社 1990

をお読みいただくのが手っ取り早い。 

 大同の雲岡石窟や洛陽の龍門石窟もこの時代に国家事業
として構築された、と考えられたらよい。

中国における仏教の伝播

画像:
菩薩立像
東魏時代


石灰石・彩色・金箔

同上

 金箔製造の際にもっとも大切な
のは金箔の打ち紙である。後述す
るように、中国では歴史的に竹か
ら製造する竹紙が使われていた
『天工開物』)。
  現在でも、タイやミャンマーで
は竹紙が使われている。だから、
仏像の様式であるガンダーラ様式
は北方から伝わったのだが、金箔
の製造技術だけは、蜀経由南方ル
ートで渡来した可能性がある。こ
う考えるほうが、辻褄が合いやす
い。少なくともこう考えたほうが、
中国での金箔製造中心地が南京で
あることが理解しやすくなる。

部分拡大すると

 忙しい読者のために、名本と讃えられる『支那佛教史研究―北魏篇』を簡易化してメモをつくり、次ページに載せた。

 本件については、私のごとき素人が生半可な見解を述べる
よりも、読者の方々に次の二冊の本をお読みいただくのが正
解というものである。


『支那佛教史研究―北魏篇』塚本善隆 弘文堂書房 1942
『中国仏教史』鎌田茂雄 岩波全書310 1979

画像:
菩薩立像
東魏時代 (534-550)
石灰石・彩色・金箔
青州市博物館
『中国・山東省の仏像―飛鳥仏の面影―』
MIHO MUSEUM 友の会 2007

画像:
弥勒三尊像
北魏時代 普泰2(532)
銅製鍍金
博興県博物館
『中国・山東省の仏像―飛鳥仏の面影―』
MIHO MUSEUM 友の会 2007

画像:
仏坐像
五胡十六国時代(316-439)銅製鍍金
山東省博物館
『中国・山東省の仏像―飛鳥仏の面影―』
MIHO MUSEUM 友の会 2007