そしてそれは神秘体験A
つまり、『善の研究』はHarvard UniversityのWilliam Jamesが1901年、the University of EdinburghのGifford Lectures on Natural Religionで発表し、翌年The Varieties of Religious Experience『宗教的経験の諸相』として出版した書物の最初の部分、「健全な心」と称した心理現象を、彼個人の経験のみに限定して著述したに過ぎないことがわかる。すなわち、神秘体験Aである。
1901年といえば、幾多郎が雪門から寸心法号をもらった年であり、『善の研究』は1910年に初版が出版されたのであるから、もしも幾多郎が東京大学で適切な教育を受けていたならば、『善の研究』のような片手落ちの論文は発表されていなかったに違いない。
また、西田幾多郎は、体験者だけが語ることのできる言葉で神秘体験Aの内容を語るのだが、そのときに彼は、多数の実例を細かく分析したうえでの綜合という学問的な作業をなおざりにした。だから、読者は幾多郎の独断を幾多郎の哲学用語で聞く、というまことにつらい、分かりづらい作業をおこなわなければならなくなった。『善の研究』が難解であるとされる理由は、まことにこの主観的な独断性にある、と言い切れよう。
いや、東京大学の予科というのは、いまでいえば、専門学校程度のメンタリティーだったのですよ、という人もいる。もしそうならば、四高で同窓生であり、のちに東京大学の教授となった藤岡作太郎氏の述べる、「粗豪にして細密ならず」という幾多郎評はまことに的を射ていると言わなければならない。
画像:
The Pazyryk rug.
Excavated in barrow 5, the burial mound of
a Scythian prince, by S.R.Rudenko in 1947
in the Altai Mountains of Siberia, and
datable to the 5th century B.C.
6 ft. 8 in. x 6 ft. 31/2
in. (200 x 189cm.).
Hermitage Museum, Leningrad
"Rugs & Carpets of the World"
Edited by Ian Bennett
New Burlington Books, London W1, 1977