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【 体験して分かる冬の別荘生活とは 】


 さて、今回おくる3題材「湿った大雪が降ると・赤松の大木が降ってきた・停電は恐ろしい」は2002年の冬12月の実際の出来事です。


 第 4 回 湿った大雪が降ると・・・

 この日は朝から東京も寒くどんより曇って今にも雨か雪が降りそうでした。今回のお山行きの目的はクリスマスパーティーの開催とその準備でした。
 
 調布インターチェンジから中央高速に乗り八王子付近からは雪が降り始めていました。いわゆるボタン雪と呼ばれる大きな粒の雪が舞い始めていました。

現地の友人から入った携帯電話情報によると
、八ヶ岳富士見高原ではあっという間に20pの積雪で車の走行にも支障をきたしており、お山に来るなら早い内に来た方が無難であるとの連絡が来ました。
 それでもその時はまだ緊迫感など全くなくスキー場へ出かける観光客気分でお山に向い雪の降る中央高速を快調なペースで走っていました。
 
 富士見高原への出口、小淵沢インターへ近づくと流石に積雪量も多くそれでも幹線道路はすでに除雪車が入り走行には問題ありませんでした。
 ですがここで気が付いたのはいつもと違う雪景色です。
 それは湿った重い雪質のため木々が折れ曲がったり、枝が垂れ下がっておりただ事ではない森の風景になっていました。
 
 富士見高原の別荘地へ上がっていくと更に景色は一変していました。

    
        
   
 積雪は30pを超えそうな勢いで重い雪質の大きな粒の雪がひっきりなしに降ってきていて視界も良くありません。そしてなんと我が家の入り口の付近の木々が積もった雪の重みで枝が撓って来て車の走行に今にも支障が出そうでした。
 そこを迂回し何とかお山の家に到着した頃には日も暮れ始め、降り続く雪にロマンチックな感傷など抱いている状態ではなく、このまま降り続けば道路に木々が倒れてきて車の出入りが出来なくなりそうで心配でした。

 そこで早速管理事務所に電話を掛けると緊迫した事務所内の雰囲気が伝わって来ました。

 「今晩一晩はこのまま降り続きそうなので、緊急な用事がない場合は東京へ引き返した方がいいです。避難してください」との一言にこれはただ事でないと感じ始めました。

 そこですでに現地入りしていた友人に携帯電話で連絡を取り、状況について随時相互に連絡を取り合いながらとりあえず明日のクリスマスパーティーの決行の有無について判断していきましょうということになったのでした。
 そのお宅は富士見高原の冬をにすでに6年間経験しており大雪対策についてはある程度経験があったのでとても心強く感じられたのです。

 心配だったのは降り続く湿った大雪のために道路が寸断されるのではないかということと、我が家の入り口付近の木々が倒れかかっており車を避難させる必要があるということでした。
 その時はすでに40p近く積もっていて車の走行にも支障をきたしていました。いくら4輪駆動のスタッドレスとはいえ走行には限界があります。
 
 除雪車が道筋を確保してくれるまでとりあえず倒木の恐れがあった場所から避難させ幹線道路脇に車を止めに出かけることにしました。するとあたりはもうすでに薄暗く雪明かりのみが頼りのなんとも心許ない状況でした。



 第 5 回 赤松の大木が降ってきた・・・

 そして車を止めた幹線道路から我が家まで歩いて戻る最中その事件は起こりました。
 何となく微かに叫び声が聞こえたのです。でもそんなに気にとめていませんでした。
 ですので始めは何の音なのか、声なのか分からず、我が家までの僅かですが道のりを大雪にまみれながら歩いていると、再びその声が聞こえたのです。

 今回のは、はっきりとした叫び声でした。
 家にちかづく程にその叫び声は大きくなり、ただ事ではないことが分かり始めていました。

 家の前まで戻ってくると大雪に埋もれた我が家がひっそりと建っていて室内の明かりが周囲を照らし何ともロマンチック。 なかなかいい感じと眺めていると、「家に雷が落ちた!地震があった!爆発音があり家が揺れた!」と恐怖の叫び声が妻から発せられ、大変なことが起こっているとあわてふためいておりました。
 
 ところが薄明かりの中我が家を見てもいつもの風景で、変わった様子はありませんでした。
 
 でもなんかちょっと様子が変と感じたのは屋根から赤松が生えていたことです。裏に回って見てみるとこれは大変です。お隣の敷地の直径40p高さ30m程の赤松が地上10m程のところから折れ、我が家の屋根に突き刺さるように乗っかっていました。
 落葉しない赤松の枝に積もった雪の重みで直径40pもの大木が折れたのでした。屋根瓦や木々が散乱し被害状況は全くつかめません。

 
               
