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かしてつ最後の乗車記 第2回

(07年2月の旅)

芹沢鴨のふるさとで途中下車

 鹿島鉄道はゆっくりと鉾田駅を出発した。今の言葉ならフローリングというしゃれた表現になるが、早い話が古い木造の床。ロングシートに10人ほどのお客が座っただけであるが、私は廃線間近な列車を巡るときのパターンとして、最後尾にいつも陣取っており、今回も同じように最後尾で立つ。路盤もかなり荒れているし、列車も古いだけあってとにかく揺れるのである。メモを取るのも一苦労といったところだ。

 鉾田駅を過ぎ市街地を抜けると、うっそうとした丘陵地帯を走っていく。人家がほとんど見かけられないような林の中が多く、高い山が周辺にないことから、一瞬北海道を走るローカル線と勘違いしてしまうほどである。東京からそう遠くない首都圏の一角に、こんなのどかなローカル線があったことに驚きを感じていた。

 坂戸、巴川、借宿前という味わいのある小さなローカル駅を過ぎ、広い保線区がかえって寂しさを助長する榎本駅では、祖母と孫と思われる二人がじっと列車に見入っているのが印象的であった。次は私が途中下車する玉造駅。車内や車外の写真を撮ったり、思いにふけっていれば、時間などあっという間に過ぎ去っていく。

レンタサイクルもある玉造町駅

 玉造町駅はこの路線のターミナル駅のひとつで、駅員の代わりに委託を受けているおばさんが常駐していた。ひっきりなしにマニアがやってくることもあるのか、おばさんはあんまり愛想がよくなく、事前情報で駅に貸し自転車があるのを知っていたため申し出ると、本当に借りるのかというような顔つきをした。あまり気分のいいものではないが、言っても毒があるだけなので黙って手続きを済ませる。

 次の列車まで1時間とちょっとという時間を利用し、観光に出かける。旧玉造町は合併で行方市となったが、その玉造出身で幕末に活躍した人物がおり、その足跡をたどりたいと考えていた。新撰組の創設時の筆頭局長だった芹沢鴨である。彼とその弟子の平間重助がこの玉造の出身で、大河ドラマ「新選組!」の放送に合わせて、玉造では「新撰組を創った男のまち」として売り出したのである。

 史料的にはほとんど収穫のなかった芹沢関連史跡であるが、芹沢という人物がどういう土地に生まれ育ったかが分かっただけでもよかったと思う。ドラマではよく近藤らのことを多摩の田舎者とののしっているが、実は芹沢自身がのどかな農村の出身者であり、近藤らに自分の姿を投影するような気がしていたのではないかと思う。そんな側面で芹沢鴨を見ていくと違った見方になりそうだ。

(つづく)
いよいよ正真正銘最後の乗車へ