絶 対 基 準 に 反 す る 世 界

 Johann Wolfgang Goetheは、1749828日フランクフルトで生まれた。
父は
Johann Kasper、法学士であり、母はKatharina Elisabeth、フランクフル
ト市長の娘で、
Johann Wolgangはその第一子であった。下に妹Corneliaがい
た。

 176510月、16歳でライプチッヒ大学に入学。

   17687月、 喀血し、8月末ライプチッヒを立って故郷に帰る。一時重
             態であった。

 1769年、    20歳、生命の危機を脱して、春床を離れる。

 17704月、 シュトラスブルグ大学に入学、法律を勉学。

 17718月、 法律得業士となる。

 17725月、 法律実習のため、ヴェツラーの帝国高等法務院に赴く。
              『若きウェルテルの悩み』のモデルとなったシャルロッテ
              ・ブフを知り、愛を抱く。
9月ヴェツラーを去る。

 1775年、    『若きウェルテルの悩み』を執筆。

画像:

Joseph Karl Stieler (1781 - 1858)

Johann Wolfgang von Goethe
1828
Oil on canvas, 78,0 x 63,8 cm
1828 acquired by King Ludwig I
Inv.-Nr. WAF 1048

Neuepinakothek

http://www.pinakothek.de/neue-pinakothek/sammlung/
rundgang/rundgang_inc_en.php?inc=bild&which=9373

1771.5.4.

               もし人間が――どうしてこんなふうに作られたものかは
         しらないが――これほ
どにも空想力をはたらかして不幸な
         思い出に耽溺することをしないで、もっと虚
    心に現在に
         堪えてゆきさえすれば、人の世の苦しみははるかに少ない
         にちがいな
い。


 冒頭からゲーテは人間の精神構造を謎として設定するが、実態と
して人間の内面を概観すればそれは苦しみであり、苦しみには堪え
ることしかあるまいのではないかと結論めいたコメントを記す。


 筆者が結論的にこの『若きウェルテルの悩み』を概観すれば、ゲ
ーテはウェルテルを自殺させたのであり、自殺しか結論がないこと
を論証することによってのみ、自らを自殺から救い得たのであると
考える。

 では、その論理とはいかなる内容であったかを考察しよう。

 方法論としては、逐条的に『若きウェルテルの悩み』を読み進み、
そのつど彼の論理をひろいだし、その上で総括することとしよう。
したがって、場所によっては論理の乱れもあり、前後にずれて食い
違うこともあり、反対の論理も浮かんでは消えて、最終の場面では
正反対の論理が入り混じる優柔不断の箇所もあるが、それこそは人
間性を解明する上で絶好の糸口なのだと考えて気軽に分析するので
ある。

 テキストには竹山道雄訳(岩波文庫版)を使用することとする。

1771.5.10.

               私はひとりで生きて、私のような心のためにつくられた
         この土地に暮して、わ
が生を楽しんでいる。友よ、私は幸
         福だ。・・・・やさしい谷が身を繞(めぐ)っ
て煙ってい
         る。沖天の太陽はわが森にこめた闇の外にたゆたい、わず
         かに二すじ
    三すじの光線がその聖き奥へと洩れ入ってい
         る。そして、私は流れおちる瀬のほ
とりの背の高い草の中
         に臥して、大地にちかく寄り添いながら、さまざまの小さ

              な草にむかって好奇の目を瞠(みは)る。ならぶ茎のあい
         だの小さな世界のうご
 めき。這(は)う虫や飛ぶ虫の無数
         の姿。これらのものに心うたれながら、私は
ただちに感じ
         る、おのれが姿に象(かたど)ってわれらを創造したまい
         し全能な
る者の現前するを。また、われらを永遠の歓喜の
         うちにただよわせつつ支え保つ、
一切を愛する者の息吹
         (いぶ)きを。さらに、友よ、やがて時も移って、わが双

              の目のほとりはたそがれ、天も地もさながら恋人の面影の
         ごとくにわが魂の中に
安らう。――このようなとき、私は
         しばしばあくがれ、思う。「ああ、かくもゆた
かにかくも
         あつくわが心の中に生きているものを、描きだすことがで
         きたら。画
箋(がせん)の面に浮かびあがらせることがで
         きたら。わが魂が無限の神の鏡で
あるとおなじく、その紙
         をわが魂の鏡であらしめることができたら!」――さあ
れ、
         友よ、私はこれによって滅ぶ。私はこの壮麗な現象の力に
         圧倒されてくずお
れる。



 屈託もなく自然のなかに溶け込み自然の観察を行うとき、ウェルテ
ルは自然すべての中に存在する全能なる者を自分の心のなかで実感す
る。その瞬間は永遠の歓喜を伴い、一切が肯定的に現前する。

 読者はすでにおわかりであろう。ゲーテは松篁とまったく同じ純粋
経験に到達したのだ。

 そして、天も地もなんらの矛盾なく融合するこの瞬間を絵に描きだ
し、これをもってすべての規範とすることができればありがたいなあ
・・・・とウェルテルは思う。

 だが実際には、この「善」とも称し、「神」とも称する絶対基準が
あるがゆえに、結局わたしは滅んでしまうのだ。私たちが今から解明
していくその先はこの絶対基準に反する世界であり、その闇は絶対基
準で説明がつかない暗い領域であるがゆえに、絶対基準が反って重荷
・足枷となり、わたしは滅ぼされるのだ・・・・とゲーテは説明する。