直径 (π) 高さ (H) 重さ (W) 容量 (CC)
 碗 70π 53mm 117g 100cc
 皿 85π 13mm 76g -


iittala kastehelmi cup

フィンランド イッタラ村

ある領域に到達するならば、もはやそれは神に捧げる生贄でありましょう。「美」とはよく肥えた生贄の羊なのです。美しいものは神々しいとゆう事になりますね。美しいと思う時は対象が偶像化して愛でる行為であります。あくまでも鑑賞であって、崇拝まで侵されない事です。

【cup上から】


カステヘルミとはフィンランド語で「露の雫」。写真を見てお判りのようにその一粒々が深く大きいのがイッタラの特徴。今にも雫がしたたり落ちそうな形をしています。日本製(昭和初期製品)にも同じようなデザインがありますが、粒は小さく半円がほとんどです。(はせがわガラス,エリザベス)

【ソーサー表】


露の一粒がこれだけ深いと型抜きも1回きりなので手間と費用がかかるはずです。露とはこんなもの・・・写実を重んじた芸術の審美を感じてしまう作品ですね。

【ソーサー裏面】
つの「感」が動く事を「感動」

1「感覚」-運動を伴う五感の躍動
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚センサーが対象を捉える。

2「感情」-報酬を伴う喜怒哀楽
喜怒哀楽の感情が心地良く響く。報酬は金銭にも置き換わる。

3「感性」-概念を伴う理解
脳が美しいと理解する。理解はその人独自のパラメーター。

「美意識」は必ずしも3つが動く事が前提では無い。
ピカソを1視覚で捉えなくても、2感情が動かなくても3有名なピカソの絵なら美しいに決まっているのでピカソは素晴らしい。
つまり、12も「勉強・経験」という「知恵」が付く事で足りる訳です。この「知恵」は暫し「広告」とゆう媒体に凌駕されてしまい、美意識は己の概念と戦い、良くも悪くもやがて独自理解されていきます。

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