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以前の「ひとこと」 : 2002年10月後半




10月16日(水) クイックソート

 このところ5回ほど「コインの計量問題」というシリーズでお話してきましたが、その中で重さの異なるたくさんのコインの中から一番重いもの、一番軽いもの、二番目に重いものを見つけてくださいという問題がありました(問題7,8)。 これらの問題は、そのほかのものと違って複数のコイン同士の重さを比べても仕方がありません。1対1でどっちが重いかを比べて、その情報をうまく利用することになります。

 たとえば、重さの異なる10個のコインを重い順に並べたいとき、どうしたら速いでしょうか? 使える手段は、2個を比べてどちらが重いかを決めることができるだけです。一番素朴な方法は、リーグ戦のようにすべての2個の組み合わせでどちらが重いかを表の形に書き出せばわかります。たとえば重いほうが「勝ち」だとすると、9戦全勝したコインが一番重くて、一番重いコインにだけ負けた8勝1敗のコインが二番目に重くて、あとは7勝2敗、6勝3敗、…と続いて、最後に9戦全敗の一番軽いコインという順番になります。 (とりあえず簡単のため同じ重さのコインはない、つまり引き分けはなしとします。)

 この場合だと10チームのリーグ戦ですから(10×9)÷2 =45回の比較、つまり天秤での計量が必要になります。この回数をもっと減らすことはできないでしょうか?

 野球やサッカーのような複雑なスポーツの場合、たとえば巨人が中日に勝って中日が阪神に勝ったからと言って、1番巨人、2番中日、3番阪神と決まるわけではなくて、阪神は巨人に勝って、全チームが1勝1敗になるかもしれません。ですから公平に同じ試合数の総当たり戦(リーグ戦)を行います。

 ところが、重さを比べるように尺度が単純な場合、AがBより重くてBがCより重ければ、AとCがどちらが重いかは改めて秤に載せてみるまでもなく明らかです。素朴な総当たり戦の比較では、この「比べてみるまでもなく明らか」なものまでわざわざ計量しているところが無駄なのです。

 コンピュータのアルゴリズムの世界では、クイックソート(quick sort)と呼ばれる整列のテクニックがとても有名です。これは、上記のような無駄な比較を省こうという考え方で設計されたやり方で、たいへん面白い手法です。どれでもかまわないので適当に1つを基準として選んで、それよりも重いもののグループ、軽いもののグループに分けます。そして、それぞれのグループの中でまた同じことを繰り返す、というものです。

 こんな方法がなぜ速いのか最初にきくとちょっと不思議ですが、これをやることによって、重いグループと軽いグループから1個ずつ選んだときの比較を全部省略できる、というのが高速化の理由です。(重いグループからどれを選んで、軽いグループからどれを選んだとしても、軽いグループから選んだほうが軽いのが当たり前だからです。)さきほど、10個ならば素朴にやると45回の比較が必要といいましたが、たまたま基準がちょうど真ん中のものを選んで、基準よりも重いグループ4個と軽いグループ5個に分けられたとすると、4×5=20回もの比較を省略できたことになるのです。

 <おまけのひとこと>
 ただしクイックソートも、運悪く基準となるものが一番端のものばかりだと、結局全部の比較をすることになってしまいます。まあこうなる確率は低いのですが。

 クイックソートという言葉で検索エンジンで探してみると、数式で原理を説明したものや、ソートされていく様子を見られるようになっているページなど、いろいろあります。ちなみに素朴なやり方ですと、N個のソートに必要な比較の回数は N2 のオーダーですが、クイックソートなどは NlogNのオーダーで、これが理論的な上限です。




10月17日(木) 不可能立体

 最初に、次の2枚の画像をご覧ください。

「芦ヶ原伸之の究極のパズル」表紙 「超々難問数理パズル」表紙

 左は、『芦ヶ原伸之の究極のパズル』(講談社 昭和63年4月8日発行 680円)というB5版の平綴じの雑誌のような本、右は『超々難問数理パズル』(芦ヶ原伸之 講談社ブルーバックス 2002年7月20日発行 800円)という新書判の本です。 同じ写真が表紙になっているのがわかります。

 手前側を見ると、ちょうどの字のようにくぼんでいて、そこに女の子の人形が腰掛けているように見えますし、向こう側は逆にの字のように飛び出した柱状になっていて、そこに男の子の人形が座っているように見えます。 その印象を強調するかのように、あたかも柱を切り取ってみました、という雰囲気のパーツが2つ置かれています。

 右のブルーバックスのほうはまだ出版されてまもないですから、店頭でごらんいただけるかと思います。この画像ではよくわからないと思いますので、ぜひ本物をごらんいただくことをお勧めします。

