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やがてナメ滝に到着。 水が少なかったので、あまり滝らしい姿は見られませんでしたが、かなり長い距離に渡り、 幾重にも重なった溶岩流の堆積した断面が露出した上を流れる滝が続いていました。 |
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ちょっといっぷく:唐沢鉱泉 |
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今日の食事は、唐沢鉱泉さんで用意して下さいました。 ドライフラワーで飾られた、食事処に上げて頂き、 食事の出来る間を見て、先生に滝に行く途中で見つけた植物について教わりました。 最初はシラカバとダケカンバの見分け方、 シラカバの方は葉脈の数が6〜7本ぐらい、ダケカンバは11本ぐらいと多いそうです。 ウダイカンバは、舟の先をウダイと呼ぶそうで、 皮が鵜飼の舟の灯りに使われていたので、ウダイカンバとなったそうです。 ホサキカエデの花は、上を向いてスーと出るそうです。 女将さんが、ドライフラワーの説明をして下さいました。 花は下の原村から仕入れるそうで、空気も乾燥しているので、ここでは吊るして置くだけで、 ドライフラワーが出来上がるそうです。 まずは、ビールで喉を潤おし、美味しい食事をいただきました。 食事の後は、女将さん達に見送られ、レンゲツツジ咲く唐沢鉱泉を後にしました。 |
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龍神池: |
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ヨシ・別名アシ。 |
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バスの窓から、マタタビの白い葉が見えました。 バスを止めて、観察です。 ニッコウシダ。 葉が白くなるのは、花が咲く時で、受粉しやすくなる様、虫を集める為だそうで、 花が終わると葉は緑に戻るそうです。 これは、ミヤママタタビで、マタタビと違い茎には横にシャクがあるそうです。 尖石見学には、少し時間が有ったので、龍神池によってみました。 ヨシは茎が中空、カヤは中がつまっているそうです。 絶滅危惧種のシナノノダケに出会えるかと ちょっと期待しましたが、残念ながら今回は出会えませんでした。 |
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尖石縄文考古館: |
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ここ尖石縄文考古館では、所蔵の土偶・仮面の女神が国宝に指定される事を記念して 「縄文のお母さん」として特別展が行われており、昨日までは無料の公開がされていたそうです。 入口の銅像は宮坂英弌 氏。 館内は、幾組かの団体さんも来ておられる様で、結構賑わっていました。 館内では、守矢館長が案内して下さいました。 最初は地図上で、諏訪地区で発掘された、遺跡の場所の説明です。 赤は縄文遺跡、緑はさらに古い石器時代の遺跡だそうです。 すでに市街化され発掘出来ない所もあるとか。 展示室Aでは、尖石遺跡の出土品と、宮坂氏が昭和の初期から発掘にあたり、 日本で最初の国指定特別史跡となつた、尖石遺跡の発掘経緯が展示されていました。 尖石遺跡を代表する土器・蛇体把手付き深鉢。 完全な形で出土したそうです。 蛇体の模様も綺麗に描かれています。 縄文時代中期のものだそうです。 |
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隣の展示室Bには、今回の特別展の目玉である縄文のビーナスと仮面の女神が展示されていました。 今回展示されているのは、実物だそうで、次回一般展示の時はレプリカになってしまうかちょっと心配です。 縄文のビーナスは茅野市米沢にある棚畑遺跡から、昭和61年に発掘されたものだそうで、 縄文時代の作品として日本で最初に国宝に指定されたそうです。 主な骨格を粘土で造り、その上に上質な粘土を貼って造形してあるそうです。 今回話題の仮面の女神。 現在は重要文化財だが、今度国宝に指定される予定だそうです。 湖東の中ツ原遺跡から出土したものだそうですが、縄文のビーナスより1000年ほど遅い、 BC4000年、縄文時代後期に造られたものだそうです。 中は中空で、より精巧に造られているそうです。 墓と考えられる穴から、副葬品としてかつ壊されて出てきたそうです。 仮面を付けているのは、祭りをやる人に関係があって、 壊されたのは死者となり、後に原型に戻す・再生させると言う事ではないか、との事でした。 同じ部屋に、中ツ原遺跡から出土した土器も展示されていました。 しばらく2人の美人を観賞してから、向かいの特別展示室へ向かいます。 正面には、3体の土偶が展示されていました。 縄文時代の国宝の土偶は現在4体あるそうで、5体めが仮面の女神だそうです。 展示されていたのは、レプリカですが残念ながら撮影禁止。 山形県舟形町の西ノ前遺跡の土偶・青森県八戸市の風張遺跡の土偶 ・北海道函館市の著保内の遺跡の土偶(日本最大の土偶)の3点だそうです。 他にも、山梨県後田遺跡から出土した仮面土偶等、レプリカですが各地の土偶が展示されていました。 入口に展示された耳飾り。 ピアスの穴にはめ込むので大小様々、重いものから、透かし彫りで軽いものまで。 左は、正中線のある土偶・南アルプス市居鋳物師屋遺跡。 中部山岳地帯の土偶は、縄文中期に増加、母親になる女性(妊娠女性) ・新しい命への思いが強いものが多いそうです。 右は、顔面把手付土器(出産土器)・山梨県津金御所前遺跡から出土したもので、 胴部にも顔(赤ん坊)が描かれていました。 展示室Cは市内の各遺跡から出土した品で縄文人の日常の生活について解説していただきました。 大きな土器は飾りが付いて把手が付くが重くて持つのが大変、これは物を煮炊きしたものだそうで、 火の当たる下は赤く、上は煤で黒くなっているそうです。 縄文人は、肉ばかりバクバク食べていたのではなく、 木の実等植物を、それも粉食をとっていたそうです。 骨などは割って隋までしょくしていたそうです。 この辺りは黒曜石が採れ、全国から人が集まって来たそうで、 土器の中には瀬戸内のものもあるそうです。
遺跡から見つかった炭化した木の実・クリ・コナラ・クルミ・カヤ。 最後は良助尾根遺跡に復元された住居を見ながら、会員の方の疑問に答えて下さいました。 旧石器時代は氷河紀でもあり、針葉樹林帯での暮らしであつたが、 縄文時代は暖かくなり植物を食す様になり、水場に近く、日当たりのよい木の実のなる様な所で、 採り過ぎず腹八分目のの生活をおくる事で、1万年もの長い縄文期が過せたのではとの事でした。 又人との交流も活発で、文字は無かったが、訓読みになる日本語のルーツは縄文のものではとの事でした。 稲縄の無かった時代になんで縄目模様がの疑問に答えて、 縄文模様の作成に挑戦・模様の付いた棒を転がす事で付けたそうです。 ついでに、粉ひきも体験。 |
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最後に、尖石遺跡の33号住居の奥の崖下にある尖石の名前の由来となつた石を見学して今回の旅は終了です。 石は八ヶ岳噴出岩の安山岩で、右肩の窪みは縄文人の共同の砥石ではとも言われているそうです。 おまけは、下のたてしな自由農園さんでお買い物。 今回の旅では、唐沢鉱泉源泉の調査に当たられた小口先生、縄文の美人達の発掘に当たられた、 守矢館長のお話を直に聞けた貴重な旅になりました。 又、守矢館長は、諏訪縄文人の洩矢一族の流れをくむ、諏訪大社上社神長官・守矢家の子孫だそうで、 何か1万年前の世界にも少しふれる事が出来た気分の一日でした。 |
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