引きつづき白隠の自伝を読み進む。

白 隠 の 神 秘 体 験 A

   このような状態が数日続くと、たちまちある夜、鐘音を聴くや否や従来の世界がひっくりかえった。氷盤をたたき砕くよう、玉楼をおし倒すようだ。忽然としてさめ来たれば自分自身ただちにこれ巌頭和尚となり、三世を通貫して少しも損することなく、従来の疑惑が根底から消え失せた。大声で叫んでいうには「何とありがたいことか、やれ嬉しや、生死を捨てることも菩提を求める必要もない。千七百箇の伝燈の公案は一こねして消え失せるにも足らず」。そこで慢心が山のように聳(そび)え、おごり高ぶる気持ちが潮のように湧いて来た。心の中でひそかに思うには、二,三百年来、自分のように痛快に見性した者があるはずがないと、直ちにこの一つの見解をもって信州に行った。                          (同上)

 このような状態が数日続いたのち、ある夜、鐘の音を聴いた途端に世界がひっくりかえる状態となり、すべての疑念が氷解するのを感じた。その瞬間がすぎて我にかえると、自分自身がかねて尊敬していた巌頭和尚となっているのを発見したし、自分の見たものは、過去、現在、未来を通じて真理であることが分かり、過去自分が抱いていた疑問は全て氷解していることがわかった。これで自分が真理の頂点に立ったとはっきりわかった。

 文面から読めることだが、このときの直前白隠の状態は、白隠の脳細胞がフルに使われた状態で、現代風に表現すれば、情報量がパソコンのプロセッサーのキャパシティーをオーバーフローしてスタックした、つまり二進も三進も(にっちもさっちも)いかなくなった状態に到達し、かつこの状態を2,3日続けたところが、パソコンは超常的な挙動を示した、ということになろうか。

 此の如き者数日、乍ち一夜鐘声を聴いて発転(はってん)す。氷盤、擲砕(てきさい)するが如く玉楼を推倒するに似たり。忽然として蘇息し来れば自身直(ただち)に是れ巌頭和尚、三世を貫通して毫毛(ごうもう)を損せず、従前の疑惑底を尽して氷消す、声高に叫んで曰く也太奇(やたいき) 也太奇。                           (同上)
 

 この体験が、玉城康四郎、林武、テレサの体験と、瞬時起動性、受動性、意識の根源性、絶対性、ならびに直後に生じる喜悦の感情、という諸点でぴったり符合することもご理解いただけるのではないだろうか。

 テレサの体験はこうであった。

 事実、霊魂は一瞬ですっかり学者になり、聖三位一体の奥義や、そのほかのきわめて崇高な奥義が、非常に明らかな光のうちに彼に示されますので、どんな神学者を向こうにまわしても、これらの偉大な真理を防御する勇気があります。                                                           (自27-9)

 この記述を白隠の上述の述懐と比較してみよう。

 さらに次の項目に進む。

       ⇒ 白隠の慢心と宗覚の出現 
       ⇒ 正受老人の鉄槌
       ⇒ 妄想情解
 

 人間の場合は、脳細胞がそのとき、自分を動かしている生命を目のあたりに見るに比し、パソコンは、自らを動かしている電気の力能を理解し自らに示した、ということになるだろう。

 このとき白隠にはよろこびの感情が湧きあがる。

写真:The Vapheio cups., Vapheio in Laconia.
        Creto-Mycenaean metalwork,
        dated to the first half of the 15th century B.C.
     Inv. no. 1758, 1759.
        アテネ国立考古学博物館 
        

        心の中に見つけられる宝物は、
         ひょっとすると
        このような形状なのか。
        「牛追い」と題されたカップ。
        白隠も丑年の生まれ。

 この部分を原文の読み下し文で味わってみることとしたい。鎌田茂雄の文章をさらに拝借させていただく。