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中道口留番所跡
富士見町の指定文化財で、江戸時代他領に通じる要所で主食の米や穀物の改めを行った場所で、穀留番所または口留番所とも言った。
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西国三十三ヶ所観世音像
西国三十三ヶ所観世音像が野仏で古道を見つめて安置されている。古道を人が通らなくなってから、三十三体の観音菩薩も人々から忘れられ、いつ造られたのか、どのような観音さまなのかも分からなくなってしまった。
昔の人々がこの付近を西国という遠いところまで出掛けなくても近くでお参りしてご利益を受けるところだった。
造立は「弘化三年(一八四六年)」
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王崎神社
王崎稲荷神社は加々見マキの祝神として「正一位王崎神社」としてある。「マキ」とは同族の集団をマキと呼び共同でユワイジン(祝神)またはユエイジンとよばれる神を祀り、そして本家・分家・同族間で農事、祭り、お祝い等を行ったという。 |
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殿様大門
「祭天知命」と刻まれた高さ1m65cmの大きな石碑が祀られている。これは江戸時代後期高島藩九代藩主・忠誠公から風除林を造るお許しを得たお礼に建立したと伝えらており、お祭りには前の広場で相撲大会などが行われていた。
[天知命(あめのうずめのみこと)とは、一般に芸能の神と言われている。
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熊野権現
旧円見山村の氏神さまで木の鳥居があり沢を下ると岩を背に熊野社の石祀があって、今も丁寧に祀っている。
熊野社の前は、那智川を思わせる滝となって流れ落ち、滝壺には深淵に臨む感を深くする。
この滝の正面に盤座といってもよいほどの大きな岩が続き、その中に石祀がある。
対岸には石祀があり熊野権現湧水の水神さまで近くから湧き出ている水が甲六川に流れ込んでいる。 |