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平成21年10月13日 各位 スターライトフェスティバル実行委員会 実行委員長 青柳 房夫 10月10日からの三日間で開催致しました石川町スターライトフェスティバル2009におかれましては、ご参加、ご協力を頂き誠にありがとうございました、開催直前には台風の影響などの不安要素で危ぶまれましたが期間中、夕方より天の川が見られる素晴らしい星空に恵まれ、御参加の皆さまと悠久の時を過ごすことができました。 次回も今年同様実施する方向で進んでおりますので、実施決定の際は今年同様のご支援を賜りますようお願い申し上げます。 最後に、石川町スターライトフェスティバル2009が大勢の皆さまに支えられ盛大に開催できましたことに感謝し御礼の挨拶とさせていただきます。
戸部さんから初回(1992年)と二回目(1993年)の画像 ’92と’93の画像159枚ほど発掘されました、一回目と二回目の混合画像です。【WEB-UP 2009.01.22】 デジタルカメラは一般化されていませんので銀塩写真をスキャッた画像データです。 159枚アリマスので画像データが落ちるまで少々時間が掛かります、お待ちください。 |
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前9年の役の時、源頼義、義家は厳寒と兵糧不足で幾度の激戦の末、むなしく敗北した。その時、義家の愛馬が脚をけがしたため、敵の目をさけ、御齊所峠を越えて今の母畑の谷間に入った。ここで数日過ごしているうちに不思議にも愛馬の傷口がなおっていた。奇妙に思ってみると岩間から温泉がわき出ており、一種の臭気が漂っていた。義家はこれをみて「我が愛馬の傷口、数日にしてなおりしはこの泉水の為なり。これは我に見方する山神が与えて下さりしものなり。」といって、泉水のわき出る岩間の上に母衣(ホロ)をまつった。義家はこれに元気ずけられ、自分の家来、源頼遠の子供、有光を石川に残して、阿部貞任を打ち破った。後、源有光は、石川有光と名のった。母畑というのは母衣(ホロ)と旗をまつる土地、母衣旗(ホロハタ)の地といわれ、いつ頃からかこれがなまって母畑(ボバタ)という。 (石川地方の民話と伝説より) 石川町には平安時代の代表的女流歌人和泉式部誕生の地として、多くの伝説とゆかりの史跡が残されております。和泉式部は王朝の世の華やかな時代に、和歌を詠み、愛に生きた情熱の歌人です。幼年時代を玉世姫と言い、石川町の曲木の里に生まれ、13才の時京にのぼり、歌人とし、当世を風びし、後世に名を残しています。和泉式部ゆかりの史跡は産湯として使われた小和清水、父安田兵衛国康の屋敷跡、菩提寺、式部堂湯洗石など多くあります。少しはなれて、猫啼の櫛上げの石、沢井の清水、玉川村の古金塚があります。毎年、曲木の里では4月1日、式部祭が催され、千年の昔と今を一つの心でつないでいます。 (石川町の資料より)
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