「唯一の実在」の正当性(1) −「その矛盾」

 西田幾多郎が神秘体験Aを体験し、その中身が「純粋」であるから、「純粋経験」、また我々の体のなかにある生命を「直接に」把握できた、と感じたから「直接経験」、という言葉を作り、神秘体験Aこそ「唯一の実在」である、と断定したのだが、この断定ははたして然るべき正当性をともなうものであろうか。

 この問題には二つのアプローチがある、と思われる。

 一つは、幾多郎自身が指摘する「矛盾」の存在とその処理の仕方である。
 さらにもう一つは、断定にともなう客観性である。

 まず、「矛盾」の考察より始めよう

写真: Bassano del Grappa
          2001年5月撮影
     美しいガラス瓶に入った蒸留酒グラッパで有名な町。

        流れているのがBrenta川。遡ればTrentoに行き着く。
     向こうにPonte Copertoが見える。
 

 すでにこの問題については、第五章 真実在の根本的方
式」
の項で説明してあるのだが、 幾多郎が説くところはこ
うである。

       真実在(神秘体験A)として捕捉される意識のほかに、
    それと相反する内容の意識、すなわち「矛盾」が存在
    する。

     ここで、真実在は統一的体系を有するがゆえに実在で
    あると考えられるが、「矛盾」は統一的体系を有しない
    から、実在とは信じられない。

     しかし、矛盾が存在するがゆえに、実在は実在たりう
    る。すなわち、矛盾は実在の顕現にとって必要条件であ
    る。

 このヘーゲル流弁証法論理はどう考えてもおかしい。矛盾
は統一的体系を有しないから実在とは信じられないが、この
矛盾があるからこそ真実在が成立する、つまり「信じられな
いもの」を基礎として「唯一の実在」が成立してしまうので
ある。

 「目に見えない宇宙のどこかから飛来する正体不明のUFO
がいるからこそ、われわれの目に見える地球が存在する」と
いう論理となる。この論理ははたして成立するのか、という
問題である。もちろんこの論理は成立しない。

 後年幾多郎はこの問題を引っ張り出して、「絶対矛盾の自
己同一」は成立する、と説いた。これも間違いである。矛盾
するものが成立すると認識するときには「絶対唯一」のもの
は成立しない。

写真: 2001年5月撮影。
     Bassano del Grappa
     Ponte Coperto、屋根付き橋。
     13世紀に建造されたなごみの空間。
    
     このあたりは地味もゆたかで生活に困ることがない。
    こういう土地柄では、純粋経験Bの悪夢など、夢のま
    た夢なのだろう。
    事実、画家Jacopo Bassanoは宗教戦争などそっちの
    けで、風景画を深い色合いで描いた。 右下参照。

 筆者は、神秘体験Aに到達した人たちが、更なるステップとしてまことに苦しい探索の旅に出発することを例をあげて説明した。(神秘体験Bを参照のこと。)

              玉城康四郎
              林武
              アヴィラのテレサ
              白隠

 量子力学モデルのエネルギー順位の図を佩用すれば、(+)level (1)(2)(3)(4)の一連のプロセスに続く(5)の状態である。この状態は神秘体験Aにいたる前の状態となんら変わりはないのだが、(3)の状態があまりにも神秘的であったがゆえに、(5)の状態を「不純物が混ざった」状態、あるいは「矛盾する精神が混入した」状態であると感じられ、あまりの落差に困惑し、かつ自らの下劣な精神に憤りをおぼえて悩む段階である。

玉城康四郎氏がこの過程の精神状態をきわめて率直に述懐されている。玉城康四郎『ダンマの顕現』(大蔵出版)を再度熟読しよう。

さらには、

        『若きウェルテルの悩み』に表出されるゲーテ

        『煤煙』に活写される平塚らいてう

        『或阿呆の一生』で白状する芥川龍之介

        『叫び』で表現したエドヴァルド・ムンク

も参照されたい。

これらの人々は、正体のわからない矛盾の存在を認めない。かえって、矛盾のなかにどのような本質が認められるかを苦しみのなかで探索したのである。

 こうしてここにも、(矛盾についての)具体例の収集とその分析から出発するというオーソドックスな学問的アプローチは無視されている。論理のみで屁理屈を構成できる、と幾多郎は考えていたのだ。

画像:
Bassano出身の画家
Jacopo Bassano

Pastoral Landscape. circa. 1560
Oil on Canvas. 139 x 129cm.
Thyssen-Bornemisza
Museum
“Old Masters  Thyssen Bornemisza Museum”
Trustees of the Fundacion Coleccion Thyssen-Bornemisza
1992


1560年といえば、Trentoで宗教会議が開催されている最中だ。免罪符の販売はこの会議で抑制されることが決定した。

西田幾多郎が口にする「唯一の実在」などは、西洋ではこの時点で論議し尽くされていた。カトリックは、「純粋経験」を「聖霊」と置き換えて、「聖霊は唯一の実在」と主張していただけなのだから。


なお、.Thyssen-Bornemisza Museumのホームページは、
http://www.museothyssen.org/thyssen_ing/home.html