追記:2103/10/28

 テヘランに到着した夜2103/10/04非常に疲れてベッドに倒れるようにして熟睡したのだが、冷房が効きすぎていたのか、翌朝から、左胸、脇の下、肩胛骨の下あたりに強い痛みを感じました。あまりに強い痛みに堪えかねてか、しゃっくりがでるようになり、ヒックヒック症状となりました。

 帰国後もずっと堪えていたのですが、本日病院へ行って診てもらったら、診断は「帯状疱疹」でした。帯状疱疹の赤いブツブツが背中に出ていたのです。それにまったく気がつきませんでした。

 帯状疱疹など、私の人生ではじめての経験です。疲れが原因だったのかもしれません。

画像
の頭と翼とライオンの胴体をもち黄金の宝を守る怪獣、グリフィンの浮彫、
ルーブル博物館蔵

スーサのダリウス一世(522-486 BC)宮殿の装飾の一部。

イ ラ ン の 旅 (2)

               2013/10/0313

注:スーサとルーヴル美術館(1)(2)
   を参照せよ。

2013/10/12

 テヘラン

スーサ

ハフト・テペ(省略)

写真:
サーサーン朝ペルシャの第四代の王バフラーム一世
(273-276AD)(右)の騎馬叙任式。右下に倒れているのは急死した先王ホルミズド1世バフラーム一世と対峙したローマ皇帝アウレリアヌスは275年サーサーン朝ペルシャに侵入し、ボスポラスで暗殺された。

写真:クセルクセス一世の墓碑、中央はゾロアスター教の最高神アフラ・マズダ、右はゾロアスターの御神火

ナクシュ・ラジャブ

写真:二頭立ての馬車に乗る馭者。献上品を曳かせているのか?

ナクシュ・ロスタム

2013/10/09

 ペルセポリス

写真:ダレイオス一世宮殿。アケメネス朝ペルシア第3代の王ダレイオス一世(在位: 522 – 486BC)の像と衛兵達

写真:2103/10/05 フィーン庭園

写真:アフワズ近辺の車窓に見えた精油所、あるいは石油化学工場。

 では皆様、ご機嫌よう。

画像:バビロンの王ハムラビの法典、ルーブル美術館蔵

1792BCにバビロニア帝国の初代王となったハムラビは世界最初のハムラビ法典を定め、石碑に刻銘した。その後、ザクロス山脈を越えてメソポタミア平原に進出したエラム族がこの石碑を強奪して彼らの首都スーサに持ち帰った。この石碑は1901年スーサで再発見され現在はルーブル美術館にある。

 1980年から始まったイラン・イラク戦争、最近は原子爆弾を巡る経済制裁の影響で、イランの街は活気がなかった。三井の石油化学事業の失敗も思い出される。昔は緑地、今は土漠の、荒れ果てたこの土地を観光するうえでは、先進国に貯蔵されているイラン出自の古美術品の優品を思い起こしながら旅をしなければ楽しくない。遙か昔のほうが芸術性の香はきわだっていたのだ。

写真:紀元前13世紀の中頃、エラム国王ウンタッシュガルがチョガザンビルを首都と定め、宗教建築物ジッグラートを建設した。破壊されたのは、紀元前640年頃。アッシリア人による。

2013/10/11

 チョガザンビル

写真:アパダーナの階段の浮彫。紀元前520年頃に作られた精巧なレリーフ。アレキサンダー大王のペルセポリス破壊(BC331)の際は地中に埋まっていたらしい。

画像:水差し容器を支えた跪く雄牛、
原始エラム期、紀元前
3100-2900年頃、
イラン南西部、
メトロポリタン美術館蔵

画像ダレイオス1世宮殿の謁見の間(アパダーナ)の円柱の柱頭
アケメネス朝、ダレイオス1世の治世、紀元前510年頃、ルーブル美術館蔵

2013/10/10

 ビシャプール