鉄道乗車レポートMENU> 鹿島鉄道 第1回 第2回 第3回
 

かしてつ最後の乗車記 第3回

(07年2月の旅)

のどかな雰囲気の桃浦駅

最後の乗車で石岡へ

  玉造町駅で列車を待つ。先ほど一緒の列車に乗ってきた中年男性もいつの間にかこの駅に戻ってきており、同じ列車に乗ることになった。このほかの乗客は地元の人が数人といったところ。マニアとみられる若者数人が待合室に入ってきたが、結局列車には乗らずに写真だけ撮って帰っていった。せめて列車くらい乗ればいいのにと思いながら、彼らを苦虫をかむ表情で見つめた。

 列車が鉾田方面からやってきた。今度は国鉄カラーの列車であり、懐かしさを感じさせた。列車に乗り込むと、例によって私は最後尾に陣取ったのであるが、この列車は運転席が車両いっぱいにとってあるため、最後尾の窓にへばりつくということができなかった。そういう車両の作りなのでしょうがない。

 玉造町駅からは霞ヶ浦沿いを走るこの路線でもっとも風光明媚なところである。駅名も浜、桃浦といった水辺にちなんだものが現れる。霞ヶ浦は日本で二番目に大きな湖だけあり、まるで海のような広がりを見せてくれる。常磐線からではほとんど霞ヶ浦を見ることができないため、鹿島鉄道が廃止されると車窓に霞ヶ浦が広がるという鉄道の旅にもピリオドが打たれることになる。

 小川高校下駅を過ぎ、常陸小川駅からは列車本数の多い区間に入っていく。と同時に、高校生たちがどっと乗り込んでくるなど、乗客がかなり増えてくる。この区間だけならひょっとして存続も可能なのではとも思わせるが、やはりトータルしての赤字はどうにもならないということであろう。近くにある百里基地の輸送運輸がなくなったことも影響しているとも聞く。

 やがて列車は静かに終点の石岡駅に到着する。JRのホームの一角を借りているため、終着駅の雰囲気というより乗り換え駅という感じがする。もし、郷愁を味わうのなら、この駅から列車に乗り鉾田駅で下車するほうが情緒的である。車窓が街中から霞ヶ浦沿い、そして内陸部へと変化に富み、鉾田駅の古い駅舎が待つというのはなかなかの列車旅といえる。ただ、それも今年3月末をもって83年の歴史を閉じるのである。

(おわり)

鉄道乗車レポートトップに戻る