 ちなみにどちらの本にも、この不可能立体の写真をどうやって撮影したかという「種明かし」が載っています。(ブルーバックスの方は種明かし写真は普通のモノクロの印刷なので、ちょっとわかりにくいかもしれません。)

 <おまけのひとこと>
 左側の本のほうはもう15年も前のものですが、取り上げられている話題1つ1つがたいへん面白くて、この「あそびをせんとや」というページでいろいろご紹介しているような「面白さ」の感覚は、少なからずこの本から影響を受けていると思っています。




10月18日(金) 無限階段

無限階段  昨日、不可能立体の写真が表紙になっている本をご紹介しましたが、以前自分でも作ってみた紙模型の不可能立体の写真がありましたので、ご紹介しようと思います。

 いかがでしょうか、ぐるっと一回り階段を上っているのに元の場所に戻ってくる、というように意図どおりに見えるでしょうか。

 これは、Sugihara's Home Pageというところからいただいてきた型紙を印刷して作ったものです。(こちらです。) オリジナルの作品は工作の精度も写真もすばらしいですが、私が作ったものはあんまり上手ではありません。 私の作ったものはプリンタの都合上A4のサイズの紙に型紙を印刷したのですが、そうすると階段の段差が2mmくらい、階段の幅が8mmくらいになります。これをきちんと切り出して折り曲げて接着してきれいな形に整えるというのは、わりと大変な作業です。

 型紙のデータをいただいてきたの上記のページには「本当は離れているのに、ある特殊な方向から見るとつながって見える」というずるいトリックは使ってありません。と書かれています。私がここで載せた写真は、ちゃんと階段がつながっている様子と、でもどういう仕掛けになっているかというトリックの種明かしと、その両方がわかるようなものにしてあります。

 腕に覚えのある方はぜひともこの模型製作に挑まれることをお勧めします。

 <おまけのひとこと>
 最近は忙しくて、「困ったときのネタのストック」を減らしています。




10月19日(土) 『不可能物体の数理』

 昨日ごらんいただいた無限階段のペーパーモデルですが、これがどのような原理で設計されているのか、そもそもこういった「だまし絵」的な立体というのはどんなものなのかということについて書かれているのが、下の『不可能立体の数理』(杉原厚吉著 森北出版 1993年2月 初版 2600円+税 ISBN4-627-80820-8)という本です。

『不可能物体の数理』

 たとえば、この表紙をごらんいただくと、8つの不可能立体の絵が描かれています。このいずれの立体も、右上から左下に向かって6本の平行線があって、その両端の部分に凸字型や凹字型、四角い柱2本などを表現するパーツを描くことによって、いろいろな不可能立体の見取り図のようなものが簡単に描けてしまうという例になっています。

 著者自身も述べられていますが、せいぜい大学教養課程程度の数学(線形代数)と普通の幾何の知識があれば、ほぼすべての章が理解できるように易しく記述されています。多分、高校生でも大丈夫ではないでしょうか。非常に面白い本ですので、ぜひごらんになることをお勧めします。

 <おまけのひとこと>
 今年購入した本の中でも、とくにお気に入りの一冊です。




10月20日(日) 親子の問題

 問題です。

 背格好や顔つきがちょっと似ている二人の男性に出会いました。一人は若く、もう一人は年長に見えました。そこで「隣の方はあなたの息子さんですか?」と尋ねると、なんとふたりとも「そうです。」と答えるではありませんか。てっきり聞き間違いか勘違いかと思って、今度はひとりずつ、まず年上に見えるほうの男性に「隣の若い方はあなたの息子さんですか?」と尋ねると「そうです、私の息子です。」と言います。続いて若くみえるほうの男性に、「隣の方は本当にあなたの息子さんなんですか?」と尋ねると、「そうですよ、確かに私の息子です」と答えました。 さてこれはどういうことでしょうか?

 これは、どちらかがウソをついているとか、タイムマシンで過去にさかのぼったとかいうのが答えではくて、法的にも倫理的にも(おそらく)問題なくちゃんと現実に起こりうる状況です。まあ実際にはまずありえないでしょうけれども。

 <おまけのひとこと>
 道路占有物というページをみつけました。たとえば信号機のメーカー別の考察とか、標識の固定の仕方、路面に描かれたマークや文字(「止まれ」等)の地域別の特徴など、よくもまあこれだけ集めたものだと感心します。こういうマニアックさは好きです。




10月21日(月) 算私語録

算私語録  安野光雅という画家・絵本作家がいます。私が子供の頃、福音館の子供向けの月刊絵本「こどものとも」に、この安野光雅氏の『ふしぎなえ』(不思議な絵)という絵本があって、これが安野氏の作品との出会いでした。エッシャーの絵のような不可能図形を、安野氏らしいタッチで描いたもので、いっぺんでファンになりました。

