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	   薙鎌。 蛙原まで登ったところで、振り返ると富士山が見えていました。。 
	   チップの敷かれた遊歩道を行くと、やがて薙鎌神社の鳥居が見えてきます。 鳥居の脇に、正岡子規の後継者とされるあららぎ派歌人・長塚節の歌碑がありました。 「うれしくも分けこしものか遥々に松虫草の咲きつづく山」とあるそうたですが、達筆で私には良く読めません。 明治38年9月に島木赤彦の案内で、霧ケ峰を訪れた時に読んだ歌だそうです。 神社へは、参道を少し下ります。  | 
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 霧ケ峰薙鎌神社は、旧御射山遺跡を調査し、戦時中に最初に紹介し、 またこのあたりが雪滑場としてすぐれている事を全国的に紹介した、 上田貢氏他3名の方が発起人となり、上田氏が旧御射山社跡から発掘した薙鎌納め、 祭神として建御名方大神他3柱の神を祀り、 発展する霧ケ峰を祈念し霧ケ峰鎮護の神社として昭和8年に造られた神社だそうです。 神社には、ちょっと華奢に見える薙鎌と祭事用具の様なものが納められており、レプリカかと思いましたが、 入口が厳重にガードされている所を見ると発掘された本物がもしれません。 この辺りは、霧ケ峰から諏訪湖が見える貴重な場所でもある様です。 最後に皆さん参拝して、神社を後にします。  | 
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	   次に訪れたのは、藤原咲平博士碑でした。 藤原氏は、明治生まれの上諏訪人だそうで、初代の気象庁長官を務められた方だそうです。 小説家・気象学者でもあつた新田次郎・藤原寛人氏のおじさんでもあるそうです。 薙鎌神社の上田氏が、スキー場としての霧ケ峰を全国に知らしめたのが昭和7年だそうですが、 藤原氏は同じ昭和7年に霧ケ峰グライダー研究会を創設したのだそうです。 私が諏訪にやつて来て間もない昭和40年頃に、人力で引くグライダーがまだ2機ほど残っており、 それに乗った事がまだ懐かしく思い出されました。  | 
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	  グライダーの滑走路脇を強清水スキー場へと向かいます。  
	  霧鐘塔で、美ケ原に向かい鐘をつきます。 山の案内板のある広場に到着、皆さん気になる山を探します。 今日は槍もちょっぴり顔をのぞかせていました。 最後に先生に八ヶ岳の説明をしてもらって、午前の部は終了。 オニゼンマイ・茎の途中に出来る胞子葉が特徴だそうです。 午後からニッコウキスゲを見る為に、車山の肩へとバスで移動します。  | 
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	  ちょっといっぷく:ころぼっくるひゅって | 
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	   昼食は、コロボックルヒュッテのベランダをお借りしていただきました。 まず、冷たいビールを一杯、そしてマリオさんで用意して下さったお弁当をいただきました。 このヒュッテは昭和31年の創立だそうで、ビーナスラインが通るまでは、 避難小屋としても利用されていたそうです。 
	   名前のコロボックル・コロポックルはアイヌ語で蕗の葉の下の人の事を言うそうです。  | 
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	   今年は、人の入りはなかなかの様ですが、花の方は鹿除けの柵の中でボチボチ、 鹿除けの柵外では花もまばら、とても黄色い絨毯とはいきませんでした。 
	   向かいの蝶々深山の斜面も青々していました。 一渡りニッコウキスゲを見た後は、沢渡へ向かって山を下ります。 カワラマツバ。 ノコギリソウ。 橋を渡って、ジャベルの小屋に到着です。 今回は、小屋は素通り旧御射山へと向かいます。  | 
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