直径 (π) 高さ (H) 重さ (W) 容量 (CC)
 碗 80π 70mm 165g 170cc
 皿 160π 20mm 185g -


佐々木禅(ゆずる) 油滴釉窯変珈琲碗

越前焼 福井県丹生郡越前町

「我思う故に我在り」とは、デカルトの方法的懐疑論です。何を言っているのかさっぱりわかりませんね…。物事の確実性のみ採用して不確実を疑い、そう思う自己だけは確実に存在していて、疑えないとゆう意味であります。
懐疑論者の彼は神さえも疑い、数学的、科学的に確かなことを発見していき、学問の礎にしていきます。「我思う」の我は自分では無く、懐疑する精神です。

【cup拡大】


「科学者」と呼んだほうがよさそうなこの論理は、古代ギリシャの化学者にちなみ、「アルキメデス定点」と称されます。「我思う…」のくだりは、日本の学者によって滅法ずさんな荒い和訳をされてしまい、難解になってしまいました。

【ソーサー表】


良い神もいれば悪い神だっているはずだ。美味しい料理にレシピがあるように、重力に従がう落ちる林檎のように、反復継続が可能な利便と科学をリスペクトしたのです。「私は他の誰でもない唯一の私だから、明日を私らしく生きよう」。こう要約してくれればもっと分かりやすいはずですね。

【ソーサー裏面】
佐々木禅氏はソーサー裏側にも油滴を散りばめました。

自分の本質を明かさず他を利用しすぎる人を裏表のある人と呼びますが、この器は表裏一体であって、裏表の無い信頼と安息を重要視するかのようです。裏を無くすソーサーは金城次郎氏、新川砂山氏もそうでしたね。



この珈琲CUPをしみじみと眺め、手に取って触り、撫でて、何故だか先述の哲学者の言葉が浮かんできました。世の中には沢山の不条理があります。神の山に登山して命を落とす場合も、SNSのテキストに怯える場面も、コロナで職を失う人も。

様々な難題、苦労を乗り越えて焼きあがった「器」

凛として堂々。油滴の一粒々は黒い鉄釉薬と一体化していて表面はツルツル滑らかです。刹那の暗闇を覆い隠す超越した「慈愛の魂」が宿っています。「愛して下さい、貴方も愛されるでしょう」とさり気なくそこに佇んでいます。