 同じく福音館の「かがくのとも」というシリーズがあって、その中にも安野氏の作品がいくつもあり、いずれもお気に入りでした。(これは後に「はじめてであうすうがくの本」 ─福音館書店─ というシリーズ10冊にまとめられました。) ずっと後になって「旅の絵本」のシリーズとかで有名になったと記憶しています。 また読書家としても知られていて、「ちくま文学の森」というシリーズの選者のお一人で、装丁もされていたと思います。さらに、森毅先生との対談だとか、「わが友石頭計算機」「手品師の帽子」なんていうさまざまなジャンルの本もあったと思います。

 この安野氏のいろいろな分野の作品の中でも、特に好きなのが「算私語録」というエッセイ集です。(手元の本を見ると、朝日文庫 昭和63年2月初版 380円 となっています。) エッセイ集といっても、短いものは1行から数行、長くても半ページくらいのトピックスが345個、連想ゲームのように連なっているという感じです。新聞等からの引用や、それに触発された話題、いろいろな問題やパズルのようなものなど、とても面白い話題が多いです。 算私語録というタイトルは、もちろん3・4・5・6という数字列を意識した語呂合わせです。

 私がこのサイト「あそびをせんとや」で「ひとこと」と称して毎日書いているようなスタイルというのは、知らず知らずこの「算私語録」のスタイルになってきているなと改めて思いました。取り上げている話題の面白さの方向もおそらく似ていますし。

 久々に読んでみて、いくつもアイディアを刺激される話がありました。またご紹介したいと思います。

 この「算私語録」、確かその後「その3」くらいまで出ていたような記憶があるのですが、手元には「その2」までしかみつかりませんでした。

 <おまけのひとこと>
 さて、昨日の「親子の問題」、二人の男性がお互いに相手を自分の息子だと呼んでいるという話ですが、すぐには答えは書きませんがちょっと解説(ヒント)を書きます。







ちょっと間をあけて…







 二人が互いに生物学的に自分の子供であるという状況はありえないので、少なくとも一方は「義理の息子」ということになります。では、自分の父親が自分の義理の息子になるという状況というのはどんな場合でしょうか?




10月22日(火) 地球の水

 昨日ご紹介した「算私語録」という本の中で、『おかしなデータブック』R・ハウイング著 金子 務 訳(朝日新聞社)という本が紹介されており、その中からの引用として

コロンブスの水分子
 「コロンブスが洋上にコップ一杯の水をあけて、もういまではすっかり世界中の海と均等に混ざり合っていると仮定すれば、どこか手近の水道蛇口をひねるか井戸の水を汲み上げたときのコップ一杯分の水には、もともとコロンブスのコップにあった水分子を250個ぐらいは含んでいることだろう。」

 と書かれていました。さてここから逆に、この著者は世界中の水の量をどのくらいと見積もっているんだろうと思って概算してみました。

 正確な数値である必要は全くないので、一応アボガドロ数(1モルあたりの分子の数)を6×1023として、水分子なので、アボガドロ数個の水の重さを18gとします。計算が楽なように、コップ一杯を180ml=1.8×10-4立米とすると、コップ一杯の水の分子の総数は6×1024と近似できます。この数と250個との比が、コップ一杯の水と世界中の水の量との比に等しいということになるので、計算するとおおよそ4.3×1018立方メートルの水が世界中にあるという見積もりになります。

 …と言われてもこの数字が妥当なのかどうか想像がつきません。そこで別の方法で検証してみようということで、海水の体積を計算してみることにしました。ここで使えそうな知識は、地球の一回りがほぼ4万キロであるということ、地球の陸地と海の比はだいたい3対7だ、ということ、さらに海の平均の深さはだいたい5000メートルくらいだ、ということです。

 以上の知識から非常に荒っぽい計算をすると、地球の海水の体積はおよそ2×1018立方メートルという結果になりました。一応オーダーとしてはあっていました。

 <おまけのひとこと>
 記憶を頼りに手計算したのですが、一番心配だった数字が「海の平均の深さ」です。理科年表に載っていましたっけ? 後で調べてみよう。




10月23日(水) お金の問題

 「時そば」という有名な落語があります。あれは聴衆の誰もがあの「詐欺」の手口が理解できないと笑ってもらえないので、とてもわかりやすく話されます。 ところが単純な足し算・引き算や等価交換をしているだけのお金の話であっても、いとも簡単にだまされるということがあるので気をつけないといけません。有名な例ですが、2つほど挙げます。

お釣りの問題
 3人の友人が旅館に泊まり、それぞれ1万円ずつ、あわせて3万円支払いました。三人は相部屋を希望したので、旅館の主は5千円を払い戻すようにと部屋係に渡しました。しかし部屋係は2千円をくすねてしまい、客に千円ずつしか返しませんでした。
 こうして3人は9千円ずつ、あわせて2万7千円支払いましたが、これに部屋係がくすねた2000円を足しても2万9千円にしかなりません。残りの1000円はどこに消えたのでしょうか?