 
 早速工務店さんに連絡し建築大工さんにみてもらうことに手はずを整え、待つこと30分ほどで棟梁さんがやって来てくれました。
 外見と屋根裏と薪ストーブ煙突を点検して頂いて、屋根の張りの一部は破損していまっているが居住には耐えられるとのことでひとまずは大丈夫との見立てに一安心でした。

   
       
 
  早速に修理の手はずを整え、てきぱき要領の良い対応でクレーン車から何から何まで修理の手はずを整えて帰られました。
 このようなときはやはり地元の大工さんに建ててもらった強みがあります。
 安心感はこのような時に感じるものと納得してしまいました。




  第 6 回 停電は恐ろしい・・・


 というわけで、とりあえずお風呂にでも入って落ち着こうということになり一風呂浴びていたところ、今度は突然真っ暗になり再び妻の叫び声です。
 私は浴槽に浸かったままキョロキョロ。その内停電は回復するだろうと多寡をくくっていました。
 蝋燭でお風呂にはいるのも何となくいい感じ、気分良く風呂から上がったら、赤々と燃える薪ストーブがこれがまたいい感じです。停電に薪ストーブは似合います。

 しかし、こんな悠長なことを言っている場合ではありませんでした。1時間経っても2時間経っても停電は回復しません。
 明かりは蝋燭と薪ストーブで何とか凌げました。夕食も薪ストーブクッキングで難なく解決。
 
 一見ロマンチックな夕食風景でしたが、よく考えてみると薪ストーブの無いお宅や、オール電化住宅のお宅、そしてお年寄りの1人住まいのお宅と富士見高原では永住されている方も多いので心配になって来ました。
 知り合いのお宅数件へ携帯で連絡を取りつつ無事を確認していきました。
 大雪の高原での停電は「暖」の問題が生死の問題になってしまいます。
 FF石油ストーブやプロパンガスストーブは電気がないと使用できません。薪ストーブなら薪さえあれば何も問題なく焚けていろいろなことに重宝に使えますが、薪ストーブの無いお宅やオール電化住宅では大変な問題にまでなってしまいます。

 このようなことが起こると、ライフラインを一本化にしてしまう恐ろしさを痛感させられました。
 東京の暮らしや、観光で雪国へスキー旅行に出かけるのではない「生活の中の雪国」の雪の恐ろしさをしみじみ感じたのでした。
 更に困ったのは停電で携帯電話を使い放題使っていたのですが、充電が出来ないことを忘れていたことでした。
 これには動揺しました。唯一の情報伝達手段が使用不能になるのは「恐怖」を感じました。
 幸い管理事務所は停電していませんでしたので、管理事務所まで現在の状況と充電をお願いしに出かけようと思いました。

 服装はまさに完全武装スキーウエアーに目だし帽子、そしてヘッドライトを頭に付けて車のところまでいくのにはまさに雪山登山のラッセルさながらに這うように出かけていきました。

 車は雪にすべて覆われ小山状態と化し、除雪しながらの走行は大変な思いと恐怖を感じました。
 何しろ1人で運転ですのでスタックしたらそれでおしまいです。
 緊張の連続に疲れはてながらもなんとか管理事務所までたどり着くと、事務所内も大わらわでした。
 別荘地内の滞在者宅の確認と除雪順位との兼ね合いを調整しつつ、中部電力さんとの停電対策に追われていました。
 電線が数カ所で切断されており、停電の回復は別荘地域内でもまちまちで、いつ全体が復旧するのかの目途が立たないとのことでした。そこで、とりあえず携帯の充電を頼みつつ、私達が別荘に滞在しているので道路除雪順位を優先してもらいたいこと、そしてお隣の敷地の大木が屋根に落ちてきて大変なことになっているため隣地のオーナーさんへ連絡をしてほしいこと、更に脱出用に車を幹線道路沿いに置いておくので了解してほしいことなどを告げて帰路につきました。

 ところがますます降り続く大雪で視界はほとんどありません。
 我が家で待つ妻も心配していると思い、我が家の近くの幹線道路に着いたときには車のヘッドライトを点滅させ無事であることを伝えようと、何回もクラクションやライトを点滅させたのでした。
 来た道を再びラッセル状態で帰宅するとなんと信じられないことに妻は眠っていました。
 私1人が大雪の中ラッセルしスタック寸前の車を何とか走らせながら管理事務所に行っている最中、眠って待つ妻の度胸に大雪以上に驚かされたのでした。

 そして、結局翌日の夕刻まで停電は続きましたが、友人宅の停電は早期に回復したためクリスマスパーティーも大いに盛り上がり楽しい一時を過ごすことが出来ましたが、雪の怖さと女性の強さを知る良い経験になったのでした。

 では、次回は「 第 7 回 生活の中の雪国とは・・・ 」をお送りします。