2:メソポタミアの歴史
各項を参照してください。


シュメール
バビロニア(首都バビロン)
アッシリア
アッカド(ムロデ王国の四つの都市のひとつ)
ヒッタイト
ミタンニ
エラム
ペルシャ
ヘレニズム

18. ライオンのフリーズ

 アケメネス期の芸術家達は神話上の動物が豊富な絵画語彙を受け継いでいた。スーサで屡々表現されるグリフィン-ライオンは偉大なるダレイオス一世王(522-486 BC)宮殿からの建築装飾の一つの要素に描かれた。それがここで、煉瓦で作られたレリーフ上のライオンと羽根の生えた雄牛のパサンと並んで、色彩のあるなしはあるのだが、演じられている。

スーサとルーヴル美術館 (2)

R. Ghirshman

Roland de Mecquenem

 ジャン-ジャック・ド・モルガン(1857 年ユイッソー=シュル=コソン- 1924年ロアールエシェール )はフランス人の鉱山技師、地質学者ならびに考古学者であった。彼は19世紀の間、エジプトにおける古代遺物の管理者であり、メンフィスとダシュールで発掘し、多数のエジプトピラミッドの製図を沢山作成した。彼はまたストーンヘンジとペルセポリス、その他多くの現場で働いた。

画像:ジャック・ジャン・マリー・ド・モルガン(1892)

Marcel-Auguste Dieulafoy

 金、トルコ石、ラピス・ラズリで豪華に装飾されたこの腕輪は、アケメネス・ペルシャ時代のライオンの首がつけられていて、宝石と豪華さにたいするこの帝国の威厳趣味を反映している。この種類の物体は、ある種の記念碑を装飾する彫刻に現われている。特にスーサのダレイオス宮殿(522-486 BC)のなかの射手のフリーズに顕著である。

 このネックレスはアケメネス朝ペルシャの装身具の素晴らしい一例である。これは1901年ジャック・ド・モルガンによりスーサのアクロポリス発掘の際に発見されたもので、完全な形で生き残った数少ないアケメネス朝の墓の一つの中にあった。アケメネス王朝は、ダリウス大王(522-486 BC)として知られるダレイオス一世が開いたものである。彼は以前のエラムの首都であったスーサの戦術的な重要性を認識していたので、彼自身の首都を平原でのペルセポリスに匹敵する高地の首都としたのである。

 ジャック・ド・モルガンは1901年、スーサ・アクロポリスでの発掘の間に、このウエイトを発見した。これは現在ルーヴルに保管しているなかでは最大の、碑文付のギリシャ青銅器の一つである。紀元前6世紀の第3四半期にミレトスから来た二人の訪問者が、ディディムスにある神託所でアポロ神に奉納したものである。これがスーサで発見された事実は、ヘロドトスが語ったように、古代ギリシャ歴史の一つの大きなエピソードを物語っている。

 ライオンのフリーズ。これはスーサのダレイオス一世宮殿の第一中庭からの装飾用釉薬煉瓦のフリーズである。このフリーズは、獣の王として具現化された、王の権力の宣言である。その図解と構図において、これはこのペルシャ宮殿におけるもっとも際立ったメソポタミア的要素の一つである。

15. ダレイオス一世宮殿の謁見の間の柱頭

 スーサのアパダーナの屋根を支えていた36本の柱のうちの一本から入手したこの巨大な柱頭は、純粋にイラン様式の建築学上の伝統の証拠である。これはアケメネス様式の典型であり、種々の文明から採られた要素を融合し、首尾一貫した品格のある調和を形成している。

二頭の雄牛に近づいてみましょう。何を支えていますか?下にある図を見ると、これが36本の円柱のてっぺんの部分、「柱頭」のひとつだとわかります。円柱は謁見(えっけん)の間の屋根を支えていました。この展示室に収まったのは柱頭だけです。右の窓から外を見てみましょう。円柱全体の高さが想像できますか?
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メートルの高さというと、ルーヴル美術館の屋根に届いてしまいます。これはその当時、世界一巨大な宮殿でした。ペルシアの王様ダレイオスは、隣の国の人々を圧倒しようと考えて、この宮殿を建てたのです。