 飲み会などで、事前に集めたお金から残金を分配するような場合があります。たとえば女性や新人などの会費を安くするなど、人によって金額を変えたり、誰か(偉い人)が余計に支払ってくれたりした場合など、酔った頭で誰にいくら返すべきか話していると、妙なことを言い出す人がいたりして面白いです。

両替詐欺の問題
 ある男が350円の買い物をしました。男は5千円札を出したので、お釣りを4千と650円返しました。男は小銭をポケットにしまうと、もう1枚千円札を取り出して、この千円札5枚を5千円札に両替してもらえないだろうか、と言いました。そこでさっき受け取った5千円札を取り出すと、男はすかさず「その5千円札と、手元の千円札5枚のかわりに1万円札にしてくれ」と言いました。
 うっかり言われたとおり1万円を渡してしまうと、いくら損することになるでしょう?

 これは実際にイタリアだったかで詐欺師グループによって使われた手口なのだそうです。お店のレジなどで「両替お断り」などと書かれているところをよく見かけますが、両替というのは贋金の問題があったり、こういった詐欺の問題があったりするため、気をつけないといけないもののようです。確かにこの詐欺、上手にやられたら私など簡単にだまされてしまいそうです。 親切に両替してあげたつもりがだまされたと気がついたらどんなにいやな思いをしただろうか、とだまされたお店の人に同情します。

 この例の場合は、男が実際に払ったお金は、最初の5千円札と後で取り出した千円札だけです。それに対して受け取ろうとしているのは350円の品物と650円の小銭と1万円札です。すでにお店のものになった5千円札を、あたかも自分のものであるかのように誤解させて、それを両替に使おうという手口です。どうかだまされぬよう、またもちろん悪用せぬようお願いします。

 古いモノクロの映画で「ペーパー ムーン」というのがあります。この映画で、子役のテータム・オニールが、確かお札にメッセージを書いておくという手法の詐欺を見せていたような記憶があります。 これも「お店のものになったお札を自分のものだと主張する」という点で、上記の詐欺と共通点がある手法です。こう書くと悪い話のようですが、(ま、もちろん詐欺は悪いんですが) 好きな映画でした。

 <おまけのひとこと>
 昨夜ついに上の子に、6枚落ち(飛車角香桂落ち)で将棋に負けました。1手違いでした。だいぶ指せるようになってきたなと感心しましたが、自分でも意外なことに子供に負けてちょっと悔しいと思ってしまいました。(笑)




10月24日(木) ルーレット

 ニコリというパズル雑誌に連載されている、芦ヶ原伸之さんの「パズル病棟日誌」というコラムがあります。いつも面白い話題が多くてとても楽しいのですが、確かこの中に以前「幸運のコイン」というような話があったように記憶しています。

 コインをピンと弾いて投げ上げて、受け止めてすばやく手のひらで隠し、「表か裏か」で勝負するコイントスという遊びがあります。幸運のコインというのは、投げたときに確か12回連続して表が出たコイン、と説明されていたと思います。確か何千個かのコインの中から選別されたコインだとのことでした。

 この話を読んだとき、最初はこのコイントスのイメージが頭に浮かんで、12回連続して表を出すコインに出会うまでにどれだけ時間がかかったのだろうと思いました。 実はこれはそういう方法で選別されたコインではなくて、最初に用意したコインをじゃらっと床にぶちまけて、表が出たコインだけを拾う、という操作を12回繰り返して生き残ったコインなのだ、という説明になっていたと思います。

 この話をなぜ思い出したかというと、先日ご紹介した安野光雅著「算私語録」に引用されていた 「モンテカルロのルーレットの歴史の中で、偶数の目が連続した最長記録は28回」 という記述を読んだのがきっかけです。こちらは幸運のコインと違って、並列に処理するといってもたかが知れていますからきわめて珍しいことに違いありません。

 このルーレットは、それ以前もそれ以後も特に偏った目を出すアンフェアな装置だという扱いになったわけではなかろうと想像します。幸運のコインの方もおそらく特に表が出やすいコインというわけではなくて、1回投げるたびに生き残るコインがだいたい半分になっていくわけですから、もともとのコインの数が十分多ければ、10回でだいたい1000分の1くらいが生き残っているはずですから、12回連続して表が出たコインというのはなんら不思議ではないなと思います。でも、話のネタとして「このコインは12回連続して表が出たんだよ」といって見せびらかすというのはとても楽しそうですが。

 ところで、仮にコインの幾何学的形状を変えてもよいとしたら、コインをどのように加工すると表が出やすくできるのでしょうか。問題をきちんと定義できないのですが、たとえばもともとのコインを密度が一様な薄い円柱だと近似して、その一部を削ることだけができるとした場合、どのように削ったら表・裏が出る確率を最も偏らせることができるのでしょうか?

