ホレーショの哲学

画題:
  ジョン・エヴァリット・ミレイ
  
   (1829-96)

  『オフィーリア』1851-52
  油彩・カンヴァス
   ロンドン テイト・ギャラリー

  『ラファエル前派』
    The Pre-Raphaelites
   アンドレア・ローズ
  谷田博幸訳
   西村書店 1994

真の理由を推測するためのヒントを藤村操はただひとつ残していった。辞世の
言葉「巖頭の感」の中で述べた「ホレーショの哲學竟(つひ)に何等のオーソリ
チーに價するものぞ」がそれである。


 ホレーショは、シェイクスピアの戯曲「ハムレット」に登場するハムレットの
親友ホレーシオだといわれている。だが、今販売されている岩波文庫の『ハムレ
ット』(市川三喜、松浦嘉一訳)を幾度繰返して読んでみても、ホレーシオが宇
宙の原本義、人生の第一義についての自説を展開しているくだりは全く見当らな
い。ホレーシオはハムレットの主張をしっかりと受け止めて聞くだけの脇役なの
である。だから、ホレーシオの哲学など存在しないと断定せざるを得ない。では、
藤村操は辞世の言葉でありもしない嘘をついたのであろうか。

いや、そうでもない。戯曲の最後の段で、ハムレットが死に行く間際にホレー
シオに遺した遺言がある。

           「そして事のこに至った ……… 一部始終をよく彼に伝えてくれ」

つまり、ハムレットが死亡直後ポーランドから帰還するフォーティンブラスに
一部始終を伝える役目をホレーシオが担い、この時点でホレーシオは主役に転ず
る。そしてホレーシオがフォーティンブラスに事の次第を語る順番となる。

藤村操の伝える「ホレーショの哲学」とは、ホレーシオの自ら築き上げた哲学
を意味するものではなく、ホレーシオがハムレットの遺言通りフォーティンブラ
スに伝える「ハムレットの哲学」だと考えざるを得ない。


そして、ハムレットには充分なる哲学的思考が存在する。
  ホレーシオの伝えるハムレットの哲学とは次の三ヶ所である。

              第一幕 第二場 城内会議の間
              (父王の亡き後、母である王妃がクローディアスと再婚したことを慨嘆
     する)
             

、このあまりにも汚(けが)れた肉体が溶(と)けて、一
しずくの露となったらい
のに。それとも、自殺を罪とするおき
てなどを、神がきめなければよかったのに。あ
、あゝ! この世
の有様は何もかも面白くない、つまらない、味気(あじけ)ない、
生(い)き甲斐(がい)がない。あ
いやだ、いやだ、雑草の生
(は)え放題(ほうだい)、茂(しげ)り放題の庭だ。世にもあ
さましい醜草(しこぐさ)どもに完全に占領されている。


 情欲におぼれて先王への大義を守らなかった母妃ガードルードを憎悪するハムレ
ットは、その血筋を引いている自分を汚れた存在であると定義して、嫌悪する。自
らの内に悪があると考えると、これを捨て去るには自分が夏の日の氷の如く溶け去
るか、自殺するかどちらかだが、キリスト教の掟に従えば自殺は禁止されている。
もとより一旦生を受けた人間が氷のごとく溶け去るわけにはいかぬ。

 このように封鎖された空間で自殺することを考えると、ハムレットの目に映る周
囲の光景からは、楽しみ、喜びが消える
……とシェイクスピアは主張する。

        第二幕 第二場 城内拝謁の間
    (クローディアス王が宮臣ローゼンクランツとギルデンスターンをハムレ
    ットのところに差し向けて、ハムレットの腹の中を探らせる)


           ぼくは最近、どうしてか、すっかり陽気でなくなって、日頃たし
      なんでいたスポーツもやめてしまったんだ。全く気がふさいでむし
      ゃくしゃして、この素晴(すばら)しい地球という大建築も、荒涼
      (こうりょう)たる岩鼻(いわはな)かなんぞのように思われ、こ
      の立派な青空(あおぞら)も、そら、見給え、この黄金(こがね)
      色の火をちりばめた大天井(だいてんじょう)も、情(なさ)けな
      や、ぼくには汚れた病毒の集結としか思われない。人間だって、造
      化の、なんと驚くべき傑作だろう! 高貴な理性と無限の能力、見
      事な姿と立派な動き、その振舞はさながら天使だ! 智恵はさなが
      ら神様だ! 世界を飾る美の極致(きょくち)、万物の霊長! し
      かも、ぼくにとっては、この人間は多寡(たか)の知れた、塵芥
      (ちりあくた)の精髄としか思われない。ぼくは人間が嫌いになっ
      た。

 この告白でハムレットは、自分が純粋経験Aを経験済みであると白状する。その
経験に至れば、大自然は美しく、黄金色の火をちりばめたようであり、人間に内在
する高貴な理性と無限の能力、天使の如き自由な世界、無限の智恵、それに美の極
致を実見することができる。ところが、今の私に見える世界観は、逆に病毒の集結
のように見える。又、人間も塵芥にしかすぎない。


 読者はすでに「ウェルテル」でトレーニングを済ませてこられたから、直ちにご
理解いただけると思う。ハムレットは典型的な「
B after A」人間であり、その思考
方法はウェルテルの思考経路と完全に一致する。

 そして、ハムレットもまた、このBの正体を解き明かさんと挑戦する。

画像補足説明:

『ハムレット』第四幕で王妃ガートルードが語るオフィーリアの死の場面。

鏡のような水面に白髪色の葉を映している
小川に沿って、一本の柳の木が生えています。

そこへ、風変わりな花束を持って、あの人は参りました。
きんぽうげ、いらくさ、ひな菊、それにみだらな羊飼いらは
もっと野卑な名前で呼んでいますが、わが清らかな乙女たちは
「死人の指」と呼んでいる長むらさきの花などを手に持って。

そして垂れ下がった小枝にその花の冠を懸けようと、
やっとのことでよじ登ると、意地の悪いその枝は折れてしまい、
花環もろとも、あの人自身も、さめざめと泣く小川の中へ、

どうと落ちてしまいました。裳裾が広く広がって、
ちょうど人魚のようになって、しばらく彼女を水面に浮かせておりました。
……だがそのままで、いつまでもいることはできませんでした。
やがて衣裳は水を含んで重くなり、
楽しく歌うあのかわいそうなお人を、川底の死の泥の中へ

引きずりこんでしまいました。
                     (大山俊一訳)