体験の内容は量子飛躍

 具体的に項目別にどのプロセスに対応するか、判別しておくこととしよう。

1. それは、内面の疑うに疑いようのない意識現象    である。

神秘体験Aに到達した人物だけが断言できる性質のものなのだが、彼は(1)(2)(3)(4)(5)の一連のプロセスは、「疑うに疑いようのない意識現象」である、と言っているのである。なぜなら彼自身がそこに到達した経験があるので、このように断言する権利がある、と彼は信じているのである。

2. それは、人に実在感の確信を植え付ける。

エネルギーレベルがjump upして(3)の段階に達したとき、人は「私は実在する」と感じるものなのだ。林武のことばを思い起こそう。「実在のすべてが、賛嘆と畏怖。沙羅双樹の花。」

3. それは、人に喜悦感を与え、忘我境に誘い込
   み統一感を現前させる。

喜悦感という箇所は(4)のプロセスに相当する。アヴィラのテレサの言葉を思い起こそう。「霊魂は喜びを味わい、心は感動し涙が流れる。喜びにひたりきる。」

忘我の境という観点からいえばプロセス(3)。玉城康四郎の言葉「喜びのなかに呆然。どれだけの時間かわからない。」

4. それは、相伝不能、不立文字(ふりゅうもん
   じ)である。

(1)(2)(3)(4)(5)の一連のプロセスは、経験者によってのみ追認されうる精神的な体験であって、言葉では表現しにくい。テレサの言葉が十分に物語る。いくら話したいと思っても、言葉を形づくることができず、たとえできたとしてもそれを発音する力さえありません。なぜなら、外的なすべての力は停止しますから。でも内的力は大きくなり、このように、霊魂はおのが光栄をよりよく楽しむことができます。(テレサの神秘体験A(2)を参照のこと)

 エネルギー準位の図を佩用すれば、西田幾多郎の『善の研究』は、神秘体験Aについての (1)(2)(3)(4)のプロセスを記述したにすぎない。

  5. それは、元々われわれの意識に内在していたものが、意識の分化発展に伴
   い、突然開花する形で現れる。

プロセス(1)(2)に対応する。
玉城康四郎が「円覚寺で接心を続け、身も心もへとへとの状態」になっていたとき、「突然の大爆発、木っ端微塵、雲散霧消。驚くべき忽然の大転換」が出現した、と語ったのを思い起こそう。

6. それは、時を超越する。また宇宙を包含する。

意識現象は時間とともに刻々と変化する。
たとえば、インターネットで読売新聞の画面をみると、それは時間とともに刻々と変化する。だから、読売新聞の画面は時間に依存する。時間によって変化する。
ところが、基底状態から励起状態への跳躍という精神現象は時間による変化をうけず、常に同一である。時間とか時刻に依存しない。すなわち「時を超越する」。また、その内容は、白隠の言葉「鐘声を聴くや否や従来の世界がひっくりかえる」すなわち、地上を越えた「宇宙」に到達するのである。

7. それは、自然との合一感であり、生命の直接把握である。

    谷口雅春の言葉を思い起こそう。
雀が金色(こんじき)に輝いていて枝から枝へ飛びうつる。空気が躍っている、内も外も燦然たる生命の大光明世界だった

8. それは神との会合である。

テレサの言葉突然、神の現存の内的感じ。神が私のうちにおいでになる
あるいは谷口雅春の言葉でもよい。
宇宙の囁き、神の奏楽、天使のコーラス。私の魂は虚空に透きとほって眞理そのものと一つになった

このように西田幾多郎は神秘体験Aの経験者であることが過不足なく示される。

画像:
三彩女立俑
唐代(紀元618年−907年)
1997年洛陽機関車工場から出土。
高さ
45cm
『洛陽文物精粋』王綉等編 鄭州 
河南美術出版社 
2001.4

頭は陶土のままである。目鼻立ちがはっきりしていないし、髷も不完全である。顔つきはまるやかでつやがある。肩に黄釉の肩掛けをかけ、身に緑釉の肌着を着て、下に緑釉の長いスカートを穿いている。胸に黄色い帯を締め、帯は膝まで垂れている。体つきは優美できちんとしている。