 <おまけのひとこと>
 ルーレットで28回連続して偶数が出たときには、その途中で偶数に張った人、奇数に張った人はどんな思いで結果を見守ったのでしょうか。今度こそ、今度こそと奇数に張って自滅した人とかはいなかったのでしょうか。インチキだと抗議する人とかはいなかったのでしょうか。29回目に偶数に張った人はいたのでしょうか。




10月25日(金) コンピュータ・チェス

 先日、チェスの世界チャンピオンであるウラジミール・クラムニク氏(27歳)と、ドイツ製チェス・コンピューター『ディープ・フリッツ』(Deep Fritz)の8回にわたる対戦が行われ、引き分けになったのだそうです。(こちらから全棋譜がダウンロードできます。)これに関して Hotwiredに載っていたいくつかの解説記事を興味深く読みました。

 対戦の概要に関しては“人間対コンピューターのチェス対決を検証する”という記事がわかりやすいですし、“人間対コンピューターのチェス対決から知能の本質に迫る”という記事では、研究者のコメントなどを紹介していて面白いです。

 この中で、“Man .vs. Machine : the Experiment”(人間 対 機械 : 実験)というシンポジウムの話が出ていました。 個人的な感想ですが、ある特定の単純に定義できる機能に特化してみると、機械のほうが速いし正確というものはいくらでもあると思います。たとえば平らに舗装された道を速く走るなんていうのは、人間では自動車には到底かないません。

 たとえば自動車や飛行機というのは、車輪とエンジン、プロペラと翼といった原理で動きますが、これは自然界の動物や鳥や昆虫が走ったり飛んだりするのとはかなり違っています。でも機能としては真似ている。自動車や飛行機というのは環境が整っていればとても速くて効率的です。でも自動車はそのまま岩山には登れないし、ぬかるみや砂地にも弱い。飛行機もかなり長い滑走路がないと離着陸できないし、悪天候や乱気流にも弱いです。

 チェスのプログラムというのも、非常に限定されたルールの世界だからこそ世界チャンピオンと対等に勝負できるレベルになっていますが、これは自動車と人間が道路で徒競走するようなもので、いずれはコンピュータが勝つに決まっていると思うのです。(ここでいう「いずれは」というのは、研究が進めば、という意味でもありますし、競争する距離が長くなれば、という意味でもあります。)

 たとえば、先日寝転んだ状態から自分で立ち上がれる人間型ロボットというのが話題になっていましたが、人間の身体の動きを真似るというロボットの研究の世界では、やっとまだそのレベルです。自動車や航空機の開発はもちろん、チェスコンピュータやロボットの開発も、それぞれの技術はとても面白いしたいへんすばらしい成果です。 でも、知能ということを考える上で、まだまだ「人間 対 機械」なんていう比較が成立するステージではないのではないでしょうか。

 <おまけのひとこと>
 それにしてもチェス・コンピュータは「ディープなんとか」という名称がすっかり定着しているのですね。といっても私が知っているのは「ディープ・ソート」(これは sort ではなくて thought)、「ディープ・ブルー」、そして今回の「ディープ・フリッツ」くらいですけれども。




10月26日(土) 「黄金分割」

 日本評論社から最近(2002年9月に)出版された「黄金分割」(ハンス・ヴァルサー著)という本に、菱形多面体を帯で編む話が載っていますよ、という情報を、つい先日いただきました。さっそく購入手配中なのですが、教えていただいた方がご親切にもその部分(p.111 6.3.2節 立方体と菱形12面体に対する組みモデル)のページをコピーして下さったので、本が届く前に見せていただくことができました。

 菱形十二面体・菱形30面体を帯で編む話にはじまって、9月2日にご紹介した長菱形十二面体や、9月7日にご紹介した花形十二面体(本では菱形星状体と訳されていました)なども菱形が連結した帯で編まれていました。

 本の記述の中に、OHPのシートを使って編むと美しい、特に4本の帯で編むものに関しては、1枚を透明にして残りの3枚を3原色にすると、すべての2色の組み合わせが表れてすばらしいと書かれています。口絵に写真があるそうで、本が届くのがそれはそれは楽しみです。

