P210
ナガラハーラ国那迦羅阿国の耆賀濫(ぎがらん)寺
「また錫杖があり、長さは一丈七尺。これは木の筩(筒)
に入れてあり、金箔がその上に貼ってある。この杖は軽重
は不定で・・・・」
右の写真はTaxila Museumの中に陳列されているジョウ
リアン僧院の釈迦坐像だが、永年の経時変化で薄くなって
はいるが、金箔塗装の跡が残っている。2,ないし3世紀の
時代には大層美しく光輝いていたに違いない。
どうやら中国人の目から見た西域は金色燦然とした仏像
で溢れていたように思えます。
写真:
2007/09/16
Taxila Museum
P189
烏場国(ウジャーナ)の王城の北の陀羅寺
「浮図は高く大きく、僧房は[たくさん]立並んでい
る。[寺内には]金像が六千体もとりまいている。」
P192
烏場国(ウジャーナ)の山中の五百羅漢寺
「そこでシヴァ神が沙弥にかわって灰掃除をしたが、
そこに国王はシヴァ神のために廟を立て、その形像
を描き、金箔をこれにつけた。」
P206
プルシャ<仏沙伏(ぶつしゃふく)>城の北一里
の白象宮
「この寺の中の仏像はみな石像で、荘厳(かざり)
はきわめて麗わしい。石像の数も非常に多く、全身
に金箔をつけており、[見る]人の目にまばゆく光り
輝いている。」
写真:
2007/09/17
シャティアールの岩絵
ついでに、その当時の中国人があこがれていた西域の聖地巡りのなかから、黄金装飾されていた記述を引っ張りだして見ましょう。
仏 教 の 伝 来 (3)
こちらの地図のほうが読みやすいでしょうか。ピンク色で経路に印をつけました。
『宋雲行紀』長沢和俊 東洋文庫194 平凡社 1971
(神亀元年(西紀518年)11月冬、太后は崇立寺の僧恵生を西域に遣わして、経典を求めさせた。)
この中から、金・金箔に関する記述を抜き出す。
P165
末城から西行二十二里の捍魔城
「城の南十五里に一つの大寺があり、[そこには]三百余
人の衆僧がいる。[また]金の仏像が一体あり、全ての高
さは一丈六尺で尊容はずばぬけて立派であり、相好は燦
然と輝いていた。・・・」
P181
エフタル国
「[エフタル]王は四十歩四方の大きな毛織のテントに居
り、まわりはフェルト(氍毹)を壁面として張りめぐら
している。王は錦衣をつけ、四つの金の鳳凰をかたどっ
た<牀>脚をつけた金の椅子<金牀>に坐っていた。」
写真:
2007/09/21撮影
カラクリ湖、標高3,600m