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三江線 第1回 第2回 第3回
江の川眺めながら… 第3回
(01年11月の旅)
粕淵駅で異変が?
木路原(きろはら)、竹、乙原(おんばら)、粕淵(かすぶち)と、魅力あふれる小駅が続く。駅周辺にはかろうじて集落が形成されているが、そのほかの区間はあまり民家が見られない。なんだか、路線バスのような感覚で列車に乗っているという感じだ。
粕淵駅手前で、初めて江の川を渡る。そして、この駅で親子連れの団体がどどっと乗り込んできたのである。私の後方の席にいた学生が「マジかよ」と驚いた声を上げているところをみると、この団体はあくまでもレジャーのための乗客ということになる。おそよ30人ほどは乗ったであろうか、あれほど静かだった車内が一気にざわめく。私としても、せっかくのローカル線気分が一瞬のうちに吹っ飛んでしまい、なんとも恨めしく思った。が、三江線にすれば、久々の大量乗客なので、ささやかながら営業成績向上に貢献したといえよう。
浜原駅で同駅始発の列車が止まっていた。ようやく交換列車に遭遇したといったところだ。このあたりで少し江の川と別れ、山の中を走る。トンネルも長いものが出てくる。いくつかの駅を通り過ぎるが、相変わらず乗降客の姿はまばらである。ただ、列車内はざわざわと騒がしいままだ。
橋上駅として有名な宇津井(うつい)駅に到着。トンネルにはさまれた小駅であるが、うわさどおりのすごい高い位置に駅がある。しかも橋上なので両側からはるか下の集落を眺めることができる。レールウエイライターの種村直樹氏が国鉄時代のこの駅について記述した著書を読むと、この三江線が全通したとき最後にできた駅だそうである。今から25年くらい前のことで当時とすれば新駅ということになる。今でこそ、あちこちの第三セクターが高架路線を作っているため、駅にたどり着くのに階段を駆け上るという駅は少なくないが、当時としては珍しい駅の形態として評判になったようだ。ただ、今であってもこれだけ高い位置に駅があるのは珍しいだろう。
口羽(くちば)駅の先から再び江の川が車窓左手に戻ってくる。私のシートと反対側を流れている間、本来なら座席を移動して川を眺めるところであるが、くだんの団体によって座席が占拠されてしまっていたため、それもままならず悶々としていたところであった。このあたりの江の川は、瀬あり、よどみあり、岩も大きめなごつごつしたものが姿を現すなど、だんだんと変化していくのがわかる。
式敷(しきじき)駅で、この列車に乗って初めての列車交換が行われる。初めてというところにこの路線の閑散さを示している。見る限りでは乗客の姿はまばらであった。
日の入りが早いこの時期のため、だんだんと車窓が暗くなっていく。こうなってしまうと、もはやカメラで写真撮影することは不可能となる。したがって、ぼんやりと車窓を眺めているよりほかにすることがなくなる。
この列車が唯一通過する長谷(ながたに)駅にさしかかる。「この駅ひとつ通過したところで大勢に影響があるわけでもないし・・・」とも思ったが、よくよく周囲を見ても家らしいものはまったく存在しない。これでは通過されても仕方ないといった感じだ。三江線という超ローカル線のなかでも、とびきりのローカル小駅であろう。
三次のひとつ手前、尾関山駅まできて、ようやく列車が市街地にさしかかったことを実感する。そして、まもなく三次駅である。団体は正規の乗客数としてカウントせず、実際に三次に降り立った乗客は数人程度だったのではないかと思われる。三次駅での三江線の扱いはひどく、ホームの片隅に0番線として停車させられていた。むろん、この駅の本線ともいえる芸備線との連絡・接続とは無縁の位置にある。逆に考えれば、このホーム位置からすれば、いつでも第三セクター移行が可能、ということもうかがわせる。ともあれ、2時間40分の汽車旅がようやく終了した。