 <おまけのひとこと>
 この本の情報と並んで、別冊サイエンスのマーチン・ガードナー著「数学ゲーム II」の中の6.織って作る多面体についても教えていただきました。こちらも大変面白いです。またこのあたりの模型を作りたくなりました。




10月27日(日) 山本夏彦

 今朝の新聞を開いたら、コラムニストの山本夏彦氏が亡くなられたという記事が出ていました。氏のコラムは昔から愛読していました。手元にあるのはほとんどが文庫本ですが、ぱらぱらとめくってみては止まりません。

 とりあえず google で検索してみると、いの一番に山本夏彦研究サイト「年を歴た鰐の棲処」というのが出てきました。思わずこのページも読みふけってしまいました。

 高校1年生のときの「政治経済」の科目の夏休みの宿題として課題図書が100冊挙げられ、そのうちの50冊についてレポートを10月1日までに提出せよ、という課題が出されました。レポートの分量は1冊当たり原稿用紙1〜2枚以上、100冊のうちどの50冊を選ぶかは各自の自由、というものです。これは私の通っていた高校(地方の県立高校です)では毎年恒例だったそうで、課題が出される7月ころになると、リストに挙げられた100冊が小さな街の本屋さんに平積みされます。

 たとえば岩波文庫の「自由論」とか「共産党宣言」とか「国家と革命」とかいう古典があったかと思うと、その時代の流行を反映するような、たとえば山口百恵の「蒼い時」とかが入っていたり(ご存じないですよねきっと)、曽野綾子の「太郎物語」のような小説が入っていたり(これはそれ以前から好きでした)、あるいは中根千枝の「タテ社会の人間関係」とか、後に批判本が出て話題になったベンダサン(?)の「日本人とユダヤ人」とか、ガルブレイスとかトフラーとか、その時代のそれなりに有名な本もたくさん入っていました。

 この100冊の中に山本夏彦氏の本が2冊入っていて、とても面白く読みました。確か「毒語独語」「茶の間の正義」だったと思います。それ以来、店頭で山本夏彦の文庫を見かけると必ず買うようになりました。山本夏彦氏の訃報に接して、こんな昔話を思い出しました。

 <おまけのひとこと>
 昨日は久しぶりに更新を1日お休みしてしまいました。今日も山本夏彦の本をめくっていたら、気がついたら遅い時間になってしまっていました。




10月28日(月) 球面の鏡の内部

 4月3日のひとことで、球面の内部を全部鏡にして、中に3色の三角形を入れてみた画像をご紹介しました。先日これについての感想をいただいたので、もう少しデータを掲載しようと思います。 下の左の画像は前回ごらんいただいたものそのもの、右の画像は同じ状況で視点と見る方向だけを変えて、ちょっと視野角も変えてみたものです。

 上記の画像を生成した POV-Ray のソースを添付します。(上の右の画像は、angle を 150に変えています。)このソースの中に clockという変数が出てきていますが、これが POV-Ray を使ってアニメーションをするときに時間経過を表すパラメータになります。

 ソースはとても簡単で、必要な宣言をインクルード(include)し、光線を追いかける反射回数の上限(max_trace_level)を大きくし、カメラ(camera)の位置を決め、光源(light_source)を3つ定義し、球(sphere)を置き、棒(円柱:cylinder)を3色で作る、とこれだけです。

#include "colors.inc"
#include "metals.inc"

global_settings {max_trace_level 50}

camera {
    location <-clock*1, 1-clock*2, 1-clock*2>
    look_at <0,0,0>
    angle 160
}

light_source { <2, 0.5, 1> White }
light_source { <2.1, 0.5, 1> White }
light_source { <2, 0.55, 1> White }

sphere { <0,0,0>, 10
	texture { F_MetalE }
}

cylinder { <4,0,0>,<0,4,0>, 0.3 pigment { color Red } }
cylinder { <0,4,0>,<0,0,4>, 0.3 pigment { color Blue } }
cylinder { <0,0,4>,<4,0,0>, 0.3 pigment { color Yellow } }

 なお、このソースを+KFI0 +KFF40というオプションで POV-Ray で実行したものをaviファイルにしてみました。p_mov001.avi(721kB)です。サイズが大きくてすみません。aviファイルであれば、たとえばWindows環境であればメディアプレーヤーといったソフトウェアで、スライダーを操作したりカーソルキー(矢印キー)を操作したりすることによって、自在にムービーの時間軸を行ったり来たりさせることができて便利かと思ってこのフォーマットにしました。

