三位一体の加護の下に設立された、ディジョン近郊にあるシャンモルのカルトジオ会教会のために描かれた作品である。1416年の支払い記録から、この祭壇画は、1415年にブルゴーニュ公ジャン無怖公の宮廷画家となったアンリ・ベルショーズによって完成されたことが分かっている。父なる神と聖霊に伴われた十字架上のキリストの左右には、聖ドニが牢獄でキリストの手から最後の聖体拝領を受ける場面と、その聖ドニがルスティクスとエレウテリゥ スと共に殉教する場面が描かれている。

日本語解説

ル ー ヴ ル ・ 絵 画  (1)

                                2014/05/16

 これがこの絵で表わされた三位一体です。白鳩はSaint Spirit(聖霊)を表わす表現仮体です。その内容については、筆者の「三種類の神の統合」で説明してあります。ジョン・ロック以降、民主主義の観点からすると、「神」も「聖霊」も「キリスト」も価値基準にはなってはいません。個人が信仰するのは勝手だが、社会的な価値の規準にはならないのです。だからこういう宗教絵画は中世ヨーロッパの雰囲気を楽しむための道具、だと言えるかも知れません。

画像:
ルーヴルによる仏語説明
プロヴァンス
15世紀半ば
《ブルボンの祭壇画》(注:Boulbonはアヴィニョンの南西10kmの町)
1450
年頃
(ブーシュ=デュ=ローヌ県)ブルボンのサン・マルスラン教会出自。アヴィニョンのサン・アグリコル教会参事会によって1530年頃供与された。
高さ 172cm、長さ 228cm

  おそらくこの教会の司教座聖堂参事会員であると思われる寄贈者が、聖アグリコルによる三位一体(父なる神、白鳩、墓場で受難の道具に取り囲まれたキリスト)の説明を受けている。

原始フランス展覧会委員会による寄付、1904R.F. 1536

画像:
アンゲラン・カルトン―1444年から1466年までプロヴァンスで知られる
《ヴィルヌーヴ==ザヴィニョンのピエタ》
1455年頃
ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョン教会
油彩、胡桃材の3枚の板
1.63m、横2.18m
ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョン製造所からの取得。1905年、ルーヴル友の会からの寄贈
R.F. 1569

日本語解説

この大変有名な絵はいまや私たちの手で触れることができる場所に陳列されている。大変な傑作だが、細部(たとえばマグダラのマリアの衣の裾など)を観察すると、描き方が大変雑で未完成かと思われるほどである。また、間近でみるマリアの表情は悲しみの表情が神々しいまでにリアルである。素晴らしい作品だと改めて認識する。(Villeneuve les Avignonを参照のこと。)

この肖像画はおそらく、個人肖像画が描かれていた古典期の後に初めて構想された例だと思われる。« Jehan roi de France »と書かれた銘はおそらく後世に記されたものである。描かれたモデルは王冠をつけておらず、見たところ玉座に就いた(1350年)頃、あるいはまだノルマンディー公爵でしかなかった頃の王である。

仏語説明

画像:
アンリ・ベルショーズ
《聖ドニの祭壇画》
14151416
板からカンヴァスに転写
1.62 m、横2.11 m
1863年、フレデリック・レゼによる寄贈
M.I. 674

フランス中世の絵画は修道院で開始された感がありますね。時代はもう少し遅れますが、フラ・アンジェリコの画業活動もイタリア、フィレンツェのサン・マルコ修道院でした。(サン・マルコはドメニコ派修道院。)

この時代の人達には、地震、洪水、飢饉などの天災、コレラなどの致死性伝染病の襲来、予防接種もなにもない身体に襲いかかる病害、等々で幸福を入手することがきわめて困難な時代だったのでしょう。だから、心の安定を得るためのもっとも手軽な近道は「修道院」だったに違いありません。美術はひとえに、人の心につかのまの安定と静謐を与える道具だったのでしょう。頼るべきは「神」であり、「神の子なるキリスト」であり、行き着く先は「天国」と考えたに違いありません。こういう観点から眺めると、中世の美術が分かりやすくなるような気がします。

画像:(ルーヴル博物館の展示説明より)
ジャン・ド・ボーメッツ
もともとはソンム地方、あるいはパ=ド=カレー地方の出身
生年不詳(1361年以降に名がしられるようになった)-ディジョン、1396年
カルトジオ派僧侶一人にかしずかれた十字架像
1389年と1395年の間


  ディジョンの近くのカルトジオ・シャンモル(Champmol)修道院の僧侶と小修道院長の個室を飾るための26枚の連作の一部をなす。注文主はブルゴーニュ公フィリップ・ル・アルディで、1388年ジャン・ド・ボーメッツという名前の彼の画師に注文された。「カルトジオ僧侶のいる十字架像」がもう一枚あり、クリ-ヴランド美術館に保存されている。

1967年入手。

英語説明の一部翻訳

ナルボンヌでボイリーが取得した、絹製のアルタークロス(聖餐台の敷布)に描かれたグリサイユ(灰色の濃淡で描く単彩画法の絵)。縁取りのメダルのなかに書かれたカロールス(Karoulus、カール大帝)のイニシアルのKが意味するところは、シャルル5世がこのアルタークロスを注文し、その時期は多分(彼が即位した)1364年と(王妃が亡くなった)1378年の間である、ということだ。国王と王妃が中央の画面の両脇で跪いて祈っているからだ。ナルボンヌのアルタークロスは、フランス様式と伝統の嚆矢であり、現在まで伝わっているこの種のものとしては唯一の品である。

画像:ナルボンヌの内敷(祭壇の敷布)
14世紀末のフランス人、作者不詳
ナルボンヌの祭壇布
1364-1378
ジュール・ボイユ・コレクション、1852年買取り、スーヴラン美術館館長に寄託
(注:Jules Boilly30.08.1796-04.06.1874)はパリの水彩画家)
サマイト(重い絹織物で、しばしば、銀または金糸で編まれる)に似せた縦溝絹布に灰色水彩
78 x 208 cm
スーヴラン美術館から1869年に移牒(注:スーヴラン美術館とは、ナポレオン三世によって1852215日に(皇帝即位と同時に現ルーヴルの中に)設立された君主美術館)
371121

Le Parement de Narbonne
The Narbonne Altarcloth

素晴らしく優美で美しい絵画ですね。

画像:ジャン2世(善良王)の肖像
パリ(14世紀中頃)
フランス王ジャン二世善良王(1319 -
1350年以前
60 x 45 cm
国立図書館からの寄託、1925
R.F.2490