弘法大師空海

真言宗の開祖 弘法大師:空海

大日如来が本尊で即身成仏が大切な教えとされており、そのために必要な修行が、本来持っている仏心を呼び起こす「三蜜」であり、自身の「身=体の行動」、「口=言葉」、「意=心」の3つを整えることが欠かせない説かれています。

東洋のレオナルドダヴィンチこそ空海、僧侶でありながらアーチストの実像に迫まります。

仏教の普及に多大な貢献をした空海ですが、香川県にある満濃池の技術指導(土木治水対策)をしています。水圧に対してのアーチ型の堤防は現在でも利用されています。また、中国語やサンスクリット語にも造詣が深かったことで書道や仏像・仏画の美術の発展にも寄与したとされています。

空海は774年(宝亀5年)6月15日、讃岐国(香川県)多度郡屏風浦の「善通寺」(善通寺市)で生まれた平安時代の僧侶で諡号(しごう)は弘法大師。唐から真言密教を持ち帰って真言宗を開祖し、高野山金剛峰寺を開きました。

善通寺は、香川県善通寺市にある寺院、真言宗善通寺派総本山です。本尊は薬師如来で四国八十八霊場の第七十五番、真言宗十八本山一番札所とされ、和歌山県の高野山、京都府の東寺と共に弘法大師三大霊場に数えられます。

774年 平安時代に四国讃岐で出生、20歳で出家し僧侶として修行に入り、室戸岬で荒行を行った後に自らを空海と名乗り、31歳で中国 唐に渡る機会を得て長安へ

805年 32歳で真言密教に出会い、僧の恵果(けいか)の弟子となり、唐で2年過ごした後に京都の高雄山寺(現在の神護寺)に入り、嵯峨天皇の書を受けて真言密教の布教活動を開始したとされます。

真言宗総本山で世界文化遺産、東寺の講堂には曼荼羅(密教の教えを絵や文字で表現したもの)を仏像で表現した立体曼荼羅があり、五智如来像(如来部)、五菩薩像(菩薩部)、五大明王像(明王部)、天部の四つから構成されており、以下の如来部5体、菩薩部5体、明王部5体、天部6体の全部で21体の仏像が配置されています。

如来部は大日如来像を中心に、周りには阿弥陀如来像、宝生如来像、不空成就如来像、阿閦如来像があり、五体の仏像から構成されており、五智如来と呼ばれています。これは宇宙は地・水・火・風・空の五要素からなるとする古代インドの考えに基づいたものです。如来は真理を意味しています。

菩薩部は金剛波羅蜜多菩薩像を中心に、金剛法菩薩像、金剛宝菩薩像、金剛業菩薩像、金剛薩埵菩薩像が配されています。菩薩とは悟りを求めながら如来の慈悲を以って衆生を悟りに導くものです。

明王部は不動明王像を中心に、軍茶利明王像、隆三世明王像、大威徳明王像、金剛夜叉明王像により構成されており、明王というのは密教独自の尊格で如来の化身を意味しており、煩悩を打ち砕き、迷いの世界から導いてくれます。

天部は仏教の守護神となったもので、立体曼荼羅では四隅を四天王である増長天像、持国天像、広目天像、多聞天像が、東西には梵天像と帝釈天像が守り神として配置されています。


また、日本一高い木造等の五重塔(国宝 54.8メートル))は江戸時代に徳川家光が再建奉納したものですが、大日如来に見立てた心柱を囲んで金剛界四仏像と八大菩薩像が安置されています。

809年 第52代 嵯峨天皇(24歳で即位)大覚寺、大沢池の菊が島に咲く一輪の菊を花瓶に挿された姿が「天・地・人」三才の美しさを備えていたことに感動し、「後世花を生くるものは宜しく之を以って範とすべし」と延べ、嵯峨御流(生け花の発祥)、芸術の「いけばな」が生まれたと言われています。

空海は国家・朝廷の援助がなければ新しい教えが根付かないと考え嵯峨天皇との繋がりを持つために唐の土産(名跡の筆)を朝廷に献上し、信頼関係を築き知名度をあげていきました。また、嵯峨天皇もよき話し相手としてカリスマ空海を手放せなくなり、東寺の造営責任者に土木・治水の見識者でもある空海(50歳)を任命し、東寺のトップとして60歳を前に東寺を離れることを決意し、高野山を手に入れ、真言宗の拠点となる密教道場、金剛峯寺を創建しました。

高野山は真言密教の聖地で117の寺院、52の宿坊がある一大宗教都市として開創1200年の歴史を誇ります。