 <おまけのひとこと>
 ムービーのデータが大きいので「あそびをせんとや:分室」に置かせてもらっていますが、分室のほうにはまだ解説を書いていません。ちょっとまずいかな。
 こういったコンピュータで生成した画像を掲載するときはいつも思うのですが、ファイルサイズの関係で圧縮して小さくしているため画像が美しくありません。 POV-Ray が使える環境の方はぜひ上記の簡単なソースを実行して、大きな画像でごらんいただくともっと感動できるかと思います。




10月29日(火) CAST O'GEAR

 先週末、近所のお店のお客様感謝セールで文具・玩具コーナー全品2割引というのをやっているというので、確かはなやま玩具のキャストパズルを置いていたはず、と見に行きました。 キャストパズルは現在20種類くらい出ていると思うのですが、そのうち気に入った5種類ほどを持っています。

 今回は、あったら買おうかなと思っていたものの1つ、CAST O'GEAR(キャスト オーギア)があったので買ってきました。

 5つの突起のついた星型のパーツと、各面に十文字に切り欠きの入った立方体の組み合わせが美しいです。1つの突起だけが常に立方体の面にはまりながら、立方体の各面を巡ってゆく動きがたいへん巧妙です。突起は回転するような動きでしかはずすことはできないのですが、その動きによって隣の突起が隣の面にはまるようになっています。

 キャストパズルは、きわめて微妙なアナログ的な寸法の違いや操作によって解けるものも多いのですが、この O'GEAR はディジタル的に解析できるものです。そのため理屈がわかってしまえばそれほど難しいパズルではありません。でもそれは欠点ではなくて、逆にその点が気に入っています。

 とりあえず10分ほどいじっていたらはずすことはできました。元に戻すほうはもう少し簡単でした。でもまだ自由自在にというわけにはいきません。

 <おまけのひとこと>
 昨日から今朝にかけてかなり寒いです。なんでも12月くらいの気温なんだそうです。昨日帰宅して、あまり寒かったので今季はじめて暖房を出しました。
 職場と自宅の間は、距離にして20km弱、標高差が200mほどあります。といっても1kmごとに10m高くなるわけではなくて、職場から15kmほどの川沿いのルートで50mくらい標高があがって、最後の5kmで150mくらい一気に高くなります。この上り口のところ、標高約800mのところに電光掲示の温度表示があります。 (路面の凍結を警告するためのものだと思います。) 昨日の帰りに表示を見たら4度でした。ということはうちのあたりは3度くらいか、と思って帰りました。




10月30日(水) レンガ積みの問題

 先日、メールでこんな問題を教えていただきました。

 同じ大きさのレンガをもっとも短い辺が高さになるように縦に積み上げていきます。縦に積み上げるというのは 同じ高さにあるレンガは1つだけということです。
 ある高さまで積み上げたとき、真上からみると 一番上のレンガは 一番下のレンガから完全にはみ出していました。さらに、一番上のレンガの真ん中に レンガ100個と同じ体重の人が乗りましたが、崩れませんでした。こんなことは ありうるでしょうか?

 じつは可能なのです。

 これは、ドナルド・クヌース(D.Knuth)というコンピュータ科学の神様のような人が何人かの共著者の方と書いた本に載っていた問題なのだそうです。(とあるページでは、Knuth のことを「数学におけるガウスのような存在」と説明していました。)

 この問題、最初の条件である「水平投影面上では、一番下のレンガと一番上のレンガはまったく重ならない」というところまではまあ実現できそうなのですが、2番目の、レンガ100個分の重さをかけても大丈夫、というところがよくわかりません。

 昨日のお昼休みに、たまたま3人でお昼ご飯を食べているときにちょっとこの話題を出してみました。

T氏 「レンガの形に関する条件はあるの?」
私  「いや、多分直方体で密度が一様という以上の条件はないと思う。でも立方体だと無理な気がする。」
M氏 「レンガを積んでいく途中では、常に安定しているのかな?」
私  「というと?」
M氏 「だから、たとえばアーチみたいに何かかなめのパーツで初めて安定するようなものかな?」
私  「そう、多分やじろべえみたいに、複数段積んだところで初めて安定する仕掛けじゃないかと思う。」
T氏 「じゃあさ、角材みたいにものすごく長いレンガだったとすれば、一番下の部品を梃子の支点にして、2番目はそれと直交させて思いっきり端に載せて、支点から近いほうの腕の先に100本の角材を積み上げればバランスするんじゃない?」
私  「なるほど、モビールみたいなものか。」
T氏 「そうそう、カタカナのの字みたいにね。」
M氏 「でも100個を載せる前と載せた後でどっちもバランスしていないといけないんでしょ?」
私  「じゃあ予めものすごくたくさんのパーツでバランスさせておいて、その後で高々100個分の力が加わっても、重心の移動が一番下の支点のパーツの角材の幅の範囲に収まるようにすればいいのかな?」