画像

画像:前列右端の人。

1:メソポタミア地図

22. 象眼したライオンの頭で飾られたブレスレット

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ビーズのネックレス
アケメネス朝、紀元前350年頃
アクロポリス、スーサ
金と宝石
J. de Morgan による発掘、1901

21. ビーズのネックレス

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ビーズで作った装身具
アケメネス朝、紀元前350年頃
アクロポリス、スーサ
瑪瑙
Sb 12070

20. ビーズで作った装身具

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趾骨(knucklebone)形状の重し
西暦前522-486
アクロポリス、スーサ、イラン
ディディムス、ギリシャ
青銅
高さ: 27.5cm、幅: 39cm、長さ: 24.5cm
Jacques de Morganによる発掘、1901
Sb 2719

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ライオンのフリーズ
アケメネス・ペルシャ期、ダレイオス一世統治期、紀元前522-486
ダレイオス一世王室宮殿の東中庭、スーサのアパダーナ、イラン
多彩釉薬石英質煉瓦
高さ: 3.60m、幅: 3.68m
Marcel Dieulafoyによる発掘、1884-86
AOD 489 c

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グリフィンのフリーズ
紀元前510年頃
アパダーナ、宮殿の西中庭、スーサ、イラン
スーサ、イラン。
釉薬をかけた石英質煉瓦
幅: 4.22m、高さ: 1.65m
Jacques de Morgan Roland de Mecquenemによる発掘、1908-13
Sb 3322, Sb 3323

16. 射手のフリーズ

 多彩色の釉薬を使った煉瓦でできた装飾目的のフリーズは、軍隊を示している。男達は槍、弓ならびに矢筒を持っている。彼等は、ヘロドトスが「不滅軍」と呼んだ、ダレイオス一世(紀元前522–486 )の近衛兵であろうか? あるいは、ペルシャの人民を理想化したイメージを表現しているのだろうか? このフリーズは多分、技術は異なっているけれども、バビロンの煉瓦のフリーズによって霊感が吹き込まれたもののようだ。多分、エラム中期の伝統を引き継ぐ遺産であろう。これが釉薬をかけた石英質の煉瓦の出現につながったのである。

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射手のフリーズ
アケメネス朝ペルシャ期、ダレイオス一世統治期、紀元前510年頃
アパダーナの遺丘、ダレイオス一世宮殿、スーサ、イラン
多彩色釉薬をかけた石英質煉瓦
高さ: 4.75m、幅: 3.75m
Marcel Dieulafoy遠征隊、1884–1886
AOD 488

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古代ペルシャ、ダレイオス一世宮殿の創建勅許
ダレイオス一世統治期(紀元前522-486 )
スーサ、イラン。ダレイオス一世宮殿(アパダーナの門の一つの下で発見された)
粘土
幅: 42cm、高さ: 42cm
Jacques de Morgan Roland de Mecquenemによる発掘、1911
Sb 2789

14. 古代ペルシャ、ダレイオス一世宮殿の創建勅許

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左の男装麗人が夫人。

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象眼したライオンの頭で飾られたブレスレット
アケメネス期、紀元前350年頃
アクロポリス、スーサ
金、ラピス・ラズリ、トルコ石ならびに真珠母
J. de Morganによる発掘、1901
Sb 2761, Sb 2762

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ダリウス一世宮殿の謁見の間の柱頭
アケメネス朝、ダレイオス一世統治期、紀元前510年頃
アパダーナ遺丘、スーサ、イラン
円形建物のなかの彫刻
石灰石
Marcel and Jeanne Dieulafoyによる発掘, 1884-86
AOD 1

 古ペルシャ語で刻銘されたこの銘板は、ダレイオス一世が権力者に即位して最初に作成した文書の一つである。これは彼の宮殿をスーサに創建するという勅許状である。アパダーナへの門の一つの下に埋まった状態で発見され、ダレイオスの肩書き並びに宮殿の建設につき貴重な情報となっている。

ジャック・ド・モルガン

添付:

19. 趾骨形状のおもし

17. グリフィンのフリーズ