あ と が き
『ハムレット』がそうだ。『若きウ
エルテルの悩み』がそうだ。だが、ク
ラシックの名作というものには解決法
が記載してないものなのだ。
この『宗教的経験の諸相』にしても
そうだ。案の定だ。名作はなんらの鍵
をも提供しないものときまっている。
そして、読み切るのがもっとも難し
いのも、『宗教的経験の諸相』だった。
史上誰も試みたことのない場所を、多
少の間違いをも気にしないで切り込ん
でいく度胸も世界一だ。ウイリアム・
ジェイムズはやはり稀代の天才だ。
しかも西欧型の哲学上では、存在の主張をすべき一切の根拠をあたえられていない。
仏典をひっくり返しても、具体的な回答は得られない構造になっている。
つまり、本を漁ってみても解決法は決して「与えられない」。
そしてただひたすらに苦しみつづけるのである。
相談相手など世界中さがしても誰もみつか
らない。
社会の枠組みから切り離され、その間の距
離はみるみるうちにひらいて社会復帰は不可
能となる。
キリストとはW・ジェイムズのことなのだ、
と自分で自分に言い聞かせても、キリストが
助けに来てくれるわけではない。
あきらめればよい、と人はいうかもしれな
い。しかし、あきらめはすなわち「死」なの
であるから、実現のためには、さらなる算段
をしなければならない。
B2というのは、本当に辛い経験だ。逃げるに逃げられない閉塞感がある。簡単には解法が見つからない難しさもある。現実的な問題として「おまえなんか要らないんだ。存在する理由がないんだ」と言われ続ける状態に似ている。嫁に行ったら、もう必要はないから、実家に帰ってくれ、と宣言された「嫁」の立場に似ているような気もする。
このような天才を最後に論評させてもらえ
るなんてなんと光栄なことだろう。私が、こ
の仕事をはじめてから、じつにジェイムズま
で辿り着くまでに十五年もかかった。ジェイ
ムズに辿り着けたことだけで私は自分に光栄
な場所が与えられた、と感じ、感謝の気持ち
でいっぱいになる。
平成二〇年十二月吉日
金沢市にて 筆者
朝、目が覚めると、「ああ、まだ生きてい
る」と物憂くなげく。目が覚めてもなにをす
る気力もわいてはこない。 いったいなぜこ
のような迷路に落ち込んでしまったのだ、と
自問するが、解答はどこからも出てこない。
立場は徹底的に難しい。
だから、昔から、B2を描きさえすれば、
クラシックの極致の名作が生み出されてきた。