 …少なくともこれが正解ではないと思います。もうちょっと考えよう。

 <おまけのひとこと>
 ZDNet「歩き方」で人を識別できる――?という記事が載っていました。 たとえば飼い犬などは、100m以上はなれたところから主人の足音を聞き分けるそうです。人間でもそういう能力を持った人がいて、先日、10人くらいの会議のときに、私ともう一人と二人だけが開始時間ぴったりに階段脇の会議室に入ったときのことですが、彼が階段の足音を聞くだけで次々と「あ、○○さんが来た」「あれは別の階に行く人だ」などと言い当てるのです。結局後から来た8人全員の足音を聞き分けていました。この8人のうち半分以上は年に数回しか会わない人のはずなのに、百人以上の人が入っている建物で、売れっ子の管理職で多くの人に会う多忙な彼がよくもまあ足音だけで誰だかわかるな、とつくづく驚きました。




10月31日(木) fortune

 fortune cookie (フォーチュン・クッキー)というクッキーがあるんだそうです。これは、クッキーのおまけとして、面白くてためになるような格言のようなものがついている商品なのだそうです。(本物を見たことがないのでどんなものだかわかりませんけれども)

 Linux や FreeBSDなどの多くのUNIXで動作するプログラムに、fortune というものがあります。一応これはゲームのプログラムに分類されているのですが、実行するたびにフォーチュン・クッキーのおまけのような格言を1つ表示するというものです。これは何もコンピュータが考えて作り出しているわけではなくて、予めもっているデータベースから無作為に選び出して表示します。 たとえばコンピュータにログインしたときに自動的に実行するようにしておくと、「今日のひとこと」といった風に毎日違ったメッセージが1つ表示されます。

 最近またLINUXを使う機会が増えてきたので、毎日このfortuneのメッセージを読みます。このメッセージは英語なものですから、多少は英語の勉強にもなるかななどと思っています。このところ出てきたもののうち、ちょっと面白かったものを記録してあるので、ご紹介します。(私が適当に意訳しています。)

"I don't believe in astrology. But then I'm an Aquarius, and Aquarians don't believe in astrology."
-- James R. F. Quirk


「私は占星術を信じません。でもそれは私が水瓶座だからで、水瓶座の人というのは 占星術を信じないのです。」

 これは、「『全てのクレタ人はうそつきである』と、あるクレタ人の男が言った」というような古典的なパラドックスを思い出させます。

Hurewitz's Memory Principle:
The chance of forgetting something is directly proportional to ..... to ........ uh ..............

フルヴィッツの記憶の原理
どうして「物忘れ」をするか、それを明らかに示す指標が、えーと、うーんと、何だっけ…

 かなり意訳しています。翻訳は難しいです。

I doubt, therefore I might be.

私は疑う、ゆえに私は存在するのではなかろうか。

 これはもちろんデカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り」(元は “cogito, ergo sum”英語だと I, myself, exist, because I think. という英訳をみつけました)のパロディーです。昔、「正確には『われ思うとわれ思う故に、われ在りとわれ思う』だろう」というのをどこかで読んだ記憶があるのですが、どこで読んだのか忘れました。

 <おまけのひとこと>
 昨日のレンガの問題に関して、コメント、というか大きなヒントをいただきました。ご紹介します。

レンガはもちろん水平です。さらに 真ん中の長さの辺はすべて平行で、
長辺は手前側と奥側でそれぞれ同一平面内、つまり、
        ______
     __[______]
   _[______]
  [______]
 [______]
[______]

というような図で表されるものとおもってくださってかまいません。

ちなみに上に人が乗ることを考えず、上記のように ただレンガだけを
積んでいくとき、一番上と一番下はどこまでずれることができるでしょうか?

正確にいうとn段積むとき、一番上と一番下の最大のずれをAnとおくとき、
nが無限大になるとき Anはどうなるでしょう?

#レンガの厚み(高さ)を無視して考えてみてください。

よく知った級数が現れます。

 ちゃんと問題を定義して考えないといけないな、と思っていた矢先だったので、崩れない条件を すべてのkに対して、k番目のレンガから上全体(k番目を含まない)の重心がk番目のレンガの水平投影面内にある として解いてみました。 すると、思いがけない答が出てきました。自分の前提や計算を疑ってしまいました。

 上記のヒントで、ぜひ解いてみることをお勧めします。重心の計算にせよ級数にせよその極限にせよ、高校の数学の知識で解けます。この結論の面白さをぜひ味わっていただけたらと思います。 自分の計算結果の意外さにこんなに感動したのは久しぶりです。(テキストで描かれたこのヒントの図がまた絶妙です。)



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